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39、生きろ

――暗闇。

ここはどこだろうか? 
地面は存在せず、私の身体は浮いているらしい。

……遠くに、白い小さな光が点在している。
……星だ。
そうか、私は宇宙空間を漂っているのだ。
私は、アナ・ウロングクスヌク・ピエトリ・ユタの創った惑星から、再び宇宙空間へと移動してきたのだろう。

「……アナ」
 
私の胸の辺りで声がする。

――ルカだ! 

ルカは私の腕に抱かれ、眼をつむったまま苦しそうに喘いでいる。

「ルカ、しっかりして!」
 
私はルカの身体を揺すった。
……なぜだろうか? 
ルカは天女の姿ではない。
どこからか届く光に映し出されたルカは、一糸まとわぬ姿だった。
髪の毛もお団子ではなく、元の髪形に戻っている。
私は相変わらず夏用のセーラー服を着た姿のままなのに……。

「……アナ」 

ルカは私の顔を見上げた。

「アナ……天女の姿になった私の身体に、大宇宙神の光が入り込んだの。……いや、大宇宙神の光が入り込んだから、私は……天女になったのかな?」
 
ルカは喘ぎながら無理矢理に笑った。

「大宇宙神の光から断続的に発せられる……大宇宙神の意図や思いを……私は私なりに解釈してあなたに……」
 
ルカの表情が歪んだ。

「人間の身体に……大宇宙神の光は強すぎた。……とっくに……限界は超えていたし」
 
ルカは激しく咳き込んだ。

「もういいから、それ以上喋らないで!」
 
私はルカの身体をさすった。
ルカは首を振った。

「……いや、最後まで話しをさせて。まだ、大丈夫……。大宇宙神も……それを望んでいると思うから……」
 
ルカは震える手を伸ばすと私の頬を撫でた。
ルカの手は、ぞっとするくらいに冷たかった。

「アナ……大宇宙神によって前時代宇宙が閉じられた後も、あなたは……その後に生まれた宇宙の片隅でひっそりと眠り続けた。……私が閉じ込められていた様な、黒い空間の中で――」
 
私の頬を撫でるルカの腕から力がなくなった。
ルカは眼を閉じた。

「ルカ!」
 
私はルカの身体を揺さぶった。
ルカは眼を開いた。

「あなたは約百三十八億年眠り続けた後、別の存在として生まれ変わった……」
 
ルカは何事もなかったかの様に、私の頬を撫でながら喋り続けた。

「……その生まれ変わった存在が、アナ……あなたなの」
 
ルカは私の眼をじっと見つめた。

「……アナとして存在する事は、自分に与えられた罰ではないかとあなたは言った。でも、それは違う。大宇宙神があなたを生まれ変わらせ、アナとして存在させたのは……優しさ。残酷なまでの大宇宙神の優しさ……」
 
ルカは力なく微笑んだ。私はルカの肩を強く握った。

「一体、どういう事なの?」
 
ルカは微笑んだまま眼を閉じた。

「ルカ!」
 
ルカは眼を開いた。

「……大宇宙神はアナとして生まれ変わったあなたに、正しい神の心に通じる……『人間らしさ』を手に入れて欲しかった……。アナとして多くの苦難を経験する中で、人間らしさを手に入れて欲しかった……」
 
ルカは大きく息を吸った。

「そして……そして、大宇宙神はあなたが人間らしさを手に入れたその時に、あなたが神だった頃に犯した大殺戮の事実を伝えようと……考えていた……」

「……どうして、どうしてそのタイミングで私に伝えようと……」
 
するとルカは私の手を強く握った。

「……それはね、あなたに罪の意識を感じさせたかったからよ」
 
私は全身にじわりと汗をかいた。

「……罪の意識?」

「そう、罪の意識――罪悪感。人間としての感情が希薄なままだと罪の意識は感じづらい。だから大宇宙神は、あなたが人間らしさを取り戻したタイミングで大殺戮の事実を伝えた……。もしあなたが精神を崩壊させても、廃人になったとしても、大宇宙神はあなたに罪の意識を感じさせたかった――」

「やめて!」

私はルカの腕を乱暴に振り払った。

「……何て残酷な、残酷な」 

私は両手で頭を抱えて歯を食いしばった。
歯の隙間から唾液と呻き声が漏れる。
大宇宙神が私に大殺戮を続けさせたのも、いずれ私に罪の意識を抱かせる為だったのだ。
その為だけに大宇宙神は多くの神を犠牲にしたのだ! 
私が神の道を踏み外した為に、罪のない多くの神々が犠牲になったのだ!

