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スペイン風邪パンデミックの発生源は、ニューヨーク!? 史上最悪のインフルエンザ編①

「史上最悪のインフルエンザ 忘れられたパンデミック」(アルフレッド・W・クロスビー著、西村秀一訳 みすず書房2004年発行)は、1918年から1920年にかけて世界人口のほぼ3分の1、推定5億人が4波で感染し、死者数は1700万人から5000万人と推定されるスパニッシュインフルエンザ(スペイン風邪)を当時の記録、統計から丹念に、先入観を覆す事実を掘り起こしています。
 
この本からわかる謎は、
▽兵隊が大規模に移動し過密な戦時国債キャンペーンに市民が熱狂した第一次世界大戦の終盤1918年に発生したこと
▽インフルエンザ肺炎とは思えない所見があり、死亡率も高かったこと
▽健康・屈強なはずの若者の死亡率が突出して高かったこと
▽ニューヨークが発生源と見られ、欧州戦線に派兵される全米一の港があったこと
▽パンデミックに対して全体主義的な政策が試みられたこと
▽大戦の1パーツのように大厄災にもかかわらず当時の作家らが悲惨な様子をほとんど残していないこと
▽「ドイツの生物兵器」という噂が根強くあったこと
 
これは個人的な謎ですが、
ロックフェラー医学研究所の医師が軍医として治療や研究の最前線に多数かかわったこと、そしてビル・ゲイツの祖父フレデリック・ラモント・ゲイツも同様であったことを前回WHOの支配者はビル・ゲイツ編①でご紹介したところです。
 
あとがきによると、原書が出版されたのは1996年で、訳者の西村秀一医師が留学先の米国疾病管理予防センターCDCで読み、日本に紹介すべき本と決意して2003年秋に出版にこぎつけました。大変な労作で多くの知見がある本ですが、原書が出版された段階ではすでにアンソニー・ファウチ博士が“エイズ皇帝”としてCDCはじめ全米の保健衛生当局を掌握していたことに注意が必要です。がんに取って代わられそうだった感染症を強引に表舞台に上げることに成功していたという意味です。
 
さて、これらを踏まえて、今回は▽インフルエンザとは思えない▽ニューヨーク発生源説について、紹介します。
 

肺ペスト?


<20世紀初頭のアメリカを代表する医師であり、病理学者であり科学者であった、ウイリアム・ヘンリー・ウェルチというたぐいまれなる人物がいた。…しかしさすがのウェルチも、1918年秋、このような血の色の液体をたっぷり含んで重くなったインフルエンザ肺炎の肺を初めて目の前にしたとき、震えを覚えずにはいられなかった。彼は呟いた。「これはきっと何か新しい感染症に違いない。それとも…」つぎに口をついて出たのは、当時の医学辞典の中でいまだ迷信的なほど恐怖のオーロラを放っていた数少ない病名のひとつであった。「…肺ペスト?」>
※肺ペストは、ペスト菌による感染症で、ヨーロッパで大流行が繰り返され、皮膚が黒くなって亡くなるため、「黒死病」として恐れられてきました。現代では抗生物質で早期治療できます。感染したノミに咬まれることによって人へうつり、また、肺に感染すると患者の咳によって、容易に人から人へとうつります。
 

前年の1917年、肺ペストは満州、中国で猛威


<多くの医師たちが…これがどんなインフルエンザよりはるかに危険な何かであることを感じ取っていたというが、そこでよく疑われたのが、肺ペストではないかというものだった。肺ペストは、中世史の中では黒死病として恐れられた病気で、インフルエンザと同じように呼吸を介して伝染する。1910年から1917年にかけても、肺ペストは満州、中国で猛威をふるい、多くの人々の命を奪っていった。これらの土地からは、1917年だけでおよそ20万人もの労働者が世界各地に出かけており、多くは北米経由でフランスへ渡っていた。彼ら中国人がペスト菌を持ち込むことは十分に考えられた。そして、持ちこまれた菌が新しい環境で変異した結果、いわゆるスパニッシュ・インフルエンザとして現れたのかもしれなかった。
欧州戦線のそこかしこで化学兵器や生物兵器が山のように使われており、そこから病気がばらまかれたとしても不思議はなかった。>
 

春の流行、死亡率は21歳から29歳が突出、NYが真っ先にピーク


<インフルエンザや肺炎が死因となる場合…乳幼児と高齢者の両極端に偏るものである。…だが、合衆国で1918年の春にインフルエンザと肺炎による死者は…中間の年齢層にいちばん高いピークがきている。そのようなことは、それまでの医学や常識ではおよそあってはならないことだった。
この春の流行に関しては、アメリカの他の主要都市―ニューヨーク市をはじめ…共通して年齢軸の中ほどの21歳から29歳までのところに同じように突出が認められる。多くの都市でこの突出は4月に最大値に達していた。ただし、ニューヨーク市だけは例外で、3月にピークがあり、そこには重大な意味が含まれているだろう。当時ニューヨークは、合衆国軍兵士をヨーロッパ戦線に送り出す全米第一の港湾都市であった。
いったいどこからやってきたのだろうか。…もしここであくまでも専門性を持った当時の医師たちが同時代に書き残した記録だけにもとづく立場に立てば、新型のインフルエンザはこの年の3月に合衆国で出現したと言わざるをえない。…インフルエンザのごく初期の症例は、全ヨーロッパで最も早い症例に数えられるが、これは米軍部隊の主な上陸港のひとつだったボルドー近郊のあるキャンプに現れている。ぞくぞくと大西洋を渡る合衆国陸軍兵士たちが、誰もそれとは気づかぬままに、ヨーロッパ大陸に持ちこんでいたのかもしれない。>
 

稲妻カゼはアメリカ⇒フランス⇒イタリア⇒スペイン⇒ドイツ


<このインフルエンザは…早くも4月には英軍遠征部隊の中にも…5月までにはフランス軍にも広まり…奇妙なことに、アメリカ本土のあちらこちらで流行の第一波が消えかかっている兆候が現れはじめたころ、第一波を上回る勢いでヨーロッパおよびその他の旧世界を一気になめ尽くすことになる次の波が起こりはじめていたのである。
フランス…アルプスを越えイタリアへ、ピレネー山脈を越えてスペインへ
1、2か月すると、スペイン以外の人々はみな、このインフルエンザを「スパニッシュ・インフルエンザ」と呼ぶようになっていた。しかし、それはこのインフルエンザがスペインで最初に発生したからというわけではない。たぶん、スペインが参戦していなかったために戦時の情報統制もなく、自国の保健上の問題を世界に隠し通すようなことがなかったためだろう。
インフルエンザは、有刺鉄線の向こう側と同じように、またたくまにドイツ兵を倒していった。ドイツに古くからあるインフルエンザの呼び名「稲妻カゼ」そのものだった。>

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