2023年のあれこれ
年末年始の8連勤を終えてようやく年が明けたことを実感し始めています。
今年はどんな年になるだろうか。
小学校から16年間の学生を経て、ついに社会人になる。
学生と社会人って区別されるけど、実際そんなに違うものなのか?
一般的な学生よりは社会人と関わる機会が多かったと思うけど、ひとことに「社会人」と括るのは難しい気がする。
自分の理想を求めて行動する人もいれば、同じ環境に居続けることを望む人もいるし、志が高い人もいれば低い人もいる。
これは当然、学生にも言えることだ。主語を大きくしているからわかりづらいけど、みんな結局ひとりの人間で、それぞれの人生がある。
16年間の学生生活をもってしても、どんなことをして、どんなものを持っていれば「しあわせ」なのかなんて分かりはしなかった。
たぶんこの先もずっとよく分からないと思う。
きっと、必死にその瞬間を生き続けるしかないんだろうなというフワッとした結論は残った。
そんな中でも明確な学びをあげるとするならば「自分の行動次第でどうにでもなる」ということだ。
職場の愚痴を愚痴で終わらせることもできるし、自分がリーダーシップをとって変えることもできる。
すべての環境で頑張る必要はないだろうけれど、「この場所だけは頑張りたい」というのを見つけられれば良いのだろう。
不満を言っている時間って、けっこう本当にしょうもない。なんの解決にも進展にもならないから。嫌なら変えれば良いし、好きならもっと好きになれば良い。
誰かがやってくれると思ってるうちは何も変わらず、しょうもない人生だと分かっていながら自分で泣き寝入りすることになる。
人は変化を嫌う生き物だから、余計に何もしないのだろう。
これらに気づけて本当に良かった。
大学生の間は、良いことも悪いことも、誇れることも情けないことも全てあった。後味悪いまま終わるのは、良くない癖だなと思いつつ、変えられなかった。
まあそれでも、いまハッピーだから良いのかな。やってきたこと、考えたこと、向き合ったことは全て自分の中にあるから。
それらを持って、とにかく先に目を向けるしかない。振り返りは大事だけど、後ろをむき続けるのは時間の無駄なのだろう。
過去は変えられないというけれど、いまこの瞬間に過去の捉え方・解釈を変えてしまえばいくらでも前を向ける。大事なのは過去でも未来でもなくこの瞬間の幸福度だと思うから。(それによって周りを傷つけるのは良くないが)
書いていてふと気づいたけど、noteを書き始めた頃に比べて、思考の幅が広がったと思う。あの頃の自分は、こうじゃなきゃいけないという謎の正解を自分で作り出して、ひたすらにしんどかった。まわりを見渡す余裕なんてまったく無かった。
店長をしていた間に、いろんな人が見守ってくれていたからなのだろうか。本当にありがたい話だ。
4月からは平日働いて土日は休んでの繰り返しの生活が待っている。どうなるんだろうなあ。
めちゃくちゃ手を挙げまくって新人賞を狙う世界線もあれば、一定のペースでランニングする世界線も見えるし、プライベートを大切にする世界線も見える。
その時のモチベーション次第だから分からないけれど。
店長をやったことで、自分の中の熱がどう変化するかも見えてしまった。それを変えるか変えないか。がむしゃらにいくか、うまくやるか。
なにが自分にとって良いんだろう。わからない。わからないけど、自分がどう選択していくのかちょっと楽しみでもある。
なんだかんだ、少し負荷があって、頑張れてる実感を持ててる時が良いのかなあ。頑張ってみようかなあ。ずっと気になってる英語学習とかやってみようかなあ。
結局目標が決まらない、そんなお正月。
まあでも、後悔するお金の使い方をするのはやめて、健康で文化的な生活が出来たらよいかな。
読んでくれてありがとうございます。今年もよろしくお願いします!
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