「……罰みたいに、残酷な優しさね」
 
ルカが背後から私の肩に手を置いた。

「……罪の意識……それは人間らしい感情……。心を壊してしまいかねない、恐ろしい感情……。でも、大宇宙神はあなたに、重い罪の意識を背負っても……生き続けて欲しいと思った。……苦しくとも生き続けて行く事は正しい神の心に……通じる……。だから……あなたには――」
 
ルカが私の背後で激しく咳き込んだ。
私は振り返りルカの顔を見上げた。
するとルカの口から血がほとばしった。
無数の血の滴が、私の頭を越えて宇宙空間の四方八方に広がっていく。
ルカの身体がコの字に折れた。
私は再びルカの身体を抱き抱えた。

「ルカ、しっかりして!」

「……アナ」
 
ルカは虚ろな眼で私の顔を見上げる。

「アナ、あなたは神として生まれ変わる……」

「……え?」

「あなたはアナとしての人生を終えた後、再び神として生まれ変わる……」

「……なぜ、どうして? 私は神だった時に大殺戮を犯したのよ? また同じ過ちを繰り返してしまうかもしれないのよ?」

「……理由はわからない。大宇宙神が決めた事だから」

「嫌よ、絶対に嫌!」
 
私はルカの身体に抱きついた。

「私は神になんかなりたくない! ずっとここでルカと一緒に生きていく!」

「……それは出来ない」
 
ルカは呟いた。

「アナ……あなたが神として生まれ変わると、アナとしての記憶は全て消え去り、多くの神々を殺した破壊の神としての記憶だけが残る。……あなたは重い罪の意識を抱いたまま……永遠に生き続ける。絶対に死は訪れない。例え宇宙が消滅し空間や時間が消滅しても、あなたは永遠に、永遠として存在し続ける。それが大宇宙神の決めた、あなたの来世での運命……」

「嫌よ、嫌ぁ!」
 
私はルカの手を自分の頬に当てた。

「怖いよルカ、怖いよ!」
 
ルカは何も言わずに私の頭を撫でた。

「……でもねアナ、あなたは神として生まれ変わる前に一度だけ、普通の人間として生まれ変わる……」

「え?」
 
私はルカの顔を見た。
ルカはクスッと笑った。

「私、大宇宙神と取引したの……」
 
するとルカは私の手をほどき、私の眼の前に立つ様にして静止した。
ルカは真剣な表情をしている。

「……どうしたの、ルカ?」
 
私は何やら不安になった。
ルカは一体、何を言おうとしているの?

ルカは背筋を伸ばし、両腕を広げた。

「アナ、私を殺すのよ……」
 
私は雷に打たれた様に飛び跳ねた。

「何を言っているの? 頭がおかしくなったの?」 
 
ルカは全裸のまま、私を見て微笑んでいる。

「アナ、私と大宇宙神の取引なの……。私の命をあなたが奪う事と引き換えに、あなたは……一度だけ普通の人間として……生まれ変われる……」
 
ルカは再び口から血を吐いた。

「ルカ!」
 
ルカは眼を閉じると、身体をコの字に折り曲げた。
私はルカの身体を抱えて揺さぶった。
ルカは薄く眼を開けた。

「……アナ、さあ早くして。そうしないと……私は勝手に死んでしまう」
 
私はルカの身体を抱き締めた。

「出来ない、そんな事出来ない! お願いだから私と生きて!」
 
ルカは私の胸を押し退けた。

「あなたは……神としての道を踏み外した……。でも、アナとして生まれ変わったあなたは……シン君、モノノリ、アオノリ、そして……私の為に……必死で頑張った……だから……」
 
ルカは両手で私の手を掴んだ。

「……だからアナ、一度だけ、普通の人間としての……幸せをを味わってほしいの……。生きる事は愉しい事。辛い事もあるけれど良い事もたくさん起きる。素敵な人も現れる。危険を顧みず、自分の事を助けてくれる様な人に出会えたりする。協力して危機を乗り越えられる友達にも出会えたりする……」
 
