煮えきらない男

 まじで? ってそれを今ってゆうか今さらいうのぅ? 目の前じゃなくコロナなので横並びで座っている男が唐突になんの脈絡もなく、あ、そこの天かすとって、というような軽い口調で切り出した。
「でもさ、なんで寿司屋じゃないのに並んで座ってんだろうね」
 なるべく対面ではなく横並びに座りましょう。とお店のドアに書いてあったのであたしと男は律儀にそれを守っている。ただの古くさい喫茶店だ。結構奥ばったところに位置するこの喫茶『マコト』はあたしと男が秘密会議によく使うところで、コロナの自粛要請によって最近やっと再開したのだ。相変わらず不味くて温いホットコーヒーを啜る。喫茶店なのにどうしてこんなにもコーヒーが不味いのだろう。それでも潰れないのはきっとあたしと男のような曖昧な関係の人が主に利用しているような気がしてならない。まずもってお冷からして不味い。
「そうだな」ははと男は笑いたくもないのに笑い、あ、チーズケーキ頼もうか、と声を上ずらせながら、すみませんーとマスターに声をかける。
「いらないから。あたしは」
「え? でもそういいながらもいつも食べるじゃんか。まあいいじゃん。コーヒー超ー苦いしさ」
 顔をしかめてそうつけたす。
「で?」
 でぇ? 男があたしの目をじっとみて首をかしげる。何事もなかったような顔をして。
「さっきいったことだよ。俺たちの関係性っていったいなんだろうか。って」
 あーあー、と納得をし、それだよそれと話が振りだしに戻る。
「あたしは好き。好きだからこうやってあってるの。好きじゃダメなの? あなたは? 好きじゃないの?」
 お待たせしました。とマスターがチーズケーキを持ってくる。不二家のじゃね? くらいにでかいしあまり美味しくない。デカイとにかく。
 んー、と言葉を探している男に妙に苛立ちをおぼえる。嘘でもこうゆうときは『好きに決まっているだろ? お前が一番なんだよ』といえばいい。その場は穏便に済ますことが出来る。
「好きでも嫌いでもないっていったら怒る?」
 怒るよね。といっておいて自分で納得をしているようでなんだか途方にくれる。
「怒るに決まってるじゃん。あたしだけが好きでそっちはぞんざいな扱いであたしだけがバカみたいじゃん。好きじゃないけど嫌いじゃないってそれ、その言葉ってずるいんだよ。傷つくんだよ。はっきりさせたいのが女なの。女は言葉を言葉だけが欲しいの」バカ。と小声でつぶやきながら大きなチーズケーキをフォークですくって口の中に入れた。甘い。今度はコーヒーを飲む。苦い。甘いから苦いものを欲する。それは人間の摂理でありどこか恋愛に通ずるところがあるような気がしてならない。甘いと苦いがまるで拮抗しているようだ。
「俺は、」
 チリン、チリン、とお店のドアが開く鈴の音と、俺は、の声が重なってしまい、男はぁと息を吐いてコーヒーに手を伸ばす。苦いねといい顔をしかめる。
「そう、俺はお前と結婚をする気もないし嫁さんとも別れる気もないしだからこの先このままでまあセフレ的な軽い感じでもいいんだったらもうこんな話はしないよ。だからお前の好きにすればいい。割り切ってあうことに抵抗がないならそれが一番いいから。ずるいけど」
 ずるいよね。本当に。あたしのことバカにしてるよね。家畜扱い、いやそれ以下でしょ? という言葉をまるっと飲み込んで
「騙されてあげる。ずっと。一生。死ぬまで」
 横並びでよかったな、こんなに顔を見られたくないことなんてないくらい顔が強張っているのがわかる。
「このままでいいよ。セフレでもいい」
 といいつつも今までもずっとセフレだったじゃんかよ。おい、と自分で気がつき急に笑いがこみ上げてきて抑え込むようまた美味しくないチーズケーキをフォークでぶっさした。
「もうさ、10年だよ。あたしたち。ねぇ。今さらこんな話って。なんでなの?」
 定期的にこの話題は議題に上がる。まずもってあたしが独身なことが男にとってネックといえばネックなので彼氏はいるといないけれど嘘をついている。俺だけじゃないんだと思えばさほど負担にもならないと思い嘘をついてもう5年だ。彼氏という架空人物は西島秀俊のような人でサラリーマンと伝えてある。
 あなたのことがこんなにも好きでなのに他に男をつくるなんてことなんて無理な話だ。あたしは要領が悪いしいっぺんにふたつのことができないとても不器用なバカなのだ。
「今度さ、もっと嫌らしい下着つけてきてよ。なぁ。俺さ、下着フェチって知ってんだろ? てゆうか買ってやる? あ、でも金はあげるけれど一緒には行けないからさ」
 あ、うん。そんなどうでもいい下着フェチの話などどうでもよくてなんかもどうでもよくて、すみません。とマスターに声をかけ、苺のショートください。というと、あ、今日はないですねぇと眉根をひそめるから、じゃあ不二家で買ってきてくださいませんか? だってこれこのチーズケーキ不二家のですよね。わかってます。あの駅前のですよね。とまくしたてる。
 マスターの表情が能面になっていてよく見ると真っ白い顔になっていた。
 男の方も顔が能面になっていてけれど色黒なので色はこげ茶になっていた。窓の外に目を向けると歩いているおっさんも真っ白だし高校生らしき少女3人の顔も皆一様に真っ白だった。
「バカにしやがって」
 マスターは、買ってきます、と慌ててチリンと鈴の音を立ててドアを開けた。
「今、帰ったら無銭飲食で捕まるかな」
 あたしはクスクスと笑う。男はぎょっとした顔をして震える指でアイコスを手に取った。

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