沈黙は加担
以前、賢い者は沈黙する。しかし、沈黙は是なのか?と書いた。
「沈黙は加担だよ」
私の周りは愚直すぎて自営業、フリーランスしか生きる道がないような人が多いので、そんな言葉が飛んできた。
危険は減り、クリーンな世の中になってきたけれど、良い方向へ向かっているか?と問われれば、そうは思わない。
暮らしやすくはなったけれど、なんだか生き辛くなってきた。(自然や人間臭さと切り離されずに生きてきた世代的価値観からの視点で)良いとは言えない方向へ流れ始めているような気がする。
そう感じつつも何も言葉を発さない。
確かにそうだ。彼は正しい。
沈黙は加担だ。
今月号の暮しの手帖の序文が追い打ちをかけてきた。
「若い人に媚びていない美味しいプリンでした。大人ないいお店ですね」
媚びていないという言葉に稲妻が走ったのだった。
媚びないのは賢くない選択だという事を理解しつつ、媚びるくらいなら時代に呑まれ消えていこうという気概を携え店を営んでいる。
それを汲み取って、こんな直接的な言葉で伝えられたのは初めてだ。おとなしそうなその方の肚の底でグツグツ煮えたぎる反骨精神を、思わず噴き出させる熱を与えられたようで嬉しかった。
みんな煮えたぎる反骨精神を賢さで必死に押さえつけているのだろうか。噴き出させたいものだな。それにはまず私が沈黙を破らなくては。
憧れの大人、素敵な大人が減った気がする。
媚びている大人が多く目につくようになった。
素敵な大人は減ったわけではなく、もともとそんなもので、snsで素顔が、いろんな顔が見れるようになったせいなのかもしれない。(謎のヴェールに包まれていた)大人の底が知れてしまう社会になった。
実際に減ったのかは分からないが、事実として憧れの対象となるような大人が減っている事は確かだ。
社会に羽ばたき、未知の地にドキドキしながら降り立ち、媚びなど微塵も感じさせない大人たちを見て、大人の振る舞い、大人の役割を知った。
若者の未来に待っているのは、大人になった自分。
大人が憧れの対象ではなくなってしまったら、何に希望を見出して、何を目指して生きればいいのでしょう。それは太陽や北極星、灯台の灯りが見えない航海をするようなもの。
媚びない大人、沈黙しない大人、そう、目指したい行き先となる大人が今、必要とされている気がするのです。