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ひとりとふたり

 とにかく誰ともあいたくなくとにかく誰の顔もみたくもなくだからずっとうちの中に引きこもっている。
 けれど直人だけにはあいたくだから週末だけは直人のうちにいった。
「やあ」
 突然いってもまるでおどろかずビクともしないで、やあと短い言葉で迎えてくれる。
「あついね」
 日曜日はほんとうに暑かった。車内温度が39度という異常な高熱になっていた。
「うん。あついね。けど……」
 午後の3時。お昼でもまた夕方でもない曖昧な時間。おもてはセミが鳴いている。けど……、直人はそこでいったん言葉を切って缶ビールを喉を鳴らしてゴクゴクと飲む。
「けど? なあに?」
 待ってもその先がなかなか出てこずだったのでわたしのほうが先につづきを促した。
「風がさ、秋っぽい感じがするんだ。午前中会社にいって草むしりをしたんだけれど、時折すーっと通る風が、秋だったんだよ」
「……、あ、秋……?」
「うん」
 とても風流なことをいうな。なおちゃんは。わたしはそうおもったけれどそういえばもう8月が終わるんだなぁと改めて痛感をした。
「そうかもしれない。昼間はとってもあついけれど、夕方とかは風が秋だね」
 残暑の中にある小さな季節のうつろい。
 それにわたし達ふたりは無意識に感じている。真っ先に気がつくのは、栗でもなく、柿でもなく、洋服売り場に現れる【NEW Autumn】という洋服でもなくて、風、なのだ。
「それにしても日焼けしたねぇ。昨日ゴルフだった?」
「うん」
 毎週ゴルフだねというのはやめる。なぜなら毎週絶対にゴルフなのだ。
「これから涼しくなるからゴルフ日和になるね」
「うん」
 直人は『うん』と『そう』と『へー』だけがあればいいひとである。
「あのね、」
 テレビの中でコメンテーターがまたウイルスの話をしていてああまたかとうんざりしたので直人に話しかける。えっ? つまらないとおもっていたテレビを真剣な顔をしてみていた直人におどろきそして笑えてしまう。
「うん」
 めんどくさそうにこたえてくれたのでつづける。
「あのね、ずっと生理がとまらなくてね。なんというか10日間くらいドバッと出てくるんだよ。たまに塊を産むんだよ。レバーみたいなやつ。もうね、いやになるよ」
 ひと息にいって息を吸う。直人はへーといい、えっ? 大丈夫なの? というのはテレビが宣伝になってからだった。
 大丈夫じゃないよとわたしは大丈夫そうじゃない声でこたえる。
「貧血気味だよ」
「だろうねぇ」
 視線がまたテレビに戻る。わたしの言葉はどこか天井の隅に追いやられていく。
 先週もとまったけれどそのときも大量の生理だった。けれどいわなかったし気がつかれなかった。いわなかったしいう必要などなかった。そうゆう行為はしばらくしていない。わたしの口が手が彼の処理機になっている。わたしの体には全く触れない。それでもわたしは虚しいとか苦しいとか憂鬱とかおもわない。
 欲望むき出しになる直人がみたい。それだけなのだ。他のひとにはないこの感覚はいったいなんだろうと考える。
 理由などはないのかもしれないしあるのかもしれないしそれはあやふやで空気がつかめないように無意味でわからないのだ。

「レバーでも食べるか」
 夕方うたた寝をしていたら頬を人差し指で突かれる。あ、眠ってたよ。よだれを拭きながら笑っていう。
「いびきかいてたし」 
 今度は髪の毛を撫ぜ寝癖をなおしてくれる。髪の毛跳ねてるよというふうに。大きくて無骨な手のひらで。
「あるの? レバーが」
 ないよと笑う。買い物にいかなとならないなとつけ足す。
 何時だろう? わたしはうたた寝をしていたソファーからテーブルに手を伸ばしスマホとりあげる。
 19時7分。
 どうして布団に入ると熟睡できないのに瑣末な時間のうたた寝はよく寝た気になるのだろう。体がまるで風船のように風船になったことはないけれどいやに軽かった。
 買い物にいくためにマスクをしおもてに出ると生温い風が頬と鼻と唇を舐めた。
「おお。風がやっぱり秋だね」
 隣にいる直人の声が下におりてくる。
「おお、そうだね。秋だね。サンマの季節になるね」
「うん」
 車の中はまだ昼間の熱気を持ち合わせていた。窓を開けて秋の風をとりいれる。
「涼しい」
 感嘆の声でつぶやいた。
 流れる車窓からみえる濃い色をした街の中を眺めているうちに急に視界がぼんやりし目頭が熱くなっているのに気がつく。
 わたしはなぜか泣いていた。
 とめどなく流れだす涙に戸惑うも涙は流せるだけ流しておこうと決め故意に流れるままにしておいた。涙活。そんな言葉があったなとぼんやりと頭の中でつぶやく。
 そっか。わたしは泣きなかったんだ。直人の前で。無邪気に。
 鼻水をすする音と他の車のエンジン音がかわりばんこに直人の耳にはいっているに違いない。違いないけれど直人からはなにも声がない。
 横を向くことも前を向くことも息を吸うことさえもうまくできそうにない車内で、わたしはどうしょうもなくひとりでどうしょうもなく孤独でどうしょうもなく生理不順で。
 肩を震わせながらわたしは、な、なおちゃん、と名前を呼び、彼はけれど言葉を失ったひとのように木偶の坊のように固まってしまっているのがみえてないけれどまるで目が後頭部についているかのように透けてみえるかのようだった。

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