ルカは言葉を詰まらせた。

「次に人間として生まれ変わる時には、アナとして生きた記憶は一切なくなるけれど、これは私からの……お願い」
 
私は何度も首を振った。

「ルカの記憶がなくなってしまうなんて嫌! シンやモノノリ、アオノリ、他の色々な人達の記憶もなくなるなんて……私は嫌!」
 
私は子供の様に泣きじゃくった。

「……そんな事を言わないで。大丈夫……いつか、一瞬かもしれないけど、記憶が戻る事もあるかもしれない」
 
ルカが私の頭を撫でてくれる。私はルカの胸に顔を埋めた。

「……どうして、どうしてルカはそんなにも優しいの? ルカだって、死んだらもう二度とシンには会えないよ? 生きていたら、シンに会えるかもしれないよ? それなのに、なぜ自分の命と引き換えにしてまでも、私に……私に……」
 
ルカは私の肩を掴んで身体を離した。

「私はね、もう一度シン君に会えると思うの」
 
私は顔を上げた。
ルカは真っ白な顔をして笑っている。

「……私は人知を超えた大いなるものにたくさん触れて確信したの。……私は、何度も生まれ変わるって。……きっと、私の魂は永遠に消えない。どんな形であれ必ず残っていく。だから、遠い遠い未来で、必ず……必ずもう一度シン君に会える……。昔の記憶は失われているかもしれないし、シン君はシン君でないかもしれないけど……必ずもう一度……シン君に会える」
 
ルカは微笑んだ。

「……私もいつか、ルカやシンに会えるの?」
 
私が尋ねるとルカは頷いた。

「きっと会えるわ」
 
ルカは私の頭を撫でた。私は眼を閉じた。

「さぁ、アナ」
 
ルカは私の両手を掴み、自分の首を握らせた。

「私はもう十分に生きた。とっても幸せな人生だった」
 
ルカは眼を閉じた。

「アナ、私を殺すのよ」

「駄目だよ、私には出来ないよ!」
 
私はルカの首から手を離そうとした。
でも、ルカが私の両腕を強く握って離させない。

「ルカ、お願い。……もう、こんな事はやめよう?」

「アナ」
 
突然、脳内に私の名を呼ぶ声が響く。
するとルカの後方に白く輝く神が現れた。
邪気のないあの雰囲気――幼い頃のアナ・ウロングクスヌク・ピエトリ・ユタだ!

「遠イ 未来デノ 私ノ 生マレ変ワリ アナ」

アナ・ウロングクスヌク・ピエトリ・ユタの声が脳内に響く。
神が私の名前を直接呼んでいる。
神が、私の事を来世の自分だと認識して呼んでいる。
  
「ルカノ 思イ 受ケ取ッテ」

アナ・ウロングクスヌク・ピエトリ・ユタの声が脳内に響く。
声が震えている。

「命ヲ 賭ケタ ルカノ 優シサ。 ルカノ 命 受ケ取ッテ」

幼い頃のアナ・ウロングクスヌク・ピエトリ・ユタは、私にルカを殺せと言っている。
そして「生きろ」と言っている。

アナ・ウロングクスヌク・ピエトリ・ユタは頭を垂れて合掌した。
ルカの崇高な思い、自己犠牲の精神に対して合掌しているのだろうか? 
それとも謝罪の意味を込めて合掌しているのだろうか?

アナ・ウロングクスヌク・ピエトリ・ユタは顔を上げると、煙の様に消えてしまった。
消える瞬間、アナ・ウロングクスヌク・ピエトリ・ユタは涙を流している様に見えた。

「アナ」
 
ルカの呼ぶ声がする。

「……怖がらないで、大丈夫よ」

「……ルカ」
 
突然、周囲が赤く輝いた。
すると赤く光る巨大な人達が暗闇の中から現れ始めた。
一体誰なのだろうか? 
赤く光る人達の数は池に落ちた石が波紋を広げる様に、私とルカを中心にしてどんどん増えていく。
赤く光る人達はあっという間に宇宙空間を埋め尽くした。
赤く光る人達は何も言わずにじっと私達を見ている。
すると赤く光る人達は私達に向かって頭を垂れた。

