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私の施術者としての集大成は何か

とうとう6ヶ月に渡るオンラインの学びが終わった。
最初からちょいちょい涙を流し、自分とは何か、自分がしたいことは何かを問い続ける6ヶ月間だった。
自分の職業は天職だと思っているし、一緒に学びを深めた方との出会いに心から感謝の気持ちをもらいました。
自分の歩む道のりが鍼灸セラピストとしてどこに向かっているのか。
そもそも私は歩いているのか?と度々立ち止まり、そして戻ったりしながらも今ここにいられるということが不思議な感覚です。
一緒に学んだ方のサロンに行きたいな。と思うし、おそらく私は行くと思う。
そうやってもっともっと貪欲に何かを見つけに行きたいと思っている。

今回この記事を書いているのは、私が「セラピストを憧れの職業に」と掲げている上原健志先生が主催するオンラインセミナーである【仏教哲学から学ぶ】セラピスト・エスティシャン向け経営マインド養成塾(全6回)に参加して私が感じたこと、学んだことを残すためのノートです。
 6回に渡る講座の中で何を感じ、何を考えたのか、また、私が次の会までにやると決めたことを書き記し、自分の思考を読み返すために残したいと思います。
講師の文城孝治先生はまだまだ珍しい男性エスティシャンであり、技術講師などをされている方で私は最近はすっかりご無沙汰になってしまったクラブハウスで文城さんのお話しを聞いてからずっとこの方に興味を持っていました。
とてもはっきりとした口調で物事を話すその姿は怖いと感じる人もいるかもしれないけれど、厳しさの中には芯の通った意識がありそこが信頼出来ると感じてました。
 セラピストやエスティシャンは一流の技術を持っているだけではだめで、やはり人間力があってこそだと常々思っている私にとってこのセミナーは私が学ぶべきものだと思い迷わず受講を決めたのでした。

第一回 あなたは何を売るのか

人は何かを売る本質的な理由とは?
お金をいただくことは悪?善?


第二回 あなたは何をしたいのか

「選択と集中」と「覚悟と責任」
自分は何をしたいのか、ブランディングとは


第三回 あなたは聞くだけになっていないか

伝えるべきは伝える。ファンづくりとは
集客やリピートにつなげる発信力


第四回 あなたは人のせいにしていないか

失敗も成功も思考の段階で決まっている
成功脳に導く思考の矯正


第五回 あなたが幸せにしたい人は誰か

スタッフに愛されるサロンはお客様にも愛される
魅力的な人材育成と人間関係構築を考える


第六回 あなたが歩む施術者としての集大成は(今回の記事はこれ)

理想とする施術者の道を切り開く
全6話の総まとめ


とうとう最終回になってしまった。
本当に月に一度の学びなのだけど、毎回新しい視点が生まれ、様々な感情と自然と湧き出る感謝の気持ちで胸がいっぱいになる。
そして、5月の最終回から1ヶ月が経った。
毎回講座が終わると自分の中の未消化な感情と日々向き合い、考え、感じ、私には難しすぎるかのようにも思える大きな問いと向き合う日々を過ごす。
そして、面白いことにその問題が解決する糸口となるような、物事を目にするようになる。私の思考が出来事を引き寄せているのだろうか・・・。

  • 時間は命そのものであるということ。

  • 何かをしたい時、中道でいること。

  • 相手の話を聞くときはその悩みを成仏させられているか、感情の空振りをさせない心がけ

  • 自分の奢り昂る心を矯正する。(七慢、正義に固執しない)

  • 誰かを幸せにするためには自分を幸せにすること。
    何かを得る、貪欲に貪らない。知足を心得る。

ということを学んできた。
どれも学び深く、たくさん悩み、考えたからこそ、そのときの気持ちが復習をしながらも思い出されていた。
この半年の間、公私共に色々あったし、考え方が変化していったのと、私自身がより良い世界になるために出来る事について考えるようになっていった。
 仏教哲学という切り口でセラピストマインドを語るこの勉強会だが、この会は本当に形のないもの(心)を形にする(文章にする)ということを繰り返してきた結果私なりのマインドというのが作れてきたように思う。
 難しいと敬遠することもなく、ただ私の道を辿るような時間もあったし、自分の足の先にある道を見つめるような時間もあった。
 講師の文城先生の問いも、そしてファシリテーターである上原先生の合いの手も私にとっては欠かすこのない時間だったなと思う。

今回のテーマ「あなたの施術者としての集大成とは?」
について最初にあった問いかけは

あなたは何のために施術者をやっていますか?

だった。
この質問に色々な答えが参加者の中で出ていたと思う。
生活のため、お客様のため、お金のため、家族のため、自分の技術を極めるため・・・
セラピストとして何を成し遂げたいのか。
こうやって改めて考えてみると、すぐ答えられない人もいると思う。
私は以前から『私の手を通して1人でも多くの人を笑顔にする』ために仕事をしている。神社仏閣で手を合わせてお礼を言うとき、お願い事をするとき、いつもこの事を思い手を合わせている。
お金やお客様との信頼関係ももちろん大切なのだけど、私は予約がいっぱいに埋まっても、月の売り上げが2倍、3倍になることよりやはりお客様の笑顔を見ることの方がモチベーションは上がるタイプの人間なのだ。と日頃からわかっている。
そして、この後文城先生は続けて質問した

もしその目標が達成された上であなたは何のために施術者をやっていますか?

