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オトコを買う

 2万円で男を買った。男の体を買った。男の時間を買った。2万円が高いのか安いのか相場がわからない。けれど男は店には内緒でいいからと笑い、時間をかなり延長してくれた。
「こうゆうの、」
 ベッドに先に入っていたわたしの横に来た男が声をかける。こうゆうの? わたしは続きを待つ。
「こうゆうの。男をこんなふうに呼ぶことってよくあるの?」
 好きな声だとおもった。好きな顔でもあった。
「ううん。ないよ。……けど、よくはないだけ……」
 けど、のあとの言葉だけは声が小さくなった。
「へえー。そうなんだ。普通そうな人に限って真顔で嘘をつくからね。別に嘘つかないでいいよ。女性の方が性欲が強いんだからね」
 シャワー浴びてくるね、といい、わたしの横から居なくなる。ムスク系の香水の匂いがし、他人ということをより一層強く感じさせた。
 性欲……。確かに強いかもしれない。けれどそれだけじゃない。こともないかと広いベッドの中で考える。さみしいだけ。女である意味をもっと得たい。性欲以上にいいたいことはたくさんあるけれど、性欲で一括りされることになんともいえない感情が湧く。
 男がシャワーから出てきて、前払いだというのでお金を渡した。
「先にオイルマッサージをしますね。うつ伏せになって」
 バスタオルを巻いていた。それをマジシャンのようにさらっと引っ張りあっという間に剥いだ。背中が無防備になる。
「寒くない?」
 声が背中に降りてくる。寒くはなかった。暖房が効いている。暖房の唸る音だけが部屋に響いている。寒くないよ。わたしはいい、目を伏せた。
 さっき顔を知り、お金で買った男がわたしの背中を舐めるように触る。背中を触りながら胸もなんとなく触る。あっ、つい、声が出てしまう。男の吐く息が徐々に荒くなってゆく。わたしは疼く。わたしの買った男はプロだった。プロの仕事をしてくれた。気がつくとシーツに水溜りができていた。こんなことは初めてだった。
 一瞬気がどこかに飛んでいってしまい、このままもう死んでもいいとさえおもった。死なないからと男は笑った。愉快そうに。まだまだこんなの序の口だよとまた白い歯を見せ余裕の笑顔さえみせた。
 体内からたくさん水がでたけれどちっとも喉が乾かない。男が心配をし口移しで水を飲ませてくれた。
「すごいね。こんなになって。水分とって」
 異様な優しさにわたしは顔を覆い泣いてしまった。なんの涙なのかまるでわからない。どうしたの? 痛かった? 不快なことあった? どれもあてはまる項目などないけれどその優しい単語たちがわたしをさらに泣かせた。感じながら泣いてしまいどうしようもなくなって男も同じよう困惑した表情になっていた。 
 体の水分が全部できったのではないかというほど下から上から出て干からびているわたしを男が抱きしめ
「どう? 満足した」
 まんぞく? わたしは抱きしめられたまま同じことを繰り返した。そう満足したかなとおもって。男の声はひどくかすれてしまっていた。
「うん」
 満足とかそうゆうのではないんだけれど、うんよかったとこたえた。よかった。男は笑いながらそういいわたしの髪の毛をそっと撫ぜた。新幹線が通過する音がし、最終だなと冷静におもった。
「あやさんってなんか雰囲気がさやんわりだよね。こうなんというか、掴んだら消えそうな感じ? うまくいえないけれど。ごめん。俺口下手」
「……そうかな。そんなふうに見えるかな。わたし」
 男は、うん見える、といいきった。けれど、キレイだねと多分お世辞をつけ足して。
「キレイって、いわないで。わたしその言葉嫌いなの」
「なんで? キレイな人にキレイっていってはダメなの?」
 はいはい、わたしはそういい笑う。男も一緒に笑った。キレイなんかじゃないよ。わたしはほとんど整形だしとは決していえない。見た目だけはキレイでも心など溝のように汚くて臭い。わたしは、わたしの全ては腐っているに違いない。
「さっき、」
「え?」
 無言がややあったあとわたしから話を切り出す。暖房が切れていて寒い。布団を引っ張り被る。
「さっきね、されているとき、頭の中が真っ白になったの。いつにない、無ってやつ? ベッドの上にいるときだけ頭の中が、こうね、無になるんだよ。嫌なこととか全て忘れて……」
 男は黙って聞いている。嫌なこと? わたしはいつも憂鬱を抱えている。男に抱かれているときだけ、誰でもいい、抱かれているときだけ唯一、無になれる。依存ともいうかもしれない。一種の麻薬。一瞬の快楽。その後にあるものは後悔と倦怠と寂寥。一気に奈落の底に落ちる。
「……それもさ、」
 男はそこで言葉を切り、唾を飲み込み続ける。
「それもさ、人生だし。深く考えないでもいいんじゃないの? あやさんってそうゆうとこ繊細さんだね。誰だって忘れたいことあるし。俺だっていろいろあるよ。こんなんでもね」
 そういいながらへへへと悪ガキのように笑った。
 天井にふたつの電球がぶら下がっている。薄暗くしてあるけれど、目が慣れてはっきりとその輪郭を残している。電球たちはわたしの喘ぎ声を聞き耳を塞いだのだろうか。うるさいなとおもいながら薄暗い明かりを照らしていたのだろうか。
「先に帰って」
 わたしは隣にいるわたしの買った男に命令をする。わたしが買ったのだから。男はもうなにもいわずきかずして着替え部屋から出ていった。また、よければ呼んで。といい残して。
 ムスクの匂いまで置いてゆき、わたしはさらに惨めになりしばらくベッドの中から出れないでいた。深夜0時を過ぎてしまい、宿泊料金になっているというのに。このまま、もう、ずっと眠っていたい。
 新幹線の通りすぎる音がしたけれど、多分気のせいだとおもいまた目をつぶった。

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