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『孟子』88 離婁上ー孟子の言葉(9)先人の知恵と規格

孟子は言った。

「離婁(りろう)のような視力があり、公輸子(こうゆし)のような器用さがあっても、ブンマワシやサシガネがなければ、方形や円形をえがくことはできない。

師曠(しこう)のような音感があっても、六律(りくりつ)のような調子笛がなければ、五音を正すことはできない。

尭(ぎょう)や舜(しゅん)の道にしたがったとしても、仁政を行わなければ、天下を治めることはできない。

*離婁は、当時の伝説的な人物で、非常に視力に優れていたそうです。
公輸子は、『墨子』などに登場する、攻城兵器の開発を得意とする職人です。おそらく伝説的というよりも、当時の有名な職人といったところだと思います。
師曠は、当時の伝説的な人物で、音律を定めた人物とされています。後に、中国では“宮(きゅう)、商(しょう)、 角(かく)、 徴(ち)、 羽(う)”の五段階で、音階を表すようになります。
このいわゆる五音を定めたのが、師曠であるとされています。


今、仁の心をもっていたり、仁であると言われている人はいる。
だが、民がその恩沢を被ることはなく、後世の模範になることもない。
これは、古の王たちの道を行わないからである。

だから言うのだ。
〈ただ善であるだけでは、政を行うには足りない。ただ法を定めるだけでは、自然と行われて行くということにはならない。〉

『詩経』にはこのようにある。
〈誤らず、忘れず、ただ古の法典にしたがうのだ。〉

さて、古の王たちの法を遵守して過ちを犯したものはいまだにいない。

かつての聖人たちが、目視で図ることをきわめ、そのうえで、ブンマワシやサシガネ、それにミズモリや、スミナワを利用した。だからこそ、四角や円、それに平行、垂直を測ることができるようにあり、便利なことこのうえないほどになったのだ。

そして、かつての聖人たちは、耳で聴くことをきわめ、そのうえで六律を利用した。だからこそ、五音を正すことができるようになり、便利なことこのうえないほどになったのだ。

さらにかつての聖人たちは、心からの思いやりをきわめ、そのうえで他人の不幸をかわいそうだと思いながら政治を行った。さからこそ、仁が天下を覆いつくしたのだ。

だから言うのだ。
〈高い建物を作るなら、必ず小高い丘のに利用しなければ、低い池などを作るなら、必ず川や沢を利用するのだ。〉

であれば、古の王たちの道を利用しないで政を行うなど、はたして智があるなどと言えようか。

だからこそ、仁者は高い地位にあるべきなのだ。
仁でもないのに高い地位にあるならば、それはその害悪を民衆に撒き散らすことを意味する。
上は道しるべを見失い、下は法を守ることもなくなり、朝臣たちは道を信じず、職人たちは計りを信じず、君子は義にもとる行為を犯し、小人は刑罰をもおそれぬ犯罪行為を犯すようになる。
これで国家が存続したというのであれば、幸運としか言いようがない。

だから言うのだ。
〈城郭が整備されず、武器や甲冑が乏しい。それは、国家の災いではない。
田畑が開墾されず、財貨が集まらない。それは、国家の害悪ではない。〉

そんなことよりも、上は礼を見失い、下は学問を見失ってしまえば、ならず者の賊民が生まれ、国家の滅亡は日を数えるまでもないだろう。

『詩経』にはこのようにある。
〈天たる周王、まさに暴虐をはたらく。さように泄泄(えいえい)なるなかれ。〉

泄泄とは、今でいえば“沓沓(とうとう)”と同じ意味だ。
つまり、君主に仕えては義にもとり、進みでるにも退くにも礼を失い、言葉を口にすれば古の王たち道を否定する者だ。
これらを“沓沓”と言うのである。

だから、私は以下のようなことを言っているのだ。
〈君主をきびしく責めて成し難いことを行わせること。
これを“恭(きょう)”と言う。

そして、善なることを述べて邪悪な行いを封じ込めること。
これを“敬(けい)”と言う。

だが、逆に自分の君主に何もしない。
これを“賊(ぞく)”と言う。〉」

*以上、『孟子』88 離婁上ー孟子の言葉(9)先人の知恵を活かすということ

【原文】
孟子曰、「離婁之明、公輸子之巧、不以規矩、不能成方員、師曠之聰、不以六律、不能正五音。堯舜之道、不以仁政、不能平治天下。今有仁心仁聞而民不被其澤、不可法於後世者、不行先王之道也。故曰、徒善不足以為政、徒法不能以自行。『詩』云、〈不愆不忘、率由舊章。〉遵先王之法而過者、未之有也。聖人既竭目力焉、繼之以規矩準繩、以為方員平直、不可勝用也。既竭耳力焉、繼之以六律、正五音、不可勝用也。既竭心思焉、繼之以不忍人之政、而仁覆天下矣。故曰、為高必因丘陵、為下必因川澤。為政不因先王之道、可謂智乎。是以惟仁者宜在高位。不仁而在高位、是播其惡於衆也。上無道揆也。下無法守也、朝不信道、工不信度、君子犯義、小人犯刑、國之所存者幸也。故曰、城郭不完、兵甲不多、非國之災也。田野不辟、貨財不聚、非國之害也。上無禮、下無學、賊民興、喪無日矣。『詩』曰、〈天之方蹶、無然泄泄。〉泄泄、猶沓沓也。事君無義、進退無禮、言則非先王之道者、猶沓沓也。故曰、責難於君謂之恭、陳善閉邪謂之敬、吾君不能謂之賊。」

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