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山折哲雄が語った、子守唄と抒情

◼︎山折哲雄の著書の紹介、私の思うところを書きました。
・『こころの作法』中公新書
・『「歌」の精神史』中公文庫

山折哲雄さんのことが、先日のわらべうたの会で話題に上ったので、
こんな事を述べている著作があって面白いよ〜というご紹介です。



以下、『こころの作法』から、一部引用します。

二十年近く前のことだが、ある母親が子どもに子守唄をうたってきかせたところむずがりだした。フトンにもぐりこんで拒否反応を示したということが、ある新聞で話題になった。同じような嘆きの声が投書の形でたくさん寄せられたのである。しばらくして写真家で作家の藤原新也さんが、その新聞に仮説を発表された。朝から夜まで民放テレビが流しているコマーシャル・サウンドに原因があるのではないかと。そこには短調のメロディーが一つも見つからなかったからである。

山折哲雄『こころの作法』中公新書


子守唄の、あの哀調をおびた、ふるさとそのもののようなメロディーが、いつからか教科書からも家庭からも追放されていった。

それが起こる原因はなぜか? また、歌から哀調がなくなると人の心に何が起こるのか?

現代人の意識や精神構造を紐解くことから、文明論にまで展開していくのが、山折哲雄さんの著書の特徴です。

暗い時代の記憶を否定し、のり越えるためにこそ、われわれの近代はあったのである。文明開花、西洋化の路線がそうだった。「五木の子守唄」や「島原の子守唄」をかなぐり捨てて、ひたすらシューベルトやブラームスの子守唄の世界にたどりつこうとして急な坂を登りつめてきたのである。
そんな我々の「近代」を、いったい誰が否定できるというのだろう。
(中略)
けれどもそのことによってわれわれは、子守唄が担ってきたはずの悲哀の旋律までを手放すことになってしまったのではないだろうか。もしもその短調のメロディーとともに、人の悲しみに共感し涙するこころまでが枯れはててしまったとしたら、われわれはすでにとり返しのつかないところにきているのかもしれない。

山折哲雄『こころの作法』中公新書


(「二十年近く前」とありますが、こころの作法が刊行されたのが2002年ですから、ここで語られているのはもう四十年近く前の話になります💦)




またもう一つ、私が面白いと思ったのは、『「歌」の精神史』にて語られている、全共闘の時代が俵万智の『サラダ記念日』をもって終わりを迎えたというユニークな一節です。以下、一部を引用します。

右を見ても五五調、左を見ても五五調だった。演説も五五調、糾弾も五五調だった。
(中略)
そこへ新鮮なサラダのような香りをただよわせる新時代の歌集がさしだされ、われわれの意識下に眠らされていた五七調というリズムをあらためて気づかせた。和歌の伝統的な生命リズムがそれを触媒にして快く刺激されたのである。
そういう意味では、俵万智という歌人の登場によってはじめて、全共闘運動は本当に幕を降ろすことになったのかもしれない。
(中略)
この『サラダ記念日』の登場によって、もしかすると「短歌的抒情のリズム」が復活するのではないか──そんな予感が、ふと胸のうちによぎったことを覚えている。

山折哲雄『「歌」の精神史』中央公論新社


「政府の……」「大学教官たちの……」「我々の……要求は……」といった演説調の言葉は、なぜか全て五五調で発音されていて、日本人はどこか乾ききっていたよねという指摘。なるほど興味深い。

しかし、そんな抒情復活の予感は、残念ながら命中はしなかったことも書かれています。なぜならサラダ記念日が発売された1987年はバブル元年となってしまい、その後は商業的に購買意欲を高めるための「軽やかさ・ライトさ」を前面に押し出したコピーライティングの時代になってしまったからです。


全共闘は日本文化を壊そうとしていたか?というと、私は山折先生とは意見が異なりますが……。(革新が伝統を壊そうとしていると言って、人々を分断しようとするのは、今や保守派の常套手段だからです。)

先生の言う「いつからか、抒情を受け容れる器が損傷している」という表現は的確だと思います。

つまり、重々しく鼓舞するだけでも、〝哀〟を排除してふわふわとコマーシャルに没頭するだけでもいけない、そのどちらにしろ「抒情」や「詩」というものは死に、人間の感じる力・考える力は衰弱していくということでしょう。





山折哲雄の話からは少し逸れますが、北原白秋も短歌的抒情については、信念を持っていたんですよね。

北原白秋は「短歌なんか書くんですか」と弟子である吉田一穂に言われて、「この私が書かないで誰が書く」と怒った逸話が残っています。
(吉田一穂自身が『日本の詩歌 北原白秋全集』の解説にて書き残しています。)



また別の場所では、「北原白秋の詩には『思想』がない」、つまりは内容が無いと批判されて、
「言葉などは、表現などはどうでもいいといふ、所謂内容詩人の増上慢は断じて許すべきではない。詩においては内容即形式である。」
と、自身の論評内でバッサリ言い返しています。
(今野真ニ『北原白秋 言葉の魔術師』岩波新書)

要は〝思想詩人が多くて困るんだよな、短歌のリズムも書けないくせに〟と言って、ぶった斬ってるわけですね。

明治大正期がいかに『思想』に寄りすぎていたかというエピソードで、こういうのは明らかに、西洋化・近代化を急ぎすぎた弊害だと思います。
抒情的な表現やリズム感に気を割くことが馬鹿にされたと。今となっては信じられないことですが。




最後に、また話を山折哲雄に戻します。以下は、『「歌」の精神史』の裏表紙、「著者から読者へ」部分からの引用です。

抒情とは、日常の言葉を詩の形に結晶させる泉のことだ。それが枯渇し危機に瀕している。
歌の調べが衰弱し、その固有のリズムを喪失しているからだ。
いまこそ、「歌」の精神を取り戻すときではないか。

山折哲雄『「歌」の精神史』中央公論新社


抒情とは、日常の言葉を詩の形に結晶させる泉のことだ。
この表現は山折哲雄だからこそ出てくるものだなー!と、今読んでも感じ入ります。
その泉は、現代人の意識の底流にもまだあると私は思います。まだかろうじて、枯れつくしてはいないと思いませんか?

実際、2023年現在、若者のあいだでふたたび短歌がブームになっているのを、私は山折哲雄に見せたかった……。先生なら今の世を、なんと語ったかな。

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