見出し画像

『孟子』86 滕文公下ー孟子と匡章の対話(1)陳仲子について~清廉さとは

*今回は、斉(せい)の匡章(きょうしょう)という人物との対話です。

匡章は言った。

「われらが斉の陳仲子(ちんちゅうし)は、どうして、まことに清廉な士ではありませんか。

彼は、於陵(おりょう)の地に住んでいたとき、三日ものあいだ、食にありつけず、耳は聞こえなくなり、目も見えなくなってしまいました。

そのときのことです。
井戸のそばに李(すもも)がころがっていたのだそうです。
ところがそれは、螬(すくもむし)に実を食われており、半分以上食われていました。
それでも陳仲子には、実がどうなっているか見えなかったのでしょう。
這いつくばって行って、その実を拾って食べてしまったのです。

そして、三口ほどで飲み込むと……、
するとなんと、耳が聞こえるようになり、目が見えるようになったんです。」

*後に詳しい説明がありますが、陳仲子は、斉の名門出身の人物です。
彼は、家の当主である兄の俸禄が、不義であると考え、兄の庇護を拒んで家を飛び出してしまいました。そのため、自分の信念にそぐわないものを口にすることができなかったようです。
なお、詳細は省きますが、一説によれば彼は、孟子の弟子だそうです。

孟子は言った。

「斉で士というと…、陳仲子は、手の指で例えるなら、親指のような大きな存在ではあるでしょう。
ですが陳仲子が、どうして、清廉であると言えるでしょうか。

陳仲子が、その信念を、本当につらぬくならば、ミミズにでもならなければできませんよ。

ミミズは、地上では、乾いた土を食べ、地下では、濁った水を飲むだけでスみますからね。

というのは、陳仲子が住みついた家は、伯夷(はくい)が造ったものなのか。それとも、盗跖(とうせき)が造ったものなのか。
それに、いま食べている穀物は、伯夷が植えたものなのか。それとも盗跖が植えたものなのか……。

結局、その家でも食べ物でも、そのひとつひとつが、本当に義にもとるか、どうかなんて、そんなことは誰にもわからないのですよ。」

*伯夷は、これまで何度か登場してきました。言わずと知れた聖人の代表的存在です。
一方、盗跖は、春秋時代後期に大盗賊団を率いて諸国を暴れ回った人物で、悪党の代名詞でした。なお、『荘子』によれば、盗跖は、柳下恵の弟だそうです。


*孟子と匡章の対話はつづきます。

*以上、『孟子』86 滕文公下ー孟子と匡章の対話(1)陳仲子について~清廉さとは

【原文】
匡章曰、「陳仲子豈不誠廉士哉。居於陵、三日不食、耳無聞、目無見也。井上有李、螬食實者過半矣、匍匐往將食之、三咽、然後耳有聞、目有見。」
孟子曰、「於齊國之士、吾必以仲子為巨擘焉。雖然、仲子惡能廉。充仲子之操、則蚓而後可者也。夫蚓、上食槁壤、下飲黃泉。仲子所居之室、伯夷之所築與。抑亦盜跖之所築與。所食之粟、伯夷之所樹與。抑亦盜跖之所樹與。是未可知也。」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?