『孟子』告子上171ー孟季子と公都子の対話(1)義はいずこより〈1〉

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*孟子には多くの弟子がいます。そしてもちろん、弟子同士でも、議論を行なっていたようです。
ある日のこと、孟子の弟子である孟季子(もうきし)と公都子(こうとし)が、このような議論をしていました。

孟季子は、公都子に質問して言った。

「どのような根拠があって、義(ぎ)は人間の内側にあると言うのだろうか。」

公都子は言った。

「自分自身が、敬って行うことなのだから、義は内側にあると言えるよ。」

孟季子は言った。

「郷里の年長者に、キミの長兄より一つ歳上がいたとしよう。ではキミは、その年長者と長兄のどちらを敬うんだい。」

公都子は言った。

「兄を敬うさ。」

孟季子は言った。

「そうか、では酒を酌むなら、どちらを先に酌むんだい。」

公都子は言った。

「それなら、先に郷里の年長者の方に酌むよ。」

孟季子はこたえた。

「それでは…。
敬うのは兄でありながら、年長者としてあつかうのは、郷里の他人であるということだね。
ほら、やはり、外部から〈義〉は与えられたモノなんだよ。
自分の内面から湧き起こるものではないよね。」

公都子は答えることができなかった。

そこで、孟子にこの話を告げた。
孟子は言った。

「ならば…。

〈叔父を敬うのか。それとも、弟を敬うのか。〉

このように、たずねるのだ。すると孟季子は、きっとこのように言うだろう。

〈叔父を敬うよ。〉

そうしたら、キミはこう言えばよい。

〈では、弟が、祭祀で神の身代わりとして供物を受け取る尸(かたしろ)に立ったときは、叔父と弟のどちらを敬うのだい。〉

孟季子はきっとこう答えるだろう。

〈それなら、弟を敬うよ。〉

ここでキミは、このように言うのだ。

〈それなら、キミの叔父を敬うという言葉は、どこに行ったんだよ。〉

孟季子はきっと、こう答えるだろう。

〈弟が、たまたま特別な地位に就いているからだよ。〉

そうしたら、キミは言うのだ。

〈たまたま特別な地位に就いていた、と言うのであれば、やはり、いつも敬うべきは兄であって、郷里の他人には一時的に敬っているだけということになるね。〉」

*つまり孟子によれば、兄や郷里の年長者など、敬う対象を決めているのは、あくまでも自分自身であり、敬うという〈義〉は、やはり自己の内面から湧き起こってくるものだというわけです。

*以上、『孟子』告子上171ー孟季子と公都子の対話(1)義はいずこより〈1〉

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