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相撲

 おふくろが入院したんだ。あうなり修一さんが肩をがくりと落としそう口にした。俺があのとき病院に連れていっていれば。なんでもっと早く気がつかなかったんだろう。ひどく自分を責めていたので、それは違うよ。と切り出し、弟さんいつも側にいたのにね。そうそう。弟さんだって気がつかなかったんだから。という全くもって慰めになっていないことを口走ってしまった。
 修一さんは長男だけれど上にお姉さんがいて下に弟がいる。その弟は独身で母親と暮らしているけれど母親にまったく関心も感謝もなくただ会社にいくだけで炊事洗濯すべて母親がしていたという。
「けどなぁ。弟を責めることなんてできないしなぁ」
 優しすぎるよ修一さんは。心の中でつぶやいた。
『時間ある?』
 前回あってからあまり日にちも経ってはいないのにメールがきてただびっくりし
『うん』
 短く返信を返してまたホテルの一室にいる。以前よくいっていたホテルはもうまずいかも。待ち合わせもまずいかも。そういうことになり別のホテルに各自でいく。そのほうがいい。けれどホテルに着くと修一さんの車は堂々として入り口付近に停まっており、おいおいとおもいつつそのとなりにわたしも停めて一応修一さんの車のナンバーをナンバーを隠す板で隠す。こういったことに対してとてもむどんちゃくなのだ。
「調子悪いっていっていってたんだけどさ、まさかの入院で。しかもまずい状態だったとかさ。もっとこうじょじょに悪くなっていってああもうダメかもけどまだ大丈夫かもをいったりきたりして心の準備ができてからでないと急にねー。死んだらさ」
 いっきに話し喉が渇いたのか缶ビールをホテル備え付けの冷蔵庫から取り出してプルトップをあけて唇を湿らす。そしてわたしのほうを一瞥しつづける。
「いま、死んだら、俺さ、ずっと自分を責めそうだよ……」
 そういって今度は缶ビールをゴクゴクと飲んだ。なにをいってよいのか返答に困惑をした。言葉がみつからない。わたしは頭を垂れてうつむいていた。
「いつかはさ、人間死ぬんだけれどな……」
 ぼつんと放った言葉の重み。そうわたし達はいつかは死ぬのだ。順番に。皆平等に。
「……そうだね」
 やっとという感じで絞りだした言葉は暖房の音にかき消されてしまい、修一さんの耳に入ったかどうかはわからない。
 母親が入院したことを奥さんにはいっていないという。なんで? という問いに対して、いっても他人だし、へーそうなんだで終わるからいわないでもいいとのことだった。
「じゃあ、なんでわたしには話すの?」
 疑問文が喉のそこまで出かかっている。けれどどうしてもいえなかった。以前、奥さんには仕事の愚痴とか一切話したことがないといっていた。けれどもわたしには話す。なんでも話す。そして抱く。そのことをエステのお客さんに話したら
「それな。つまりはあやさんは都合のいい女なんだよ。男からしたらもう天使だよ。それは。希少人物」
 希少人物ぅ? そうかなとわたしはわかっていけれどわかっていないように笑う。
「どうせ、うんうんって聞いちゃうんだろ? そうなんだとかいって。そして抱かれる。もう絵に描いたような都合のいい女だ」
 はいはいわかってますって。もう決して笑えなかった。
「奥さんには知らせたほうがいいかもしれないっておもうけどぅ……」
 どうでもよかったことだけれどどうでもいいことをいっておく。
「まあ、な」
 風が強く吹いていて窓の向こうから窓を叩く音がし、冷蔵庫がヴィーンと音をたてた。会話はおもうようつづかない。ずっとアイドリングをしているようだった。いつ発進するんだろう。
 抱かれているのに修一さんを抱いているような感覚におそわれる。甘えてくるおとこのこのようだった。いつもの獰猛さはあまりなくただただわたしの中に入ってはでて入っては出てそれを愉しんでいるかのようだった。頭の中が一瞬クリアになる。行為をしているあいだは日常で起こっている瑣末なことを忘却できるから。それはわたしも同じ。修一さんとわたしは少しだけ共依存傾向にある。それはわたしだけが気がついている。修一さんはわかってはいない。わたしの体に修一さんの体に依存をしていることに。病気。だからなかなか離れることができない。
「昨日さ、水道屋にいったんだよ。正月の挨拶も兼ねて」
 裸で川の字になっている。穏やかな行為でいつもはぁはぁと息切れをする修一さんの声は落ち着き払っている。
「うん」
 今日の行為もよかったなとぼんやりとした頭でうなずく。なんでこんなにいいのだろう。もうこのやろうとおもってみる。
「で、玄関に猫の置物があったわけ。けどあれあったっけかあんなところにって記憶を辿ってみたんだけれど猫の置物なんて以前はなかったんだよ。事務員がいて『この置物ってほんものみたいですね』っていったら『愛想ないでしょ』ってクスクス笑うんだよ」
「うん」
 うなずく。まだ行為の余韻が残っている。またしたいよといってみるのはどうだろうかと考えてみる。
「え? とよく猫をみてみると、なんとびっくり。ほんものの白猫だったんだよ。まったく動かないの。その猫。真っ白だし」
「へー」
 へー。そうなんだね。おもしろいーとかいいつつ、修一さんの腕に絡みつく。蛇みたいに。
「ウザァ」
 その腕をほんとうにうざそうにはらいのけた。きゃっきゃっいいながらやっと会話が発進をしだした。好きなの。というと目つきをキツネ目にし、ウッザとまたくりかえした。
「あー。なんかスッキリした。なんだかとても」
「そう?」
「そう」
「へー」
 たくさん喋って気分的にスッキリしたのか、精子を放出しスッキリしたのか。なにがスッキリしたのかはわからない。わからないけれど明らかにあったときよりも元気を取り戻していた。
「わたしってさ、なんでも聞いてうなずいて抱き合ってさ、気持ちがいいことをして。これってものすごい都合のいい女じゃないのかな」
 もしこうやって本音をいったのならきっと違うからと否定の単語をつらつらと並べるのだろう。
「いやいや違うか。わたしがあなたを都合よく使ってるの。都合のいい女に都合よく使われている男なんだよ。修一さんは」
 このほうがいいだろうか。
「あ、相撲さ、いま、ちょうどいい時間じゃない?」
 わたしが相撲好きだと知っているので修一さんがテレビをつける。
「キャー。照ノ富士!」
 裸で暖かい部屋で好きなひとと相撲を観る。さっきわたしたちさ、相撲とったね。というと修一さんがなにそれと口角をちょっとだけあげてふふふと小さく笑った。

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