見出し画像

【下書き供養】ゲーム禁止を考えてる親へ

ゲームの記事を書こうとしたら、ゲーム禁止の親の元で育った話が長くなってしまったので別記事にしました。

ゲーム禁止をしている親へ。または、ゲーム禁止を考えてる親へ。

悪いことは言わない。いますぐやめて欲しい。


私の家庭はいわゆる「ゲーム禁止」の家庭だった。

ゲームは目が悪くなるから禁止、頭が悪くなるから禁止。と全く根も葉もない噂を根拠に掲げ、我が家はゲーム禁止の家庭だった。私の時代はたまごっち全盛期だったのだが、なんならたまごっちも「命を粗末にするから」という意味のわからない理由で禁止だった。

これらの理由は全く根拠がないのに何故か世の中の親御さん方は盲目に信じている。だが見て欲しい。21歳の私を見てみればご覧の通りだ。頭は悪いし学歴はない。大学は滑り止めの滑り止めの×6のFラン大学以外全部落ちた。そのFラン大も中退した。高校は赤点ばかり。もちろん視力は最悪だ。メガネこそかけてないが、片方の目は0.3ほどでほとんど見えない。

ゲームをやらずにスポーツでもやるかと思うが、私の運動神経は残念ながら最悪だ。一応テニス部だったが、レギュラーだったことは1度もない。高校時代は経験者だったのに、未経験者にあっさり負け、後輩とダブルスを組んでいた。なんなら大学のテニス部では1番の下手くそだった。

親はゲームの代わりに体操教室や水泳などいろいろ通わせたようだが、残念ながら体は柔らかくないし25メートルは中学生になるまで泳げなかった。


私という実験台をみてもらえればわかるが、ゲーム禁止のメリットを私は全て満たしていない。うちの子は違う!と言いたい親は、現実を見た方がいい。私に残ったのは、ゲーム禁止にしたデメリットを全て被った私という存在だ。

私の親は、「頭が悪くなるから」「目が悪くなるから」という理由でゲームを禁止にした。

しかし私の時代は色々なゲームが全盛期だった。たまごっちに、NintendoDS、Wii……。友達もクラスの子も話す話題はゲームの話ばかり。兄弟の中で1番上だった私は、友達の話にはいるため『ゲームをする権利』を手に入れるのに非常に苦労した。

小学生の時に大流行りした「たまごっち」の説得からはじまり、そのあと流行り始めたNintendoDSの「どうぶつの森」「スーパーマリオブラザーズ」「トモダチコレクション」、そのあと流行り始めたWii……。

私は全て親に交渉した。友達の話に入れてもらえるため必死だった。

必死に交渉した結果、交渉成立しなかったものもあったが、上記に書いたものは全て交渉が成立した。「いやちょっと待て、ゲーム禁止じゃないじゃん!」と言いたい人もいるかもしれないがまあ少し待って欲しい。

私が長い長い交渉期間を経て買ってもらったものは、全て流行りが終わったあとだったのである。

──流行りが終わったものに対して、子供は無情である。

今でも覚えてるのが「トモダチコレクション」事件。

トモダチコレクションが流行ったのは私が小学六年生の時。当時私の友達全員(今思い出しても本当に全員)、トモダチコレクションをやっていた。

当時、近所に住んでいていつも一緒に登下校する幼馴染が私にはふたりいた。そして当然、その友達2人もトモダチコレクションをやっていた。そしてその2人は登下校の間、ずっっっっっとトモダチコレクションの話をしていた。それはもう永遠に。登校時も下校時も、ずっとである。

「ずっとって…(笑)大袈裟な(笑)」と思う人がいるかもしれないが、本当にずっとだ。当時小学生の私は親に説得するため時間を測ったことがあるが、本当に「せんせーさようなら~」をしてから、私たちが「ばいばーい」と解散するまでの約15分。途切れることなくトモダチコレクションの話をするのだ。しかも数か月くらい。

小学生の数か月なんて、もう永遠に等しい。今考えるとトモダチコレクションをなんでそんなに語れるか謎だが、なぜかふたりは永遠に話ができていたのである。そしてそんな「持ってないゲームの話」を永遠に続けられる私のこの気持ちを、少しはわかってもらえるだろうか。

もちろん「ほかの話をしようよ、私持ってないのに」と言ったり、ほかの話題を振ったり、「もうトモダチコレクションの話しないで!」と言ったこともある。逆に私が一言も話さずにそのまま帰宅したこともある。

だが相手は小学生だ。「ゆずも買ってもらえばいいんじゃん!」と言われて終わりである。ほかの話題に運良く移れたとしても2~3分ほどでその話題は終わってしまう。私がたとえ何も発言しなくとも気づきもしなかった。本当に友達2人はトモダチコレクションの話しかしなかった。私はいつも楽しそうに話す友達を横目に見ながら親に必死に交渉していた。

数か月ほど交渉すると、やっと買ってもらえた。私はさっそく登校するとき、友達にトモダチコレクションの話をしてみた。友達も喜んでくれて、わたしもゲームの仲間に入れる!!と思っていた。

