敷かれたレールも悪くない。

やらない理由を探すこと

「やらない理由をどんなに探したって、あなたは何も成長しない」

たぶん多くの人の心に刺さる。

なにかやらなくちゃいけないこと、やるべきことがあるのに、後回し遠回しにする。

ある時は家庭の事情で。
ある時は体調が悪くて。
ある時はタイミングが合わなくて。

言い訳しようと思えばいくらだってできる。
それが人間だし、それが人生だ。

大学4年になって、僕はレールを踏み外す感覚を肌で味わった。

今まで敷かれてきたレールを、自分の意思で選んだはずが、多くの人が選んでいたような当たり障りないレールだったことに気づいた。

それは一見うまくいっていて、成功者だと人は言う。

でもそのレールから振り落とされてきた人、最初から乗れなかった人は星の数ほどいるわけで、自分もそこに落ちていくんだっていう感覚だけがあった。

すごく辛くて、怖くて、諦めた。

再び登ることもせず、立ち止まって、振り返る。

ただひたすらに恨めしそうにさっきまで自分が走っていたレールを睨みつけて、卑屈になる。

そんな自分を自覚しながら、それでいいやと思ってしまう。
少数派から多数派に移っただけだ、と。

でも実際に配分される社会的幸福はその比率とは全く反対で。

頑張れば頑張るだけ幸せになれるわけではなく、頑張れば頑張るだけ不幸が薄れるわけでもない。

こんな世の中で気力を失ってしまった人は、「ただ弱いだけ」だと言われる。

「ちょっと工夫すれば抜け出せるはずなのにそうしないのは、そこにいることに満足してしまっているからだ」と。

自己責任論っていうのは本当に嫌いだけど、こういう時だけ嫌に自分を納得させる。


自分の人生

やらない理由を探すのが悪いことなのかは、誰に聞いたって正解なんてない。

頑張って頑張ってその果てに死を選ぶことだってある。

そしたら周りはなんと言う?

「頑張りすぎたから…」
「辛かったら休むべきだったのに…」

なんて不条理だろうか。

世の中の当たり前に合わせて、世の中が正しいと言うやり方をやっても、自分にとってはそれは当たり前じゃなくて、正解じゃない。

これも結局は「やらない理由を探してる」だけなんだけど。

でもさ、自分の人生じゃん。
やっぱり自分のレールを走っていきたいじゃん。
自分だけの。

「あなたのためを思って言っているのよ!」なんて言う人がいるけれど、クソ食らえ。

お前の人生じゃなくて、僕の人生だ。
誰がなんと言おうと自分で決めた道を進みたい。
それがどんなにカッコ悪くても。

今の僕は最高にカッコ悪いし、なにやってるんだろうって自分でも思うけれど、間違ってるとは思ってない。

失敗したとも今は思ってない。
人類全体で見ればよくあることだ。

生きてるだけでも幸せ。

その末に、100円拾ったとか、ご飯が美味しかったとか、そういう些細な幸せを感じられたら生きてる価値があるんじゃないかなと思います。


これから

さて、最高にカッコ悪いことをちょっとカッコつけて書きましたが、結局僕はプー太郎のまま。

ゼミの後輩から「履歴書にゼミでやったことなんて書きましたか?!」って聞かれて、メンタルがエグい。

そっか、もう就活の時期か…なんて思いながらYouTubeの広告で見たFターンのサイトをチラチラ見ているくらいが僕の現状。

これが自分で選んだ自分の人生だ!
って誇るのはどうかと思う。

就活もせずにUber eatsで3時間1200円の働きをして、「今日もよく働いたなぁ」なんて思ってしまっている。

でもまあ、そんな日々があってもいいんじゃないかな?
最終的に優しくて可愛いお嫁さんと猫を飼いながら子ども2人くらい産んで家族みんなで登山するような人生が送れたら、そこが僕のゴール地点だ。

サポートがあればすぐ次書きます!!