追悼は星の一生のように


                   白島 真


 今月も120冊余りの詩誌に目を通した。限られた字数で取りこぼしのないように詩誌評を書くのは至難の業である。各詩誌が時間とお金をかけ、多大なご努力と研鎖を積まれていることを思うと、なるべく多くをご紹介できればと考える。今回はその方針でいくので、評するという観点からは若干ずれるかも知れない。
 まずは3月号で紹介できず机上に残された詩誌から。☆『東国158』(群馬・川島完)、村椿四朗の評論「詩人白石かずこの場合」。詩では尾内達也「てのひら」「紙」、小保方清「絶望の闘争」、川島完「坂道」。☆『木偶112』(東京・田中健太郎)復帰した荻野央「額縁」に注目。詩、評論と充実した紙面。田中の旺盛な活動に目を瞠る。☆『青い花93』(所沢・丸地守)藤田晴央が高橋玖未子詩集『呼ばれるまで』の書評を書き、その高橋玖未子が小柳玲子『夜明けの月が』、林嗣夫『洗面器』、山田隆昭『伝令』の書評を書いている。(書評タイトルが違うのが気になった)詩では丸地守「迷行の旅」、さとうますみ「潮鳴りの町」、谷口典子「短冊の人」、橋爪さち子「午後の光のなかで」、こもた小夜子「いま、ここ」等。☆『天童山文庫86・87)』(京都・田中国男)A4を2~4枚ホチキス留めせず、折り畳んだ詩誌で、(おそらくは)献呈された詩集の詩篇を数名紹介している。自身の詩や評論、日記なども。自作の表紙画が毎回素晴らしい。☆『はだしの街60号』はその田中が発行人である同人誌。寺田操「音信」、木村小夜「図書館司書の場合』。当誌でも書評を書かれていた花潜幸の詩集評がまた読めるのが有難い。☆『生き事14号』(東京・生き事書店)現在同人11名でH氏賞受賞者が多い。今号は久谷雉「秘密」が圧巻。旧仮名遣いの特性が生かされ、抒情を受け止める自分の空間が洗練されていくような感覚を覚えた。全行引用する。

【今日/あなたの顔に/はじめてさはりました//あなたの眠つてゐる町から/鉄橋と峠を/いくつも越へてたどりつく//黄昏の祠で わたくしはたしかに/あなたの顔にさはりました//窓のやうなものも/穴のやうなものもすべて消えて/一枚のかゞみとなつた/あなたの顔に/手の甲をあてゝゐました//幸福でした】

岩佐なを「樹海」、付属の栞も素敵だ。☆『左庭43号』(京都・山口賀代子)堀江沙オリ「安達ヶ原」、岬多可子「山百合」、伊藤悠子「転んだ」。☆『冊60号』(千葉・上手宰)、☆『59・19号』(札幌・そんごくうの会)1959年生まれの金井雄二、岩木誠一郎、伊藤芳博の3人誌。☆『橄欖115号』(稲城市・日原正彦)☆『アリゼ193号』(神戸・以倉紘平)☆『「新年」への想い7号』(新潟・市島三千雄を語り継ぐ会)。市島三千雄(1907~1948年)は萩原朔太郎に天才的と評されたが、生前、1冊の詩集も出さないまま早世した新潟市出身の詩人。☆『午前16号』(東京・布川鴇)。よく聞き知った書き手が多い詩誌だが、谷川俊太郎が1951年作品(19歳)「香わしい午前」、2019年作品(87歳)「退屈な午前」を二篇並べており、一人称の違いや死に対する距離感の違いなどが比較できる。以上が3月号分で印象に残った詩誌です。

 詩人の高木護が昨年10月16日に急性心不全により92歳で亡くなったことを、
☆『詩と眞實12月号』(熊本・今村有成)の編集後記で知る。☆『粋青99号』(岸和田市・後山光行)には後山の「三人の昭和放浪詩人、寺島珠雄、伴勇、高木護」があり、詩誌の創刊から高木にアドバイスをもらっていた旨が記されている。☆岩本勇個人詩紙『おい、おい176号』(武蔵野市)にも友人と高木のアパートに遊びにいったとある。実は筆者も何度か大田区石川台の高木のアパートに遊びに行ったことがあった。 押入れを開けると 梅酒の瓶がたくさんあって そのうちの一本を頂いた。30年以上前の話だ。ご冥福をお祈りしたい。
 各詩誌のメンバーの高年齢化は否めず、以下、追悼特集やあとがきで逝去を知らせるものが多い。『ア・テンポ56』(神戸・玉井洋子)、『兆・184』(高知・林嗣夫)、『沃野・627』(名古屋・岡田忠昭)、『六番目の母音3号』(青森・神谷直樹)、『木想10号』(神戸・高橋冨美子)、『じゃからんだ17号』(埼玉・青山博明)、同人、田島杏子の詩篇「厳しいひとよー永訣(わかれ)」、『詩都50号』(東京・都庁詩をつくる会)は巻末に49号までの総目次を資料として掲げている。その歴史の中にも追悼号が散見される。

