見出し画像

「私たちの生命を救ってくれたあなたとともに時の独裁者と戦う」(余命宣告された脳腫瘍から回復の女性の父より)

「私たちの生命を救ってくれたあなたとともに時の独裁者と戦う」(余命宣告された脳腫瘍から回復の女性の父からリチャードソン博士への手紙より)~脳の癌(中枢神経系の癌)~「B17 第2巻 癌クリニックの体験」(1979年初版発行 著者:ジョン・A・リチャードソン 訳者:渡辺正雄、河内正男、小笠原治夫 監修:河内省一 ノーベル書房)を紹介します。
※で囲んだ文章はシン・説が僭越ながら解説している部分です。
 
神経膠腫(脳の癌)は、手術による完全な摘出は一般に不可能である。脳の癌の場合B17を使わずに、手術や放射線療法によると、五人のうち四人までが二年以内に死亡する。この事実を頭に入れて、以下のB17療法の病歴を読んでいただきたい。(脳の癌のことは、日本では一般に脳腫瘍というが、ここでは原書の癌に従った)
 
【C165GX】脳腫瘍(神経膠星状細胞腫、第二級)の32歳女性
1975年5月、半年間の頭痛や嘔吐で入院。左側頭部に腫瘍が確認され、手術することになったが、腫瘍はいちばん幅の大きいところで約8センチ大、脳組織そのものから発生したもので、剥離できずに吸引法を行った。
不完全切除のため27回の放射線療法を行っているが、彼女はそれによく耐えた。しかし、2か月後に再発。左顔面は腫れあがり頭痛と吐き気が再び始まった。癌の再発か放射線壊死障害かは不明だったが、リチャードソン診療所に運び込まれた。
再発の際、医師から「万策がつきはてた」「6か月か1年、一番よい場合でも2年の余命。病人をできるだけ好きなようにさせなさい」と宣告された。
リチャードソン診療所では、ミネラル補給が行われ、1回9グラムのB17療法を二十日間続けた。その後静注の量を減らし、静注のあと内服で維持量を続けた。その頃頭痛が次第に軽くなり5か月後には完全になくなった。女性は脳腫瘍の不完全摘出手術から2年近く生きている
1977年彼女の父からリチャードソン博士宛の手紙には「代謝療法から3か月で普通の生活に復帰できた」。
また、弾圧を受けるB17療法とリチャードソン医師について義憤を抱いている。
「私も娘も、時の独裁者が多くの人びとの生命を救うという『錦の御旗』を立てて、あなたを告訴しているのを耳にして、非常にショックを受けたし、また、大いに憤慨している。私どもは、必要ならばいつでも、本当に私たちの生命を救ってくれたあなたがたに味方して、ともに戦うことを誓いたいと考えている」
 
【S135G】脳の癌の男性
1970年脳腫瘍を確認。男性は最初からB17療法を受けたいと考えていたが、リチャードソン博士はまずその医師のすすめ通りに手術を受けてから当診療所に来るようにすすめた。1971年手術を受けたが、全部の癌は摘出できなかった。
「放射線療法を受けないと、あと6か月以上は生きられない」と余命宣告され、ためらいなく当診療所で代謝療法を開始。
4年以上経過後、カリフォルニア州の病院に新鋭の脳造影装置で検査すると、癌は痕跡もとどめず、完全に治癒していることが証明された。今、彼は健康そのもので、正常で元気一杯の生活を送っている。
 
※リチャードソン博士が、病歴例S135Gの脳の癌の男性では、先に手術をすすめた、というくだりが出てきます。B17療法の素晴らしさを最もよく理解する人がなぜだろうと疑問に思うところはあります。
正統派医療が行われていない方がB17の効果を期待できるケースも何度か出てきました。また、B17療法の保険請求が拒否されるケースが複数ありました。
インチキ療法と呼ばれ、正統派医療より半額以下とはいえ保険請求が拒否されるならば、経済的理由や進行度も加味して、最初からB17療法を選択しにくい場面があったのかもしれません。※

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?