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父ブッシュ大統領のJFK暗殺にかかわる怪しいメモ 『華氏911』番外編

父ブッシュ大統領と言えば、訪日晩餐会で突然倒れ、宮沢元首相に介抱された人物です。子ブッシュ大統領と一つのミドルネームまでがまったく同じ名前でややこしいのですが、マイケル・ムーア監督の「華氏911」の感想をnoteで書くためにウィキメディアコモンズで画像を漁っていると、JFK暗殺当日に後にCIA長官となる父ブッシュ自らが「ケネディ殺害を予告していた人物がいる」とFBIに通報していたという興味深い文書を見つけました。
 
詳細の前に父ブッシュの経歴を振り返っておきましょう。
ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ(父ブッシュ)は、鉄道王ハリマン家に仕えた父プレスコット・ブッシュと同じようにイェール大学に入学し、秘密結社スカル・アンド・ボーンズに入会しました。
卒業後も父のイェール大学の同級生ヘンリー・ニール・マロンが社長を務めるドレッサー・インダストリーズ(ハリバートン社の前身)に入社します。マロン社長はJFK政権でCIA長官を務めたアレン・ダレスと親しく、スパイ候補の供給や職場の提供で同社はCIAと緊密に連携していたといいます。ちなみに、父ブッシュの三男はニール・ブッシュ・マロンで、このマロン社長にちなんで名づけられました。また、アレン・ダレスはJFK暗殺事件を調査するウォーレン委員会のメンバーに任命されました。
JFK暗殺の前後ですが、父ブッシュはテキサスで1953年ザパタ海洋掘削会社(マロン社長が初期投資家)を興してすでに成功。1964年にアメリカ合衆国上院選挙に立候補したが失敗しました。1976年から1年間だけCIA長官を務めました。
ハリバートン社CEOを務めたディック・チェイニーは父子ブッシュ政権の副大統領を務めました。
プレスコット・ブッシュ、父ブッシュ大統領、子ブッシュ大統領と三大にわたり、イェール大入学、秘密結社スカル・アンド・ボーンズ入会、軍歴ありという経歴を持ち、父子二代にわたっては、強力な後ろ盾を得て石油関連企業を興し、政界入りしていることまでが同じです。
 
FBI文書は、下記で番号は伏せました。
FBI 特別捜査官グラハム・キッチェルから FBI ヒューストン支局へ送られた1963 年 11 月 22 日付けのメモで、ケネディ大統領暗殺に関して「ザパタ海洋掘削会社社長ジョージ・H・W・ブッシュ氏」から受け取った密告です。
<午後1時45分ジョージ・H・W氏テキサス州ヒューストン、ゼパタ海洋掘削会社のブッシュ社長、ヒューストン、ブライヤー〇〇〇〇番地は、テキサス州タイラーからの長距離電話で筆者に次の情報を提供した。
ブッシュ氏は、秘密にしておきたいが、ここ数週間で聞いた記憶のある伝聞を提出したいと述べたが、その日と出所は不明である。彼は、ジェームズ・パロットがヒューストンに来た大統領を殺すことを話していると述べた。
ブッシュ氏は、パロット氏はおそらくヒューストン大学の学生であり、この分野の政治問題に積極的に取り組んでいると述べた。彼は、ハリス・カントリー共和党本部のファウレックス夫人(電話番号 SU 2-〇〇〇〇)、またはアーライン・スミス(電話番号 JA 9-〇〇〇〇)がパロットの身元に関する追加情報を提供できると思うと述べた。
ブッシュ氏は、テキサス州ダラスに向かう予定で、シェラトン・ダラス・ホテルに滞在し、1963年11月23日に自宅に戻ると述べた。彼のオフィスの電話番号は CA 2-〇〇〇〇です。>
 
※ウィキペディア英語版「ジョン・F・ケネディ暗殺陰謀論」
https://en.wikipedia.org/wiki/John_F._Kennedy_assassination_conspiracy_theories
を検索すると、「すべての陰謀の母」と称されるだけに、数々の陰謀(論)が列挙されていますが、その中で[CIAの陰謀][ジョージ・H・W・ブッシュの陰謀]が興味を引くものです。
[CIAの陰謀]には<1995年、元米陸軍情報将校で国家安全保障局事務次官のジョン・M・ニューマンは、CIAとFBIの両方が暗殺の前後にリー・ハーベイ・オズワルドに関するファイルを意図的に改ざんしたという証拠を発表した。…ニューマンは、…ピッグス湾侵攻失敗後にケネディによって解任された元CIA長官で後にウォーレン委員会委員となったアレン・ダレスの下で行われたものと推測した。>
[ジョージ・H・W・ブッシュの陰謀]には<ラス・ベイカーは著書『ファミリー・オブ・シークレット』の中で、ブッシュは10代で諜報員となり、その後、父親のプレスコット・ブッシュ、副大統領(※父ブッシュはレーガン政権の副大統領)を含むケネディ暗殺計画の中心人物になったと主張している。…ベイカーによれば、ブッシュは暗殺の前夜と当日の朝にダラスにいたという。
暗殺からちょうど1週間後の1963年11月29日、FBI職員はメモに「中央情報局のジョージ・ブッシュ氏」がマイアミ在住のキューバ人亡命者らによる暗殺への反応について説明を受けたと書いた。…1998年、ARRB(※政府独立機関の暗殺記録審査委員会)はCIAに対し、ブッシュ元大統領の人事ファイルを調査し、彼がメモで言及されている人物であるかどうかについて最終的な声明を出すよう指示した。CIAは、1963年の期間中にブッシュ元大統領といかなる関係があったという記録もないと回答した。ウェブサイト「JFK Facts」で、著者のジェファーソン・モーリーは、1963年11月のブッシュによるFBIまたはCIAとの通信は必ずしも暗殺の責任を示すものではなく、ブッシュがそれ以前にCIAと何らかの関係があったかどうかは不明であると書いている。>
 

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