第13回 過労自殺の背景と認定判断-犠牲が希望を摘む構図―
1.過労自殺統計の背景
2020年度版「過労死等防止対策白書」の概要がまとめられたとの報道が出た。報道によると、2015年、2016年度における業務上と認められた過労自殺者のうち、5割以上が専門的・技術的職業従事者と管理的職業従事者であり、6割は自殺前に医療機関の受診歴がなかったとされている。日々こうした事件に接してきたものの、改めて統計として示されると驚きもある。率直な感想としては、前者の比率は予想よりも低く、後者の比率は予想よりも高かった。
勤務問題を原因・動機の1つとして自殺に至る労働者は、以前にも述べたとおり、入社3年以内(特に1年以内)の若年労働者と中高年男性に集中しており、後者については、必然的に管理的な立場にある人が多くなる。また、専門的・技術的職業については、典型的には医師や研究員などが考えられるが、職務上のプレッシャーが組織よりも個人にかかる場合が多くなるという理由が考えられよう。日本全体として自殺者は減少傾向にあるものの、勤務問題を原因・動機とする自殺者の比率は増加している。おそらく、働き方改革が浸透しても、こうした状況が大きくは変わることはないものと思われる。
2.職場でにおける精神障害者の数
厚生労働省の統計によると、精神障害者福祉手帳所持者の数は、2017年段階において約419万人(施設入所者・入院者はこのうち約30万人)とされ、このうち民間企業で雇用されている人は約5万人(2018年には6万7千人に増加)であるとされている。この数字は、あくまで障害者雇用として就労している人の数であり、うつ病や適応障害の症状を抱えながら働き続けている人の実数を表すものではない。アメリカでは、精神的に問題を抱える労働者が6人ないし7人に1人程度いると言われるが、日本においても、少なくとも10人に1人程度はいるのではないかと考えられる。もちろん、それらの人がすべてICD-10に分類されている精神障害を発病するまで至っているとは言えないかもしれないが、仕事は休みがちであるなど、苦悩しながら生活していることも少なくないものと思われる。精神的な不調を自覚しながらも医療機関に受診しない人は数多くいるものと想像され、そのまま自殺に至るという人がいることは何ら不思議なことではない。
3.職場ストレス問題の深刻さ
精神的な病気には個人差が大きいと感じられるものであり、通常のストレスをもたらす程度の業務であっても、人によっては大きなプレッシャーと感じられてしまうこともある。また、体力や気力との相関も大きく、精神面の病気による能力低下なのか、単にやる気を失っているだけなのかの見極めも難しい。精神的な問題を抱える労働者について、職種、年齢、性別、事務職か現業職か、常勤職か非常勤職かなど、いかなる属性に多いかを言い当てることは困難である。しかしながら、自殺にまで至った労働者についてみると、上記白書が示すような結果になることは理解できる。精神障害に係る労災認定基準は、少なくとも労働が相対的に優位な原因になっていることを求めるとされており、ストレス要因が「強」と判断されるためには、相当程度の精神的負荷があったことが要件となる。職責や労働の過重性などを客観的に評価していくと、上記の職種や立場にある労働者は、とりわけ厳しい状況にあるとの判断に至ることが多いのである。
4.板挟みになる中間管理職の悲哀
もっとも、労災自殺者が多いとされた専門的・技術的職業従事者と管理的な職業従事者との間には、その理由においては異なる傾向があるとはいえる。すなわち、前者については、業務自体が多忙であり、職責につぶされるという、まさに過労自殺といえるものが多い一方、後者については、精神的に追い詰められ、心身ともに逃げ場を失うという状況になることが多いように思われる。そして、後者については、特に中間管理職である場合、次のような苦悩のパターンがある。1つ目は、権限や能力がないにもかかわらず、部下や現場を任されて苦悩するというパターンである。現場の従業員から労働条件等様々な課題を投げかけられるものの、自らの権限で処理できるものではないため上位管理職に相談するも、理解が得られず板挟みの状態になる。2つ目は、許認可等の関係から役所からの指示・指摘を受ける場合や取引先からの無理な要望をされた場合において、上司や事業主に相談するも自ら解決するよう促されるというものである。3つ目は、現場において指示する能力と経理ないしは労務に関する管理能力の両方を求められ、多忙になって疲弊するというものである。いずれの場合にも、相談すれば能力がないと言われ、相談せずに実行すれば勝手な判断をしたと言われるなど、進退に極まる状況になりやすい。
