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あの頃の私が必死に戦ってたもの

私は中学生や高校生の時、この世界から逃げ出したくて逃げ出したくて、たまらなかった。

あの頃の私はなにもかもが未熟で、幼くて、わがままで。それは周りも同じで。私は人間関係というものが一切うまくいっていなかった。どんなクラス、どんな学年になっても、必ずいじめられるかうまくなじめないかハブられるか、誰かと仲が悪くなるかだった。

授業中はだれとも関わらなくていいから楽だった。一人で考え事をしていても、友達との話す話題を考えなくても、誰にも責められないし、悪口を言われる心配もしなくていいからよかった。休み時間になったら早く授業が始まってほしかった。

しかし授業が始まったら始まったで苦痛だった。私は決して勉強が好きな真面目優等生ではなかったし、授業なんてほとんど聞いてなかった。先生のよくわからない話を横に、うつぶせになりながらひたすら時間が過ぎるのを待っていた。授業中眠れるように夜寝るのを遅くしたりもしたことがあった。

意味の分からない授業と人と関わらなければならない休み時間を繰り返し、人間関係の戦場である部活を終え、やっと放課後になっても特に私が自由にできる場所はなかった。田舎に生まれた私は、遊ぶといえば近くにあった小さなショッピングセンターしかなくて、そこには私たち向けのお店などは一切なく、小学生向けか大人向けの物しか売っていなかった。また学区に一つしかショッピングセンターしかなかったので、必ず同級生に遭遇するのも嫌で、そしてその同級生に一人でショッピングセンターにいるところを見られるのも嫌で、私はそこには一切近づかなかった。

わからない授業、うまくいかない人間関係、せまい田舎の街。あの頃の私の世界はこれだけしかなくて、これがすべてだった。授業、休み時間、放課後。これら三つの世界になじめない者には容赦なかった。

あの頃、私はこのなじめない世界からただただ逃げ出したかった。何度も異世界に行く想像をしたし、魔法を使って学校から逃げ出す想像もした。それらを小説にしようとしたこともあったが、文章が稚拙すぎて自分で自分に没を下していた。

何度も逃げ出す想像をしてはその場を耐えていた。あの頃の私は、私にできる範囲内で必死に戦っていたのである。


そして今。大学生。時間がある今、あの頃の、あの狭い世界に閉じ込められていた私を救うために、私は小説を書いている。あの頃想像したことを使って、本来あの頃に味わうはずだった幸せをせめて小説の中で味わってもらえるように私は小説を書いている。


しかし、私は大学生。今は一人暮らしで、ある程度の都会にも住めて、バイトを始めたから生活費も割とあって、好きな時に好きな場所に行けて、好きなことを学べて、ぼっちでいても何も言われない環境を得ている。私は今、あの頃の私よりも圧倒的な自由を得ている。

そんなわたしが、あの頃の、狭い狭い世界に閉じ込められていた、狭い世界にいたゆえに何も知らなかったあの頃の私の戦いが、気持ちが、心からの叫びが──書けなかった。


あの頃の、大人には決してわからないあの狭い世界での戦いの必死さや情熱を、伝えたかったのに、今の私には小説で表現しきれなかったのである。

おそらくそれは、ある程度の語彙と表現を見つけても同じだろう。やはり小説というのは、あの日あの時の私にしか書けないものなのだなと思った。



椎名ゆず。

いただいたサポートでおいしいごはんを食べたり本を読んだりしようと思います。明日への生きる活力をつけたい