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最近サッカーに対して感じてる諸々の事

最近はすっかりサッカーに冷めてしまっている。


もともと地元クラブのサポーターだった。毎試合、朝の列抽選に行って、応援席の中心部に席を取って、跳ねて、声を出していた。最後の方は幕搬入と片付けの手伝いもやっていた。試合の日は朝から夜、丸一日潰れる。

今年の9月頃から応援席に行かなくなった。試合直前にスタジアムに行き、試合が終われば即撤収、まだラーメン屋がやっている時間に帰る。これまでとは正反対の質素なサッカーライフだ。


この4年間で明らかにいろんなことがあった。

変な神の導きでJリーグクラブに入社。これがサッカーをより深く知るきっかけだった。掻い摘んで言うと、ビジネスとしてスポーツを見るようになった。ユニフォームを作ったりイベントを運営したりと、ボールが転がらない部分のサッカーにたくさん触れてきた。


ちょうどコロナ禍、2020年から2022年までの3年間をクラブで過ごした。インターネットでは多方面からサッカーという興行が見直された。

悪い事が多かった。マスク着用義務化で加速したサポーター晒しは、マスク関係なく今や文化として定着した。サポーターの悪いところばかりに焦点が当たる。実際にマスクをして応援席で観戦してみた。汗がマスクに染みて、アホみたいに息苦しい。こりゃ顎マスクするわ。フロントスタッフとしての管理責任と、サポーターとしての自我が交差し、自身の意思が揺らぐ。

サポーターの話に付随して、フットボールっていう言葉もよく聞くようになった。応援のないスタジアムは、選択の余地なくクラブが演出を強化する必要があった。演出主導か応援団主導か、エンタメかフットボールか、そんなツイートを何度も何度も何度も何度も何度も目にした。てか自分もかなりしつこく言及していたし、なんかバズった。新宿のひとたちが賑わせている一連の騒動も、文脈で言えばコロナが起点となるサポーター文化の議論、その延長線上だ。

フロントスタッフ・インフルエンサーを気取って、サッカーボール以外の事を発信しているうちに、なんか本当に色々めんどくさくなってしまった。ボール蹴るのを観に来てるだけでなんで客同士で喧嘩するの?応援はやりたい奴が勝手にやれば良いんじゃね?とか、捻くれた気持ちが日に日に増していった。たぶん諸悪の根源はTwitterである。


クラブを去った後もその怠惰を引きずっていた。半年が経ったある日、応援団員に、なぜ声を出さないんだと怒鳴られた。確かに応援席なのに棒立ちになったのは悪いと思ったが、それは俺の自由だ、みたいな気持ちもあった。結局それが決定打となり、サポーターとしての自己認識が消え失せて、とうとう応援席に行かなくなった。

サッカーは変わってない。自分の考え方、サッカーに対する見方が変わったのだ。サッカーを勉強する前は、応援中に棒立ちにはならなかったはずだ。

完全に冷めている。毎試合、朝の列抽選に行って、応援席の中心部に席を取って、跳ねて、声を出して、丸一日をスタジアムで過ごす。これをする事はしばらく無いだろう。さすがに時間が勿体ない。そんな思考回路になっている。


クラブを離れてちょうど1年が経った。
転職して今の会社では「こう見えて俺、サッカー嫌いですからね」と皮肉発言をすることで、ツンデレなサッカー好きを演じつつ、実のところはよくわからない。

今もスタジアムには一応行っている。席種はバックスタンドの自由席。来季のシーズンチケットは指定席を買った。キックオフギリギリにスタジアムに到着、人間がボールを蹴り始めて、ボールを蹴り終わって、それで終わりの時間を眺めている。今はそれでも、いや、それだけ、ただ眺めてるだけが楽しい。

だからといって、別にそれを誰かにどうにかしてほしい訳でもなく、ああ、今はボールが転がる以外のサッカーを娯楽として消費することができない時期なんだ、自分にとってのサッカーは今までと違うものになったんだと、いわばターニングポイント、過渡期なんですと雑に結論づけて、適当に大人ぶって、成長した気分になってますよという、ただそれだけの話である。


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