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機械化の弊害とマスク社会の弊害

話題の飲食店の迷惑行為。

町外れに暮らす私は世間ずれしているところがあるので、それが起きるちょっと前、函館にもオープンしてちょっと落ち着いてきた頃なので、くら寿司に現代社会見学に行ってみた。

入店すると機械がお出迎え、バーコードが印字された番号券を発行する。どうやら慣れた人はモバイル予約でその作業と待ち時間は省かれるようだ。

〇〇番のお客さま。機械に呼び出される。電光掲示板に〇〇のお席は番はこちら→と進むごとにある掲示板に促されて進む。

着席し、皿や醤油が見当たらなくて、取りに行く仕組みだろうか?と考えたりしながらテーブルが特殊なことに気付く。天板中央の蓋を外すと、掘りごたつのようになっていて諸々収まっていた。

お茶などをこぼしたら悲惨なことになるな。と思った。

さて、お会計もタブレットでピッと。そしてセルフレジに向かう。最初から最後まで店員(※無機質感を出したい投稿表現上あえてさんとは付けていない)との接触はゼロだった。妻はお会計に向かう途中に店員とすれ違っても、ありがとうございましたと言われなかったのが衝撃だったと言っていた。

私はそれを聞いて、そりゃあ僕らは向こうからしたら関わってもいないわけだし、客とは思えないと思うよと答えた。事実、こちらもサービスを享受させてもらっているという気持ちにはなれなかった。お互いにお金と物を交換するだけの都合のいい関係。ドライな関係。

できればいいお客さんであろうと考える同業の私たちですら、ここでは店を立てる必要はないのだなと感じてしまうくらいだから、ああいう事件が起きるのは当然の事なのでしょう。

コロナ禍で非接触化を進化させた結果、機械化が進み、人と人との関係性へ弊害が出てきた。これはマスク社会にも感じている。

入店時、表情が分からないにも関わらず、問いかけても声を出さず身振りもない。こちらの問いに対して睨みつけ(ているように真顔だと見えてしまう)ながら頷くか首を振るだけ。8割ほどはそんな人たちだ。

(一番心を削られるのは無表情で、こちらの問いなどお構い無しに、無言で指を1本ないし、2本立ててズンズン進んでくる人々である。扉を開けて目があったなら、必ず促してくれるのですから、一旦立ち止まりましょう。こんなこと書く必要あるのだろうか、と思いつつ、書かなくては自己防衛できなくなってきている世の中なのです)

これでは私たちも良い接客をしようとは思えない。入店の瞬間に、ああこの人に奉仕したいという気持ちは消えてしまうのです。接客業の人々は機械ではなく感情に左右されるニンゲンだから。プロだろうがやはりニンゲンなのだ。

コロナ禍でいかに人間が口元から多くの情報を読み取っているのかがよく分かった。

5類に引き下げられても、マスクを選択する人の方が多い事でしょう。

口元が使えないなら、目か言葉か、大袈裟すぎるくらいの身振りが必要なのだという事を伝えておきたい。

"よさそう"なお客さんとして第一印象を与えた方が得します。入店時に笑顔を作るだけ。それだけで少なくとも損はしません。

損得、好きになれない言葉ではありますが、更に広く読まれそうなワードを使う事にしましょう。コスパの良いサービスを受ける為のライフハックは、まずこちらから良い印象を与える。これに尽きるのです。

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