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春の衝動

 春の終わりのお日柄の良い日の事だった。
周りの人が何かを始めました!とか神社にお参りに行ってきたという投稿を見てじわじわと焦る自分がいた。
その日も私はいつもと変わらず忙しくしており、普段通りご飯を食べる時間もそこそこに仕事をしていた。そしてその日の夜、なんとなくモヤモヤした気持ちをSNS上で吐露してしまった。

 後日、思っていた以上に色々な方よりコメントをいただきとても嬉しかったのだけど・・・。私はとても驚いた事にあんなにモヤモヤした気持ちが翌日になると驚くほどなくなっていたのだ。
 あの衝動は何だったのだろうか・・・。気持ちを誰かにぶつけるでもなく、ただただ書き連ねただけ。それで気が済んだという事でもない。
あの文章を書いた時、私はどうしようもない孤独感が付きまとっていた。
書いた後もその気持ちはそこにいたのだけれど、寝て、起きたらいなくなっていた。誰かにわかってもらいたい。と思っていたわけでもない。
 決意にも似たその文章は今読み返してもなんとなく辛そうに、強がっているように感じてしまう文章。まるで女子高生の夜中に書いたラブレターのよう・・・。

以下内容をこちらに残しておこうと思います。

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自分の中の男性性と女性性がこんなにもぶつかりあうののかというのをまじまじと対面している。
どちらがいいとか、悪いとかではない。
というのは分かっているし、どちらも私なのだけど。
こういう時にいままでの内省と学びが意味を持ち、考えを深くしているように感じています。
この文章を読んだ人も私が何言っているの??ってなると思うと思うのですが、ちょっと吐露してみようと思いました。
はたからみると私は独立し、うまくいっているし、悩みもなくぐいぐい無邪気に進んでいるように見えるのかもしれない。
たくさんの人に私のように仕事と向き合えないといわれたりする。
私はあなたのように社交的ではないから。
私はあなたのように自分の事だけをやる事は出来ないから。
私はあなたのように・・・
もうそうやっていわれる事に傷つき疲れたし。無意識に私を傷つける人をそのままにしておくことも嫌になったのです。
私は自分のやりたい事だけをやって
多くの事を犠牲にしていると思いたくないし、
私が出来ない事を多くの人が助けてくれてここまで来ていると思っている。
私には自分の出来ない理由を他人と重ねて言い訳にする時間はないし、相手にしている暇があれば、私の使命に命を使いたいと思っている。
言い訳するなんてカッコ悪いよ。
私の手を通して疲れたり弱っている人に希望の光が、笑顔になる手助けが出来るなら、そのためには自分の命を削ってでも仕事と向き合いたいと思っているし、そう思える仕事に出会えた事は誇りでもある。
見えない自分のスピリチュアリティにも感謝している。
そして何よりも崩れそうになったり壊れそうになる私を支えてくれる周りの人にも感謝している。
私が弱っていると私のずっと先を進んでいる人が私の行くべき道を指示してくれている。
でも、そこへ進むのは自分自身。自分の二本の足で一歩ずつ進むしかない。
文句言っている暇があれば足を一歩でも出そう。
そして、私はより楽しく。軽やかに、もっと自分の事が好きで自分の人生を愛して、たくさんの人を幸せにするために命を燃やしたいと思っているのです。
最後まで何を言っているのか分からないと思う人も多いと思うのですが、なんとなく、今日は一粒万倍日で、天赦日という最強の一日なのに、何かを始めたり、新しいお財布を買う事も出来なかったので。今の新しくなりつつある気持ちを残しておくことにしました。
どうか、今の私の心の葛藤を見逃してください。笑
でも、新しい靴が届き、それを履いたら、すっごく軽くて幸せな気持ちになりました。なんとなく私らしいいい日になりました。
きっとこの靴が色んな所に連れて行ってくれるでしょう。

この文章を書いた日を境に目の前の景色が変わったわけではないのだけれど、とても豊かで穏やかで楽しい気持ちで過ごせる時間が増えているようにも思える。
私は私らしく。
出来る事も出来ない事も
もう少し成長したいと思うし、後退していくことも受け入れながら前に進む気持ちになっている。
色々あるけど

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