『孟子』告子上168ー孟子と告子の対話(2)告子批判―性は水だが

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*前回、杞柳(かわやなぎ)を例にした議論が展開されましたが、今回は、人間の性を水に例えて議論を繰り広げます。

告子は言った。

「人間の性質は、例えるなら渦を巻いた水のようなものです。
この水の東側を決壊させれば、東に流れていくでしょう。
そして、この水の西側を決壊させれば、西に流れていくものです。
つまり…、
人間の性質に、善であるか、善でないか、という区分が、そもそも存在しないのです。
水が、本来的には、東西に分かれていないことと同じです。」

孟子は言った。

「水は、たしかに東西のどちらかに流れるものではありません。
ですが、上下のどちらにも流れない、ということはあり得ません。

人間の性質は善です。これは水が下にながれていくのと同じです。
人間には、本来的に善ではない、というものはおりません。
それは、水が下には流れない、ということがないのと同じです。

ですが、その水を弾いて、飛沫を上げさせれば、人の額(ひたい)を超えることもあります。それに水を逆流させれば、山に届くまで溢(あふ)れさせることもできるでしょう。

だが、これがどうして、水の性質であると言えるのですか。
外からの力が、そうさせているにすぎません。
人間に、善ではない行動をとらせるのは、むしろ、人間の性質が、水と同じだからです。」

*以上、『孟子』告子上167ー孟子と告子の対話(2)告子批判―性は水だが

◆音声で聴きたい方はこちら↓(制作途中)


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