5.自殺の労災認定判断の難しさ
自殺の場合、労災認定の請求は遺族がすることとなるのであるが、請求人自身が生きて申し立てをする場合よりも、判断は格段に難しくなる。まず、労災であると判断されるためには、業務のために精神障害を罹患し、その結果自殺に至ったとの論理構成をすることとなるが、医療機関への受診歴がないと精神障害を罹患していたことが確認できないこととなる。こうした場合、家族からの聴取によって心証を形成していくのであるが、会社関係者は当該労働者について通常と何も変わらなかったなどと相反する申述をすることが多く、発病の有無の判断は難しくなる。次に、何が真の発病原因であったかについての追究においても、本人からの申述が得られないため、部分的な証拠の寄せ集めによって判断することを強いられることになる。本人が残したメモや就労状況に係る各種記録を渉猟して検討していくことになるのであるが、多くの場合、決定的な証拠を得られることはない。特に中高年男性の自殺のケースでは、健康問題、家族間のトラブル、借金、異性関係など仕事に関係のない私的な理由が浮かんでくることが多く、判断は困難なものとなりやすい。この点、被災労働者が遺書を残していたような場合には、心証を得るための重要な証拠となるのであるが、仮に事情が分かるような整然とした遺書を残しているような場合には、真に精神障害を罹患していたかを疑わしめる証拠にもなってしまうというジレンマに陥る。
6.若者の希望を奪うことになる中年層の犠牲
専門的・技術的職業従事者と管理的職業従事者において、業務に起因する自殺者が多いという現実は、日本の将来に大きな影を落とすものであると考える。なぜなら、いずれの立場も、若年労働者にとっては憧れもしくは目標となるものであるはずだが、その到達点には挫折しかないとすれば、頑張る気持ちは生じてこないと考えられるからである。神戸市の教育委員会では、責任の重さや過重な労働を嫌がって管理職になる応募者が少ないため、教頭及び校長になるための昇進試験を廃止することにしたという。その他の公務員や大企業においても、管理職になりたがらない若年労働者は確実に増加しているように聞く。職を失う可能性が低いのであれば、わざわざ死に至るようなリスクを負う必要はないと考えているとすれば、誠に賢いとしか言いようがない。
医師や研究員といった憧れの職種であっても、ヒエラルヒーとは無縁ではなく、徒弟制度さながらの習慣が残っている場合も少なくない。まして、裁量労働の対象などになってしまうと、いくら働いても割増賃金をもらえる可能性は低くなり、またほとんどの場合機能していないと感じられる「労使委員会」等に頼ることも難しい。一方、管理職に就いても、複線型の人事管理が進んできている現在、部下には正規職員はおらず、部署の責任はすべて自らに集中するといったことが起こりやすい。一般的には定額とされることの多い管理職手当は、それまでの時間外労働手当額よりも低くなることが少なくなく、しかも働き方改革等によって時間外手当の割増率が上がっており、その差は開く一方となる。副業・兼業の推進が叫ばれるも、管理職にそのような時間があるわけはなく、また秘密保持義務などという理由でこれも制限されることになりやすい。
事業主と底辺の労働者との妥協点を探ることに奔走してきた日本の労働法は、産業や社会をけん引する中年層を犠牲にすることになってしまっているように思われる。情報に敏感な若者は、仮に労働法の知識などはなくとも、すべてを見透かしているように思われてならない。
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アフターコロナの雇用社会と法的課題
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