私は何がしたいのかを考える。

これは私が「セラピストを憧れの職業に」と掲げている上原健志先生が主催するオンラインセミナーである【仏教哲学から学ぶ】セラピスト・エスティシャン向け経営マインド養成塾(全6回)に参加して私が感じたこと、学んだことを残すためのノートです。

 6回に渡る講座の中で何を感じ、何を考えたのか、また、私が次の会までにやると決めたことを書き記し、自分の思考を読み返すために残したいと思います。
講師の文城孝治先生はまだまだ珍しい男性エスティシャンであり、技術講師などをされている方で私は最近はすっかりご無沙汰になってしまったクラブハウスで文城さんのお話しを聞いてからずっとこの方に興味を持っていました。
とてもはっきりとした口調で物事を話すその姿は怖いと感じる人もいるかもしれないけれど、厳しさの中には芯の通った意識がありそこが信頼出来ると感じてました。
 セラピストやエスティシャンは一流の技術を持っているだけではだめで、やはり人間力があってこそだと常々思っている私にとってこのセミナーは私が学ぶべきものだと思い迷わず受講を決めたのでした。

過去の記事は​こちらから


さて、今日は2回目のお話。
私は何がしたいのか。ブランディングや自分の技術の差別化について考えるお話しでした。

公私共に色々な事が起こって忙しく、
一月に開催された会だったのだけど、何度も何度も書き直し、もはや私はこれを書く意欲とちゃんと書かなくては!という謎のプレッシャーで何度も聴き直し、その度にメモをし直し。
4回目までに書こうと心を決めて最後の推敲文がこちらになりました。苦笑
ある意味すんごくしんどかった!!
こういう変な真面目さが、自分を苦しめているなぁって心から思ったりもしています。という前置きはこの辺にして本題に入ります。


こういう時にマーケティングや他と比較すること、たとえばペルソナを考えるということをしないのが、このマインド養成塾のすごいところ。
今回はタイムリーに何がしたいのかを考えることが重なり、その事柄が二転三転し、収まる自体になったので、このことについても併せて備忘録として書いていこうと思う。
※ただ、こちらも長くなるので、私は何がしたいのかを考える(B面)として別にアップすることにします。良かったら読んでもらって感想をもらえると嬉しいです。

『あなたにとって仕事はどんな側面があるか、自分の趣味(好きなこと)として、もしくはビジネスとして』そして経営においてそのどちらかに偏っていると上手く行かないという事についての話からスタートした回でした。
 鍼灸施術をするということがたとえば患者さんを治したい。という気持ちとビジネスとして鍼灸施術を続ける事。どちらか片方だけでは偏ってしまう。世の中に溢れるセラピーも同じ。仕事として、生業として施術料金をいただく事はその比重に苦しんだ事はみんなあるのではないかな。と思います。

偏りがどのようにして生まれるのか、そしてそれを認識することの難しさ。
たとえば患者さんを治したいという気持ちだけで走り続け、経営が成り立たなければ治療を続けていくことが結果的に出来なくなってしまう。趣味であればそれでいい。でも1人で家賃を払って、自分1人分だけでも生活していくのに十分なお金を稼げないのであればやはりそれは自己満足と言われても仕方ないと思う。
一方、経営だけに比重を置きすぎると多くの優しいセラピストは知っていると思うけれど、職場の不満に溢れ、クライアントを無視したセラピーになってしまう。
私もたくさんの心優しいセラピストを見てきた、売り上げ至上主義な職場でセラピーの本質を無視した仕事をやらされて疲弊していた人を、でも丁寧に自分の施術だけを追求している人とそうでない人、何が違うのだろうか。
先生はどちらにしても、経営がうまく行っている場合そのどちらにも偏っていない状態だという話でした。
お客様を思う気持ち≒売り上げをあげている状態
クライアントを癒す、治す事
売上をきちんと上げている事
このどちらかで偏っているとその経営は長期的にみてうまくいかなくなってしまう。という話は何となくイメージできる。売り上げだけに固執してしまうとスタッフがついてこなくなって経営は失敗するだろうし、スタッフの環境だけを整えると学ぶことを学んだら去ってしまうスタッフばかりだろうし、お客様の事だけを考えていてもスタッフは離れていってしまう事もあるだろう。
偏りがないかを意識してみると実に納得がいく。
偏らないということを仏教用語では『中道』というそうで、真ん中をいくということらしい。経営において大切なのは中道を行くということ。
本当にそうだな。と思う、ただどうやったら中道でいられるのか。
その際に必要な行動条件があるということで紹介されたのが『八正道』。
八正道とは悟り(ゴール)に近づくための実践する方法のことで
1、正しい見解(見方)
2、正しい意欲
3、正しい言葉
4、正しい行い
5、正しい生活
6、正しい努力
7、正しい思慮(思い)
8、正しい集中
この八つを行動指針として実行することが大切だという話だった。

