『孟子』93 離婁上ー孟子の言葉(14)清らかな水と濁った水

孟子は言った。

「仁でない者とは、ともに語るべきではない。

彼らは、危ういことを安全だと考え、災いを利益だと考え、滅亡に向かって楽しんでいるのだ。
仁でない者と語り合うことができる、というならば、なぜ、滅亡した国や、潰えた家があるというのだ。

ある童(わらべ)の歌がある。
〈滄浪(そうろう)の川の流れが清らかだ。
ぼくの冠のヒモでもさっぱり洗おう。
滄浪の川の流れが濁ってる。
ぼくの足でもさっぱり洗おう。〉

この歌を聞いた孔子は、その場にいた弟子たちに対して、このように言った。
〈おまえたち、この歌をよく聞きなさい。
水が清んでいれば、冠の紐を洗うことにつかわれる。
逆に、濁っていれば、汚れた足を洗うことにつかわれる。
なにを突っ込まれるかは、水が決めることなのだ。〉

さて、人は、まずは自分自身をバカにして、それから人にバカにされるようになっていく。
家も、まずは自分で壊すようなことをして、それから人に破壊されていく。
国家は、まず自滅的なことをして、それから人に討伐されてしまうものだ。

『尚書』の太甲書に、このようにある。
〈天の作りし災いは、それでも避けることができるのだ。
自ら作りし災いに、生き延びることは不可能だ。〉

これは、つまりそういうことが言いたいのだ。」

*以上、『孟子』93 離婁上ー孟子の言葉(14)清らかな水と濁った水

【原文】
孟子曰、「不仁者可與言哉。安其危而利其菑、樂其所以亡者。不仁而可與言、則何亡國敗家之有。有孺子歌曰、〈滄浪之水清兮、可以濯我纓。滄浪之水濁兮、可以濯我足。〉孔子曰、〈小子聽之。清斯濯纓、濁斯濯足矣、自取之也。〉夫人必自侮、然後人侮之。家必自毀、而後人毀之。國必自伐、而後人伐之。『太甲』曰、〈天作孽、猶可違。自作孽、不可活。〉此之謂也。」

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