潮時

「あ、いたんだ」
 急に蛍光灯の灯りがつき眠たい目をこすりながら顔をその声に向ける。
「いつ来たの? てゆうか靴なかったよね?」
 作業着のままコンビニの袋をテーブルの上に置きながら続けて喋っている。
「5時くらい。眠たかったからねてた。靴はあるよ。隅に。あるよ」
「小さいから気がつかなかった」
 そんな小さくないよっ、とわたしは笑う。直人の布団の中にいるといつも眠ってしまう。わたしの眠る場所はいつも布団の右側。ずっとそうだ。いやそうだった。最近はどうしてか直人は朝にならないとわたしの横に来ない。こっちで寝たら? そういってみても、うん……、とどこか煮え切らない声をだし結局来ない。
「ゴルフだったの?」
 ゴルフウエアだったので質問の形をとる。土曜出勤だと勝手におもっていた。
「うん。そう」
「へー。どうだったの」
 どうもこうも、そこで言葉を切りやっと椅子に座る。鬼殺しを手に持ちローソンのからあげを口に入れる。いつもと同じだよ。その声はひどく掠れておりひどく疲れていた。1週間ぶりにあった。まだ1週間なのか、もう1週間なのか。きっともう1週間なのだろう。わたしと直人はそれ以上の会話はなくなりそれ以上なにも喋ることがなくなってしまい、わたしは布団の中で目を閉じた。

 その数時間前。わたしは修一さんにあっていた。修一さんはわたしに仕事の愚痴と精子だけを吐き出しわたしの顔などまともに見ず、勝手に喋り勝手に果てて勝手に帰り時間を決めてわたしの近況などお構いなしにさっさと帰り支度をした。
「どうして、そんなに勝手なの?」
 と、自分のおもいを心の声を本当の声に変換できたのならどれだけ楽だろう。結局なにもいえないまま涙すら出ないままそのまま直人を待った。直人に何かを求めていた訳ではない。ただ、抱きしめてくれるだけでよかった。けれど、その当事者である直人も勝手だった。わたしは行き場のない感情を押し殺し直人の布団の中で泣いた。

 はっと目が覚めお化粧を落としてないことに気がつきソファーで伸びている直人を横目にシャワーを浴びにいく。テレビだけついており部屋の電気は消えていた。シャワーをし顔を洗い部屋に戻ってまた布団に入る。わたしが起きたのがわかったのか直人も顔を洗いにいき戻ってきてテレビを消して布団の中に滑り込んでくる。
 なぜか違和感があった。
 なんだろう。今までにない違和感。どこかよそよそしい違和感。直人は背中を向けている。わたしも背中を向けている。背合わせだった。
「……、ちゃん」
 わたしはそっと直人の名前を呼ぶ。なおちゃん、なおちゃんと。
「……、ん?」
 返事がくる。眠たそうな声が。おもては雨が降っている。結構降っている。静寂な部屋の中に雨の音だけが響く。
「なんでもない……」
 なんでもないわけなどはない。けれど直人はなにもいわない。待ったけれどいつの間にか寝息がスースーと聞こえてきた。
「あのね、もうわたしたちってダメなのかな? こんなに会話がなくて。一緒にいてもつまらないでしょ? なおちゃんは。だってちっとも笑わないじゃない。お酒ばかり飲んで……。あ、これひとりごとだから。気にしないで。けどね、もうダメかもしれないね。好きだれど、もうなんかわたしだけが好きで、もう疲れたよ」
 呪文のようにtwitterで呟く。twitterではいやに饒舌なのに本人の前では寡黙になってしまう。
「疲れた」
 今度はきちんと声を出して天井に吐き出す。天井に向かった声が音が跳ね返って戻ってくる。わたしと直人は夜の闇に雨の中の夜の闇に消えてゆく。思い出も一緒に消えてしまえばいい。わたしはますます涙が溢れかえる。なおちゃん……。直人の背中の方に体を向ける。直人の背中は以前よりも小さくなった気がしないでもない。知りすぎたのかもしれないし、あまりにも知らないことが多かったのかもしれない。わたしは決める。

『別れよう』と。

 日曜日の朝も雨だった。おはようという直人がまたすき家に行くかと誘ってくる。うん。行く。わたしはちょっと待っててといいながら布団から出る。直人は結局わたしを抱かなかった。そんな日が続く。もう女としてみていない。わたしはもうそうゆう対象ではないのだろう。涙をこらえ、つめたい水で顔を洗う。バシャバシャと。目が腫れていこれはまさに目もあてられないなとふふふと笑う。けれど直人はわたしの顔など真剣にみないからどうでもいいといえばどうでもいい。
 すき家に行くと意外に混んでいておどろく。
 いつもの朝定食を頼み窓際の席に座る。平和だなぁと窓の外を眺めながらおもいふける。もし別れたらこんなことも出来なくなる。別れないでもいいのかもしれない。別に別れを告げられた訳ではない。ただ、この不穏な感じが嫌なのだ。
「ポテトサラダ食べる?」
「うん!」
 そんなに喜ぶこと? 口の端に飯粒が付いている直人はひどく子どもじみている。
「付いてるよ」
 人差し指を直人の唇に持っていき飯粒をとり口の中に突っ込む。直人は黙ってそれを受け入れふっという感じで笑う。わたしも目を細めて笑った。
 マンネリ。
 夫婦じゃないけれど付き合っている月日は長い。わたしはこれ以上なにを求めているのだろう。国道沿いにあるすき家の中でわたしだけがグレーのオーラを纏い鬱になっている。
 窓に打ち付ける雨の音がとても大きくてこのままガラスが割れたら愉快だなとそんなことをふと考え、いやいやないないと首を横に振った。

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