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ライブ映像に求めているもの

ラジオ「星野源のオールナイトニッポン」を聞いていて、ライブ映像に対する考えを話していた。
私は、この話にとても共感したので記事に書くことにした。

ライブ映像に観客を映す演出の是非

星野源さんは自身のライブ映像制作の際に「観客の顔を映さない」ようにお願いしているらしく。

なぜそうするかというと、
ライブ映像に映った観客の表情を見るのが苦手で、見ると
「行けない寂しさが増幅する」
そう感じている自分が
「嫌いになる」
という主旨の話をしていた。

この件、皆さんはどう感じるだろうか。
自分の思いを交えながら双方の視点で考えてみる。

観客を映すこと反対派は…

私も星野さんと同様に、観客の表情を映すことには否定的だ。
その理由を考えてみた。
・アーティストや曲、演出に集中したい
・その場に行きたかった思いが募る(参戦していないライブの場合)
・多少なりともその観客に対する羨ましさに感情が移ろう
・多少なりとも妬みや嫉みを感じるかもしれない
・ライブ映像を見て上記のような負の感情になる可能性がある
・負の感情を抱いた自分に嫌気がさす

このような理由から観客を映すことにあまり良い思いを抱いていないことがわかった。

一番思ったのは、ライブ映像はプラスの感情になることを目的として観るはずなのに、マイナスの感情になりかねない要素が増えてしまうことがたまらなく嫌なのだということだった。

観客を映すこと賛成派は…


では一方で、観客を映すことに肯定的な方の理由はどのようなものだろう。考えてみた。
・ライブ会場全体の雰囲気も味わいたい
・他の方のリアクションや感じ方も知りたい
・観客と共感したい
・ファン友が映っていたら嬉しい
・自分が映っていたら嬉しい

このような理由だろうか。
実際私がファンのアーティストのライブ映像に映っていたら、映っていたことより映像を作る過程でアーティストから自分という存在が認知されたことに対して喜びを感じるだろう。

両者の差は…

改めて両者の差について考えてみた。
大別すると2つの視点に分けることができた。

①ライブ(映像)の楽しみ方の差
ライブを普段どのように楽しんでいるのかが、ライブ映像の楽しみ方にも影響しているように思えた。
大雑把にいうと、ステージに全集中タイプなのか、ライブそのものの雰囲気を楽しむタイプなのか、といったところだろうか。

②自己肯定感の差
そもそも観客に対する感情の抱き方の差は、捉え方の差であり、ひいては本人の自己肯定感の差なのかもしれない。
自己肯定感が低いと、他人が気になったり、他人に嫉妬したり、羨ましがったり…。
そういった感情を抱きやすい。
一方自己肯定感が高いと、他人がどうであれあまり気にならないことも多い。(アーティストがもっと観たいのに邪魔だ、という感情はあるかもしれないが。笑)


もしかしたら、私も星野源も自己肯定感が低いことで観客を映すことに否定的な考えをもっているのかもしれない…。(星野源はちゃんと自己肯定感高そうだけれど笑)


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