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あれもこれも、自分のため

小さい頃からあいさつが苦手だった。同じマンションの住民とすれ違うときは必ず自分からあいさつをしなさいといつも父に言われていた。

今もあまり変わってないけど、昔から少し人見知りなところがあったからなるべく知らない人、馴染みの浅い人とは関わらないようにしていた。

こっちからあいさつをしても返してくれない人なんて結構ザラにいる。無視されたら悲しいし、日常生活で大きい声を出すのがあまり得意じゃなかったし。あいさつの声が小さいと怒られてたなあ。「あいさつは自分のためにすんだよ」って。

たまに笑顔で返してくれる人もいて、そういう時はなんだかほっこりしたのを覚えている。

高校のサッカー部に入ると、上下関係がしっかりしていて、あいさつを強制する文化があった。

1年生の頃はあいさつの声が小さかったり、適当だったりすると練習終わりに名指しで吊し上げられて、走らされたりしていた。(怪我で離脱組だったから自分は走っていないんだけど)

そのころからすごく違和感があった。

先輩があいさつを強制させているのに、こっちがしても適当に流される。なんのためにしてんだよって思ってた。体育会のそういうのは、年齢が上の人たちが気持ち良くなるためにあるのだろうか。返さねえなら強制すんなやってね。

そう思いつつ、自分が上の学年になった時、先輩と同じように適当にあいさつを返していた気がする。当時はなんであいさつをするかなんて考えずに盲目的にやっていた。
(ちょっと話が逸れるけど、高校生の年代で物事に対して「なぜやっているか」という問いを立てることってすごく難易度が高いよね)

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対してあいさつへのこだわりのなかった自分が今、20歳で店長という立場になって「あいさつだけはしっかりやろうぜ」って言ってる。

いつかのnoteでも書いたけど、少し前のロックヒルズは心理的安全性があまりなくて少しもやっとした空気が流れていた。仕事はちゃんとやるんだけどなんか仲良くはなかった。

誰かがミスをすると粗探しをして指摘しあったり、ネガティブな発言を聞くことが多かった。みんないい人なのにピリピリしてる。好きな場所なのに冷たい空気感だった。これがまたすごく嫌だった。

だから自分が中心メンバーになって変えようと思った。あったかい場所にしたかった。けど自分は話すのが得意ではないし、何人もいる中で場を回したりすることはできなかった。(大人数のお酒の席で盛り上がれないタイプ)

得策があるわけでもなくコアメンになったものだから、苦労した。
「何ができるわけでもないし、あいさつくらいはちゃんとやろう」っていう美談っぽいことも特にしてなかった。してないんかい。

意識してなかったけど、やってくうちに気づいた。
あいさつって大事だ。気分が乗らないときも眠くて仕方がないときも、誰かが笑顔であいさつしてくれると気持ちが軽くなる。

ちょっと頑張って自分からすると、その後コミュニケーションをとりやすくなる。

そんでもって、自分がよく言う、「受け入れる」「受容する」ことは笑顔であいさつするところから始まることにも気づいた。

まず、自分からあいさつをする。それだけで話すハードルがグンと下がる。相手にとっても自分にとっても「話す」「笑う」ことへの許可証みたいな感じ。

ここまで読んで、しんってそんなにあいさつのイメージない気がするって思ったでしょう。それな、最近ちゃんとできていない。後輩がたくさん入ってきてくれて、みんな自分からしてくれるからいつも後手に回っている。なんなら高校の時みたいに少し流しちゃってるまでもある。大反省。

そんな俺が言っても説得力に欠けるかもしれないんだけど、みんなあいさつは笑顔で自分からしよう。

先輩にも後輩にも、同期にも、お客さまにも、配達業者さんにも、近隣住民の方にも、自分からしよう。無視されるかもしれないけど自分からしよう。自分のために、自分からしよう。

気持ちのいい挨拶ができる限り、RHGはずっといい場所であり続けられると思ってる。急に大袈裟。

いつも笑顔であいさつしてくるみんなありがとうね。救われてます。

『おはよう!!今日も一日頑張ろうぜえええ』


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