応答なし
『なんで連絡くれないの?』
あまりにも単純な別れだったしあまりにも腑に落ちないしでなんとなく別れてから2週間してメールを打った。
『元気?』と打って消し、まよった挙句、『なんで連絡くれないの?』という絶対直人にはちっとも理解不能なメールになってしまい送ってしまった瞬間に即後悔をした。LINEだったら取り消しは可能だ。けれど直人はLINEをやっていない。ショートメールで連絡を取り合っていた。電話で話したことも付き合って6年の間で2、3回しかない。
メールを打ってから5日たつ。
応答は、ない。
あんなに好きであんなに抱き合いあんなに一緒にいたのにさほど会いたいとはおもわないところがなんでだろうと考えてしまう。あの時間ってなんだったのだろう。別に無駄ではなかったとはおもうしひどく濃厚な時間であったとおもう。それでもあまりに簡単に終わってしまったことが、かなしい。直人はわたしが消え去った今、どうおもっているのだろう。はぁ、せーせーした、だろうか。それとも、やっと楽になった、だろうか。さみしい……。とはおもってくれてはいないだろうか。たった1%でも。
別れはいつかくるとおもってはいた。好きな男ができたから直人から離れたというのは言い訳で直人の気持ちがもうわたしにないとわかっていたので好きな男ができたということにして自分から離れていった。深く傷つくのがこわかったからだ。
所詮男と女だ。別れなどは背中合わせだったわけであり、そのつもりでかかっていかないともうそれこそ死んでしまう。とてもいい人だったし喧嘩、いい争いなど一回もしたことがない。もし直人から連絡がきたのならそれは奇跡に近いしわたしはきっと返信する。
『あいにいってもいい?』と。
知り合ったころはどうだっただろうかと記憶を探ってみると直人は一度だけ
『どこかにいっちゃいそうでふあんなんだ』
どこかにふらっといくわたしにそうか弱そうな声をそれこそ顔を赤らめてしぼり出したことがある。
どーゆう意味だったのだろう。今になっても全くわかならない。
『どこにもいかないよ。わたしはね』
そうこたえを返したようなそうでないような。もう全く憶えてはいない。桜のピンク色を一緒に5回みた。
『桜を一緒にみたのって今年で5回目だよ』
つい最近の桜の木の下でなんとなく声をかけると
『へえ』
なんじゃそれは。という間の抜けたこたえが返ってきて逆にクスクス笑ってしまった。
毎年一緒にみれるかなと桜の木の下に並んでいるときいつもおもっていた。来年はもうみれない。確定事項になった。こんなに長く付き合った人は今までいなかった。だから余計にもっと感傷的になるとおもいきやそうでもなく拍子抜けであり、けれどそれでよかったともおもうし、わたしはもう大人すぎるんだなとおもうし、これでよかったんだと納得をしている自分もいて涙すら出ないからわたしの中では直人とのことはもう完結してしまったんだなとおもいつつ、直人との短編小説が書けなくなるから直人はわたしの中でいつも主人公だったしなんだかそれだけがさみしいような気がしないでもない。
直人はいつもわたしのネタだった。たくさん書いたよ。直人のことを。きっと読んだら腰を抜かし怒るだろう。『え?』というあほっぽい声を出して。
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