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マエダスカイツリー

 どう満開かな。満開じゃないのかな。お互いにそういいあい、窓の外に目を向ける。今週末が超みごろだな。修一さんは桜の開花についてもうひとことだけつけ加えた。
『きょうどうかな?』
 お昼にメールがきていた。1週間ほど前、わたしは修一さんにとてもくだらないメールをした。
『元気になったの?』
 と。
 三回目のワクチンを打ってからとても体調が悪いということを以前あったときにいっていて、ほんとうに体調が悪そうだった。2週間ほど前になる。
「怠いし、体に力が入らないっていうか。もうなんだかどうでもいいけど怠いし。あ、俺怠いってばっかいってるわ。ごめん」
 ホテルに入ってしばらくしてから口が開き自分のいま現在の体調を報告をしたのだった。
「なので、使い物にならないかもしれないよ」
 笑いながらそうつづけたので、ははっ、とわたしはちょっとだけ笑い、いいよべつにしなくてもいいよと強要をしない口調でこたえた。
 その日はまだ肌寒く修一さんは長袖Tシャツにブラウス。ニットのベスト。ナイロンのベスト。その上に紺色の作業着を着ていた。わたしもたぶん厚着だったとおもう。桜が咲くなんてまるでおもえないほどの気温と季節だった。
 けれど、修一さんは寡黙にわたしを抱いた。終わったあと、もうだめ。死んじゃうかも。ということをなんでもないようにいってのけたから、黙ってわたしは修一さんを頭から抱きしめた。うっすらと汗をかいていた。

「もうすっかり良くなったよ。でもワクチンのせいだったのかは謎」
 車を走らせながら、謎とかいうので、わたしはなにその謎っていうのはとお腹を抱えて大笑いをする。
 きょうね、メールがきてうれしかったんだ。でもさ、1週間もほったらかしってさ、ずるいよね。元気なら元気だよとかメールできるでしょ? メールくるの待っちゃうじゃん。待っている時間がいやなんだよ。待っているってことは、ずっと修一さんのことを考えているってことなんだよ。ずっとだよ。考えない日なんてないんだから。ストーカーとかじゃなくてね。もうほんとうは楽になりたいんだよ。楽になりたいってことはね、修一さんに出会う前のわたしに戻りたいってことで。だけどもうそれって無理でしょ。だからどうすることもできないからね。こうしてあっているときは極力わたしはあなたのことをそんなに好きじゃないですけどなにか? というていで接しているのね。わかる?
「花粉症だから。マスクが重宝してるよ。菜の花のほうがわたしにはきびしいかな」
 どうして心のうちでおもっている文章を声に音にできないのだろうか。少なくとも言葉にしたら楽になる方法があるのかもしれない。しれないけれど、それって別れるかという言葉? それはそれでいやだし聞きたくもない。
「俺も。目が痒いから擦ってばっか」
 花粉だねそれ。目を擦っている修一さんのほうに目を向ける。なるほど。目が血走ったよう真っ赤になっていた。
「あれ、」
 わたしのうちは川沿いにあり、それに沿って桜がバカみたいに咲いている。迎えにきてもらったのは一緒に桜をみるためでもあったのだ。あれ、と目にしたものは、工事中の建設現場だった。川沿いになにかしら建物が建つようで、けれどそれがなにかまるでわからない。わからないけれど、筒状になった足場をみる限り、長細ったなにかが建つはずだろうことはなんとなくわかる。
「あれ? そうそうなんだろうね。この前さ、ボーリングしてたし。温泉かなぁ」
 そんなわけないけれど、まあまあいい加減なことをつぶやく。
「いやまさか。違うだろ。スカイツリーじゃね? マエダスカイツリー」
 それはないでしょー。だね。わたしはまた大笑いをした。修一さんが、あれ、でもゼネコンだし。請け負ってるの。大林じゃんとあれれという感じでいう。
「じゃあ、マエダスカイツリーかもね」
 いやいやこんな田舎で川沿いでなにもない場所にとんでもない建物が建つわけがない。マエダというのはその場所の何丁目のことだ。前田町。
「ゼネコンが入ってるから結構大物かもしれないなぁ」
「へー」
 その場所を通り過ぎる。桜並木も同時に終わった。一緒に桜をみただけでわたしだけ胸がいっぱいだった。彼はいっさいそのような感情など持ち合わせてはいないだろう。わたしだけの一方通行。そんなことはずっとわかっているのだ。もう何年も前から。
 
 ゼネコンってさ、スーパーゼネコンは別として工務店ってまあゼネコンっていうんだよ。
 またベッドの上にいてそんな話になり裸になっている。ああ、このひととどうして別れられないのかが抱かれるたびに確実にわかってしまう。
 ものすごくいいのだ。こう説明できないなにかが。死んでもいいとおもわせるなにかが。このひとに出会ってよかったなというときは裸で抱き合っているときだけ漠然とおもう。おまえ、俺の体目当てじゃね? そういわれたら、うんそうだよといえてしまうほどいいのだ。けれど、これって体の相性がいいのって逆に地獄じゃないかともおもう。あえない時間が苦しい。こうして定期的に抱き合ってしまうとまた次はいつかなともう次のことだけを考えてしまう。不思議と毎回感じる温度が違う。それもいいほうに違う。悪いほうに違えばいいのにっておもうけれど、いつもそれを裏切るようにわたしをわたしの全部をだめにしてしまう。ひどい。ひどいよ。つぶやくと、修一さんは黙ったまま動きと呼吸をとめ、四角い部屋の白い壁の昭和のジャンデリアに平成の大型テレビに囲まれたわたしたちがとても滑稽にみえた。あと、二回桜をみたとするとこんな関係になって10年になってしまう。長いな。ぼんやりとした頭で指折り考える。10年って。その数字に愕然とする。わたしたちは先もないし、別れる理由すらない。お互いに既婚の場合。別れることはあまりないとなにかのサイトに書いてあった。まあそうかもしれない。どちらかが死ぬまで。それならわたしが殺してあげる。それか、首を絞めて殺してほしい。
「ねぇ、」
 背中を向け呼吸すらしていないような修一さんに声をかける。こわごわとした感じで、え、とゆっくりと振り返る。
「腹が減ったよ」
 お昼を食べ損ねめちゃくちゃお腹が空いていた。低血糖で死んじゃいそうだよとつけ足すと、死なねーしと一蹴される。
「何時なの? いま」
「7時すぎ」
 わかった。なにがわかったのかわからないけれど修一さんはベッドから這いでて帰り支度をしだす。わたしもだから修一さんと同じ動作をした。
「回る寿司と回らない寿司どっちがいい?」
 ニタニタしつつ質問をされる。
「回るほうで。PayPayで払うからいいよ。わたしが」
「なにそれ」
 自動精算機で会計をしホテルからどうどうとでていく。とても悪いことをしているのに当事者であるわたしと修一さんにはまるで罪悪感はない。許されない行為だとしても。もう世間などどうでもよくなってしまっている。普通のカップルではないのに。だ。おかしいだろ? 普通は。
 おもてはまだ少しだけ夕方の気配を残していた。それでもやっぱり寒くない。春だなぁと心と肌に沁みた。車は国道を走っている。このまま高速に乗ってどこか遠くにいきたいなといおうとしてやめた。お腹がぐーぐーとなっていて、そのたび、わたしは、ねぇ、あれしってる? と意味ないことをつらつらと話し始める。 

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