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『孟子』87 滕文公下ー孟子と匡章の対話(2)陳仲子について~おかしな信念

*前回の孟子と匡章(きょうしょう)の対話はつづきます。

匡章は言った。

「そんな細かいことまで、気に病むことはないでしょう。
彼は自身で靴をつくり、妻は麻を割いて糸をよりわけ、それで色々なものと交換しているのですよ。」

孟子は言った。

「陳仲子は、斉の名家です。
そして、家の当主で兄の陳戴(ちんさい)は、蓋(がい)の邑から入る俸禄、一万鐘を受けています。
陳仲子は、兄の俸禄が義にもとる俸禄であると考えて、それを口にしなかったのです。

それに、兄の邸宅も義にもとる邸宅であると考えて、そこに住もうとしませんでした。
そして、兄を避け、母のもとを離れて於陵(おりょう)の地に住みついたのです。
それからしばらくして、兄の邸宅に帰ってみると、兄に生きたガチョウを贈った者がいました。

どうやら、このガチョウが、どうも義にもとる贈りものだったようです。
そのため、皮肉をこめて、陳仲子は眉をしかめて言ったのです。
〈なんだってこんなガーガーうるさいやつを贈り物によこしたのですかね。〉

後日、母がそのガチョウをつぶして、陳仲子のためにと食べさせました。
そして、兄が外出先から帰ってくると、このように言ったのです。
〈それ…、ガーガーうるさかったやつの肉だぞ。〉

すると、陳仲子は外に駆け出して吐き出してしまいました。
このように、彼は母が出してくれたものであるにもかかわらず、義にもとるガチョウだからと食べませんでした。

ところが普段は、妻が作った食事をなにも気にせず食べているのです。
それに、兄の邸宅には住むことができなかったのに、於陵の地では、なにも気にせず住みついてしまいました。
こんなことで、どうして自分の信念をつらぬくことができた、と言えるのですか。

ですから、陳仲子のような者が本当に信念をつらぬきたいなら、ミミズにでもならなければ、その信念をつらぬくことはできないのですよ。」

*以上、『孟子』87 滕文公下ー孟子と匡章の対話(2)陳仲子について~おかしな信念

【原文】
曰、「是何傷哉。彼身織屨、妻辟纑、以易之也。」曰、「仲子、齊之世家也。兄戴、蓋祿萬鍾。以兄之祿為不義之祿而不食也、以兄之室為不義之室而不居也、辟兄離母、處於於陵。他日歸、則有饋其兄生鵝者、己頻顣曰、〈惡用是鶃鶃者為哉。〉他日、其母殺是鵝也、與之食之。其兄自外至、曰、〈是鶃鶃之肉也。〉出而哇之。以母則不食、以妻則食之。以兄之室則弗居、以於陵則居之。是尚為能充其類也乎。若仲子者、蚓而後充其操者也。」


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