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性善説と性悪説

人のことを性善説と性悪説によって二極化せしめる気は毛頭ないが
人は自分が思うほど善な、Safeな存在ではないかもしれないことを
自分に言い聞かせねばならない。

そりゃ、他人の考えていることなんてわかるはずがない。自分と全くの反対かもしれない。でも、どこか自分が親切にしていれば、相手も同じように親切にしてくれる、嫌な思いなんてさせるはずがないと思っていた。
だが、この一年でにわかに崩れ去る出来事が何度かあった。
軽い痴漢だ。

そう、二、三回あっただけの人を大丈夫だと、思ってしまっている自分もよくないと思う。お酒も入っていたし、自分の理性を保てるようにコントロールできなかった。

にしても、どうして嫌だと分からないのか。普通に仲の良い私と君の関係性がこれまでと違ってしまうことが考えられないのか。

これもきっと私の考えであって、私の態度がそれを誘発したかもしれないし、最初からちょっと触ってやろうとか、もう根本からきもい考えを持っていたのかもしれないが。

結局は、自分は自分で守らなくてはいけないし、付き合いの浅い人を完全に「善人だ」と信じ切るのは危ないから、気持ちの距離をとる必要があることを学んだ。

何はともあれ、痴漢はきもいし、そんなしたやつと二度と会いたくないし
やられた方はしっかり覚えてるし、死ぬほど引くのでやめてください。

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