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大切な人の死を受け入れる幸せ

「大切な人の死を受け入れる幸せ」というものがあるような気がする。

もちろんその人ともう二度と会えないのは本当に悲しいし、その人がこの世界にいないと思うと胸が潰れるほど苦しい。

でもそれは本当は、これまでこの地球上で数え切れないくらい行なわれてきた営みの一つで、そして、これからも無限に行なわれてゆくことの一つ。
だから、本当はそれを恐れたり拒んだりするのではなく、大きな自然の流れの一つだと捉えるべきなんじゃなかろうか。

生きることも死ぬことも、この大きな自然の中で永遠と繰り返される営みで、どちらが欠けても成り立たないものなのだから、実はどちらかが美しくて、どちらかが忌むべきものというはずがなくて、そのどちらもが同じくらい大切で、同じくらい尊いんじゃないだろうか。

でも、僕たちはその片方だけを大切に思い、もう片方には近づきたくないと、つい思ってしまう。本当はどちらも自分にとって大切なものとして、優しく胸に抱きしめてあげるのが自然なことではないだろうか。

だから、大切な人の死を受け入れるのは本当は幸せなことなのだと思う。
一番辛いそのことを通じて一歩自然に近づき、それを繰り返すことで、自分の死をも生と同じくらい尊いものと受け入れられるかもしれない。

そう、それは必ずしも悲しいことではない。
本来は自然なことであり、本当は幸せなことのはず。
だから、大切な人の死を受け入れられたときには、空に向かって報告すればいい。
僕はまた一つ幸せになりました、ありがとう、と。


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