「アナ・ウロングクスヌク・ピエトリ・ユタの生まれ変わり、アナよ……」

赤く光る人達の一人が、私の脳内で語りかける。

「我々は、アナ・ウロングクスヌク・ピエトリ・ユタの犯した罪を許します。その気高き人間、ルカの思いが私達死んだ神々の怒りを鎮めました」

赤く光る人達は私達に向かって一斉に合掌した。

赤く光る人達は、きっと前時代宇宙で私が殺した神々の霊だ……。
ルカは、私が殺した神々の怒りを鎮めたのだ。
……何という事だろうか? 
一人の人間が、多くの神々の心を変えてしまった。
神として私が殺した神々を、一人の人間に過ぎないルカが救った。

「アナ」
 
ルカが眼をつむったまま呟いた。

「……さぁ、いつまでもこうしてはいられない。……早く」
 
ルカは私の両手を首でグッと押した。
私は眼を閉じて両手に力を込めた。
周囲から、神々が読経する様な声が聞こえてきた。

ルカの様々な姿が走馬灯の様に脳裏をよぎる。
シンとして生きる私の家に突然現れたルカ。
私を後ろに乗せ、愉しそうに自転車を漕ぐルカ。
タケシを助ける為に、一人で桜木に向かっていくルカ。
私の事を心配しながら、黒い空間に吸い込まれていくルカ。
アナ・ウロングクスヌク・ピエトリ・ユタとしての存在に戻ってしまいそうになった私を、必死に呼び戻してくれたルカ。
草原の向こうから笑顔で現れたルカ。
……そして、私の為に……私に首を絞められているルカ――

「ルカ、ごめんなさい!」

私は叫びながら両手に力を込めた。
神々の読経する様な声が一段と大きなものになる。
 
ルカ……許して。
……出来れば二人で地球に戻りたかった。

もう一度、あなたをシンに会わせてあげたかった……。

「アナよ」

私の脳内に声が響いた。
男とも女ともつかない不思議な声――大宇宙神の声だ! 
私の命を奪わず生かし続けている張本人。
私にあらゆる試練を与え、私を神として永遠に生かそうとしている張本人。

「アナよ」

大宇宙神の巨大な姿が脳裏に映った。
大宇宙神は大きく両腕を広げる。

「アナよ、生きるのだ」

大宇宙神の声が再び脳内に響く。

「ルカの命を受け取り、全てを背負って生きるのだ。罪の意識も、不条理な境遇も、辛い離別も、報われない努力も、不死も永遠も叶わぬ希望も、全て背負って生きるのだ」

大宇宙神は男とも女ともつかない声で私に語りかけると、私の脳裏に小さな白い光を残し消えていった。

私の脳裏で小さな白い光が淡く瞬く。
……この光、愉しそうに笑っている様に感じる。
そうだ……笑っている。
……もしかして、私は上手くやったのだろうか? 
私は大宇宙神の試練に合格……したの……だろうか?
 
意識が遠退く……。
眼の前が真っ白になる。
力が抜けルカの首が両手から離れた。
ルカの気配は小さくなり、やがて消えてしまった。
 
もう、私は二度とルカには会えないのだろうか……。
シンにも、モノノリにもアオノリにも会えないのだろうか……。
いや、そんな事はない筈だ。
……ルカは言っていた、「遠い遠い未来で必ず会える」と……。
その為にも、私は必死で生きていかなければならない……。
どんなに苦しくとも、どんなに辛くとも、それでも命を愛で、世界は美しいと素直に感じて生きていかなければならない。


「シン君!」


「ルカ!」


ルカとシンが抱き合う姿が見える……。
もう、ルカとシンは再会出来たの? 
……いや、そんな筈はない……これは幻覚だ。
……でも未来で必ずルカはシンと会える。
そして私も必ずルカに会える……。

皆に会える……。

そうだ、お礼をしなければ……いけない。
どこの誰だか分からない、あなた……。
私の話しを……最後まで聞いてくれてありがとう。
私は……全てを背負って生きる。
だから、あなたも……辛い事があっても、歯を食いしばって生きてね。

そして、永遠とも思える時間が流れた後……私達も……再び、遠い未来で……必ず……会おうね――


➡40、来世

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