私にとって自分がしたい事、ブランディング、特化することというのは周りのセラピストと自分を比べて差異を見つけ伸ばすことだと思っていた。
この差異を見つけ伸ばす事は一歩間違うと相手を否定しながら進む事だな。と以前から思っていた。
 しかし、この中道をいくということ、八正道の実践は全く違うアプローチだと思う、自分の軸を見つめ、その軸が偏っていないかを常に俯瞰する事で自分の特化しているところが見えてくる。
そして、経営がうまくいくと言うのだからやってみるべきだと思った。

偏りの先にあるもの、私の以前の考えていた他者の比較から差異を強化する方法だと偏りが大きくなってしまう、その偏りをそのままにすると何が起こるのか。という話がとても印象的だった。

偏りはエゴになる。

人は偏りが過ぎるとそれはエゴになる。という話は心当たりがあるだけに、とても的を得ているし、怖いな。と感じた。
自分が正しいと信じて、相手を否定し、どんどん欲は強くなっていき周りが見えなくなってしまう状態。そんな状態で経営がうまく行くはずがない。
物事を俯瞰し、常に中道でいられるよう正しさを意識すること。中道でいるためには正しい意識、正しい見解を持たなくてはいけないし、正しい努力を続けなくてはいけない。そこには正しく生活することが土台となっている・・・。
こうやって考えるといかに正しくあるという事が大切かわかる。

私は仕事をしている上で中道で経営をしているだろうか。
私は物事を決めるときに中道で決断しているだろうか。
私は正しくいるだろうか・・・。

中途半端に自分の主張だけをしているのではないか。という気持ちになった。

今、私は何がしたいのだろうか。
仕事でも自分の生活でも、生き方でも。

そうやって考えていると自分のやりたいことがちっとも分からない気持ちになった。
決められないのは八正道を実践出来ていないからだろうか。
それとも、中道で物事を考えられていないからか・・・。
そんな思いを最後に質問したのだけど
その時に文城先生が伝えていただけたお話が
「決められない理由はしがらみが多いから。自分が楽しいと思う事をやってみたら」このアドバイスがとても心に染み入った。

私が決められなかった理由。自分がしたいと思う事を決断出来なかった理由は自分が決める事で誰かに迷惑をかけてしまうと思っていた事。
そして、その誰かに自分の考えを否定されてしまうと思い込んでいたからだった。まだ起こってもいない未来に、誰かもわからない(とは言ってもその誰かは確実に私の中で想定している特定の人がいるのだけど。苦笑)に傷つけられる事をしたくない。と行動を取ることが出来ずにいた私に今回のこの言葉はとてもとても染みた。

自分が偏る事なく、ただ、まっすぐに自分の道を中道を進めばいい。そう背中を押されたような気持ちになる会だった。

良い、悪いと正しい、正しくないは異なる。
物事を良し悪しで判断しがちな私たちではあるけれど。そうではなくて偏っているか、中道か。を軸に意思決定をしていきたいな。と思った。

今後の課題
問題や悩みにぶつかったときに、自分の思考が中道にあるか。を意識してみようと思う。何か気づきがあるかな。と今から楽しみです。

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