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魯と孔子――国際政治と「仁」

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「仁」とはなにか? 春秋戦国時代の魯と孔子との関係を見ながら、「仁」とはなんだったのか考えていこうと思います。
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2020年8月の記事一覧

魯と孔子7ー楚、呉の浸透(1)

前542年、魯の襄公が薨じた。その治世は31年にわたり、三桓氏の執政のもとで魯の象徴として君…

魯と孔子6ー晋・楚の和平と春秋後期

前545年、宋を仲介役として晋、楚の間で和平が結ばれた。この和平締結には、晋と対立してきた…

魯と孔子5ー三桓氏の利権抗争

宣公の後、成公(在位、前591年〜前573年)の治世に入ると、季孫行父、叔孫僑如、孟献子がそれ…

魯と孔子4ー君主権力と三桓氏の相克

魯の君主と三桓氏との目立った抗争は、まず宣公の代に起きた。 公孫帰父という人物がいる。魯…

魯ー孔子が登場するまで3ー三桓氏

いつ頃からか、魯の権力中枢は三桓氏と呼ばれる三つの氏族に掌握されていた。三桓氏とは、かつ…

魯ー孔子が登場するまで2

この頃、それまで緩衝地帯であった宋、鄭、蔡、陳が明確に楚連合に入っていた。前592年には、…

魯ー孔子が登場するまで1

覇者とは、周王の権威のもとに諸侯の盟主となった者をさす。後世、その代表的な人物を五覇と呼ぶ。この五人には諸説あるが、斉の桓公、晋の文公はいずれの説においても必ずカウントされている。 この春秋時代に見られた諸侯の同盟体制は近年、覇者体制と呼ばれている。言うなれば同盟の中の実力者が盟主となる、ごくありきたりな概念かもしれない。ただ、むしろ繻葛の戦いに敗れて以降の周王による新たな統治概念と捉えることはできないだろうか。この間、覇者のおかげで周王は存続できたのか、あるいは周王が覇者を