しかし、現実は悲しかった。トモダチコレクションの流行は終わっていたのである。

「トモコレ(トモダチコレクション)買ったよ!」小学生の私が元気よく言うと友達は「…あ、そうなんだ」と少し冷めた反応をされた。そこから数日はトモダチコレクションの話ができたが、だんだん友達はほかの話題を好むようになった。私がトモダチコレクションの話題をだしても、少しの会話で終わるようになった。はやりは終わったのである。

結局わたしは、一人でトモダチコレクションを楽しむことになった。

今回はたまたまトモダチコレクションの話だったが、このような私の「仲間外れエピソード」「話に入れてもらえなかったエピソード」「惨めな思いをしたエピソード」「一人でしか楽しめなかったエピソード」は小中学生時代にごまんとある。語れと言われたら嬉々として語れる。

なんなら私の家庭は、バラエティ禁止、(夜九時以降にテレビ禁止なので)ドラマ禁止、朝のニュースはNHK一択(ZIPなんて素敵なものは見れない)という禁止のオンパレードだったので無事流行も追えず、輪にも入れず、友達もできなかった。

その影響からか、よくグループの子には仲間外れにされたし、いじめられたことも、馬鹿にされたこともたくさんあった。もしかしたらゲームなんてなくても、私はそういう星のもとに生まれた人間関係ド下手くそ人間だったのかもしれない。だが「もしゲームがあれば…」と悔やむ気持ちは変わらない。

人付き合いの経験値を詰めなかった私は、無事、大人になっても人間関係不得手マンである。



話が少し脱線した。

とにかく、私にとってゲームとは、友達と話が合わないこと。そういう認識の私は、大人になってゲームが買えるようになってもゲームはしなかった。

まあまんまと親の策略にハマったのである。これをみて、よし我が家もゲーム禁止にしようしめしめと思っている親がいるかもしれない。だが、本当に辞めてほしい。

私はゲーム禁止で話に入れなかったことはもちろん、人の家に来てゲームしかしない友達に、横目でゲームを何時間も見させられるという苦行をさせられたり、何ヶ月も(多分悪意なく)話に入れて貰えなかったりと悲しい思いをめちゃくちゃたくさんした。そんな体験を子供にさせたいのだろうか。

こういうと、「そんなことする友達なんかいらない!」と決まって反論されるのだが、相手は小中学生だ。そんな人の気持ちなんか考えられる年頃でもないし、「そんな友達なんかいらない」と突き放してしまえば、友達は0になってしまう。

クラスに30人、同性は半分のたった15人。その同性全員が私を仲間に入れてくれるわけではない。根本的に気の合わない子もたくさんいる。クラスという枠があるなら、友達は実質的に選べないに等しい。そもそも選ぶという発想自体が、純粋な小中学生にはないのだ。

話にはいれない中、こどもたちは一日のほとんどをそこで過ごさなければならないのである。今、私がその頃を思い出しても、ただただ苦行であった。禁止ルールなんてただの社会不適合者、陰キャ製造機である。実際にわたしがそうなのだから。


「友達の話に入れない間、勉強すればいい。」という意見を言う人がいるかもしれないが全くそれは理想論である。学校がつらいのに、どうして学校で習う勉強をしなければならないのか。実際にわたしは、まったく勉強しなかった。塾には行っていたけど、実際に進学校に行っていたのはクラスでゲームの話題を楽しそうにしていた子たちばかりである。結局禁止にしたところで、何も変わらないのだ。

いまはスマホの時代なので、少し変わるかもしれないが、正直、小中高生なんて「マイノリティ=悪」とされる年頃だ。私はゲーム禁止、というかそもそも何かを禁止にすること自体、反対である。以上、苦い小中学生時代の思い出を思い出しながら語った私からの意見である。



ーーーーーーーーーーーーー

下書き供養大会、第二弾。

これも2020年2月に書いたものです。それを少し、加筆修正しました。必死な思いが書かれていますね、笑 

でも本当に、私にとって小中学生は地獄でした。

高校時代になるとスマホ全盛期になって、私もスマホを買ってもらえて、流行についていけるようになりました。

ですので、話題に入れてもらえないという悲しい出来事は少なくなくなったのですが(まあそれでも相変わらずテレビの話題はついていけなかったんですけどね)、その頃にはコミュ力がもうみんなついてて、根本のコミュ力がない私は無事死亡しました。流行を知っていても話題にする方法を、私は知らなかったので、必死に自分のコンプレックスを自虐して笑いを取って、居場所をつくりました。

自虐で笑いを取るのを大学生でやめましたが、その後本当に苦労しました。コミュ力って失敗の許されてみんなの精神が幼い小中学生に練習すべきだなと今心から実感しています。

切実に、コミュ力が欲しい、人の気持ちがわかるようになりたい、人と仲良くなりたい。今でもそれが私の一番の目標です。


椎名ゆず。


P.S. ちなみにゲーム禁止の子が大人になるとどうなるかというと、禁止から解放された途端、私の兄弟は全員無類のゲーム好きになりました。そして私はというと、文中では「ゲームから離れました」と言っていますがあれから半年たって、徹夜でゲームするほどゲームにハマっちゃいましたてへ。

いただいたサポートでおいしいごはんを食べたり本を読んだりしようと思います。明日への生きる活力をつけたい