先ほど話したように私の願い1人でも多くの人を笑顔にする。という願いが達成される様子を想像した。世界が笑顔で溢れていて健康で誰も困っていなくて・・・。

あれ・・・私いらなくない?

世界は笑顔で溢れているのに、私はその時消えてしまうのだろうか・・・。
私の願いは私の存在そのものが不要になるなんて。
最初、この答えが頭に浮かんだ時とてもショックを受けた。
世界がより良くあるために、私ができることは何かの先にあるものが私の存在の無価値になる世界。

この後も文城先生の話は続く。
目標が達成された先にある何のために施術者をやるのか。
は、自分自身の戻るべき場所。自分が施術をしていくテーマになるという話だった。
それこそが仏性(一切の衆生が備えている仏になれる本性)であると。
どんな人でも平等に持っていると言う仏になれる性質。それは一人ひとり違うのだろうか。
それを磨き、高めていくことを菩提心というようで、この菩提心にも

  1. 王様のような菩提心

  2. 船頭のような菩提心

  3. 羊飼いのような菩提心

という三つの道の求め方があるという話だった。
菩提心は道を求める心や悟りを求める心のこと。
王様のような菩提心は簡単にいうと自己先行型でありリーダーである私がまずはやってみせるというスタイル。
船頭のような菩提心は自他同時型であり、あくまでも一緒にやっていこうとするスタイルのこと。この際に自己専攻型で進めようとすると以前に書いている七慢が出て来てしまう。最後の羊飼いのような菩提心は他社先行型で、先に仲間を歩かせ後方から安全性を見守りながら全体を同じ方向へ向かわせるスタイル。(この場合の方向とは悟りの道)
この三つの菩提心は1から順に難易度が上がっていくのであるが、どのスタイルで悟り(自分のゴールにたどり着くのか)を状況や仲間によって変えていくことが大切そうだなと話を聞きながら思った。

私の中に生まれた私が世界から必要とされない世界。についてこれは私にとってはとても衝撃的でこの話を聞きながらも、私の求めているもの・・・って何だろうかと話を聞きながらもずっと自問自答していた。
その後のシェアリングの時間にも他の方の話していた菩提心の話も、自分が誰のために、何のためにどうしたいのか・・・。という話を聞いたり、意見を聞いても全然頭に入ってこない。それくらい動揺していた。それこそ、最後の最後が1番動揺していたかもしれない。
私のグループの人が『そんな世界が実現してもきっと私を必要としてくれる人がいるはず』そう言われたときに私の中にくっきりとした違和感が生まれた。
私は自分の道を誰かに必要とされたくて求めていたわけではないのかもしれない。
そう思ったのだった。その違和感のお陰で私は気がついた。
私がいらなくなる世界。なんか眩しくて幸せかもしれない。綺麗事ではなく、自分のモヤモヤとしていた感情が霧が晴れたように明るくなり、悩みが昇華したのを感じた。

癒しがいらなくなる世界。全てがそこにある、それは幸せな光景だと心から思えた。
セラピストとしてその世界のために私の魂を使いたい。
心からそう思えた。

誰かに必要とされることはとても尊いことだと思う。
嬉しいし、モチベーションにもなる。
そして、それを追い求めすぎていると気がつかないうちに私の思考や行動は偏ってしまい中道から外れたり、七慢が生まれるのかもしれない。
たとえ正しく生きていても正しさに執着していては誰もついてこず、賢い愚かな人になってしまう。
私がどうしたいのか、どう生きたいのか。周りが私に求めているものは何か。
それを突き詰めるが私にとっての施術者の本質を追求する姿勢なのかもしれない。

6回に渡る講座は長くも短くも感じられる時間だった。
笑顔で生きるために私はこれからも私がいらなくなる世界のために歩み続けたい。そう思える時間になった。
慣れない仏教用語を分かりやすく、現代社会の事象に置き換えながら聞く話はどれも暖かく優しさに溢れていて、幸せだった。
本物、本質を求めることは時に厳しく辛い修行のように感じるし、一般人の私何かでは到底到達できるものではない。と参加する前は思っていた。
しかし、一緒に話を聞く声だけのセラピスト仲間の方達には温かいつながりを感じたし、こんなにもたくさんの人がよりよく生きるために学ぼうとしていたことが私にとってこの暗い社会の中の希望の光だったようにも感じる。

難しいことも
悩むことも必要なく
ただ、ただ、真っ直ぐに人生の道の真ん中を笑顔で歩いていく先に
私の必要としなくなる社会がある。
それは私にとって今、学ぶべきすべてのことがあった講座だったと心から思える。

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