育てているつもりのものとは違うものを育てているのかもしれない
去年、ライラックが枯れてしまった。おそらくカイガラムシの影響で。と、思った矢先脇から新しい枝がみるみるうちに成長していったのだが、なんだかライラックではない。
今年はそいつが花を咲かせ、町の知恵袋たちがイボタノキだと教えてくれた。調べてみるとどうやらライラックはイボタノキに接木して販売されることが多いらしい。
また、ライラックを栽培する場合に、台木として用いられる。そのため、気をつけないと、ライラックを購入して栽培しているつもりで、いつの間にか芽吹いたイボタノキの方を育ててしまい、花色がおかしいと言うことになる場合がある。
Wikipediaから転載
まさにこの通りにイボタノキを育ててしまっていたようだ。
樹皮上に寄生するイボタロウムシの分泌する「いぼた蝋」は蝋燭の原料や日本刀の手入れに用いる。
Wikipediaから転載
去年のあれがそうだったのだと繋がった。
育てているつもりのものとは違うものを育てているのかもしれない。一生懸命取り組んでいることが、知らず知らず違う何かを育てているかもしれない。支えているのかもしれない。
一生懸命が報われなくても、それはそれでいいんじゃないかな。きっと。
「人生とは何かを計画しているときに起こってしまう別の出来事を言う」
Life is what happens to you,
while you are making other plans.
星野道夫 旅をする木 より転載
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