追悼といえば、☆『山陰詩人215号』(安来市・編集・川辺真・岩田英作)、寄稿ではあるが読書評、井川博年「追悼詩の傑作」が面白かった。井川が読んだ作家・松永伍一『快楽のスタイル』という本の中に『山陰詩人』を発行してきた現顧問・田村のり子「種蒔キシ人ニ」という作品があり、そのことについて触れている。田村の追悼詩「種蒔キシ人ニ」を全行引用する。

 四月廿一日 =三郎山口ニ死ス
 四月廿二日 =三郎骸トナッテ帰還ス 裏庭ノアイリス一斉ニ咲ク
 五月一日  =アヤメ咲ク イキシャ咲ク
 五月十日  =スイートピイノ蔓、三郎ノシタテシ支柱ヲノボル 
        ピン ク・紅・薄紫ニ競イ咲ク
 五月廿日  =虞美人草咲ク 撫子咲ク
 六月一日  =花菱草咲ク アマリリス烈シク咲ク
 六月廿日  =桔梗咲ク
 七月一日  =グラジオラス咲ク
 七月十日  =孔雀草咲ク
 八月一日  =オシロイバナ咲ク
 九月一日  =玉スダレ咲ク
 十二月十日 =水仙突如トシテ咲ク
 一月廿日  =サフラン咲ク
 二月廿日  =サクラソウ咲ク
 三月廿日  =ヒヤシンス咲ク
 四月廿日  =再ビ、アイリス一斉ニ咲ク

 そして井川は松永の解説を引く。【三郎というのはこの作者の夫であろう。(…)それは死者の霊がそこに注がれているような華やぎであり、荘厳さである。その一瞬、田村さんは「三郎が花を咲かせる」と信じたのだろう。(…)「あの人が咲かせてくれる」と信じられるとき、追慕の想いはつのる。こういう形式の詩を私は知らない。】
 井川は言う。「作者はアイリスの花を「三郎」の化身と信じて疑わないのである。ここではアイリスが象徴的に使われているが、アイリスの花言葉は〈信じる心〉と〈良き便り〉である。」そして日頃思ってもなかった霊魂の存在を、自身の「カマキリ」という詩が考えさせる縁(よすが)となり、話は松山の風物や小泉八雲の存在にも発展する。田村が漢字とカタカナで書くことは、戦時中の女学校教育で生まれた教養であろうと推察している。
 私自身はこの追悼詩を読んで、毎年咲く花々が、田村の胸の宇宙空間に輝く、一つひとつの綺羅星のように思えた。

 ☆『フラジャイル7号』(旭川市・柴田望)最近、詩作に復帰した帷子燿「作文」、山田亮太「この世」、木暮淳「走れエロス!」、柴田望「壁」の副題にある片山晴夫(北海道教育大学旭川校名誉教授)の特別講演(2017年8月26日)の「安部公房の戦後作品を読む」と題された講演記録(記録・柴田望)。
 ☆『ギルティー33号』(三鷹市・オフィス・コム・ギルティー編集局)発行人は山形敬介だろう。ゲストは高知の詩人長尾軫が「にっちもさっちも日記」を寄せている。山形は長尾の詩集『菜園 しゃえんじり』の出版の手伝いをしたことで、長尾のユニークな詩が多く引用されている。165頁2140行の詩だそうだ。一部引用する。

【今夜の酒の肴は/羽化しはじめた蝉にしよう/夜が目玉のごとくひかりだすと/地中から這い出してくる蝉に/殻から出たばかりの/羽ののびきらない/まっ白い蝉を/素揚げにして粗塩をふり/くらう/かすかな苦味と/かすかな甘み/故郷の酒亀泉(かめいずみ)が/貌を映している】


 ☆「麓(ROKU)10・11号」(札幌・嵩文彦)A4用紙20枚ほどのカラー・白黒用紙を半折り、製本、ホチキス留めをせず
表紙で包んだ形式。これはこれで一つの主張であり好ましい。表紙画は、本文「和紙を愛おしむ」を連載中の吉田礼子。他に愛敬浩一『草森紳一の「散歩」論』、市川義一の号替わりエッセイが連載されている。10号には帷子燿「キキキ」、11号には、田中健太郎が「山川精さんが執筆に参加した随筆集『北国詩情』」を寄稿。嵩文彦の俳句ならぬ定型17音詩や詩、カラーのパッチワークも目が離せない。「あとがき・そのほか」も問題提起したエッセイや貴重な情報が多く、1月25日からの「砂澤ビッキの詩と本棚」展が北海道文学館で始まることについて触れた文章の一部を、長くなるが引用する。

【皆、反権威・反権力の詩人たちでした。筆頭は江原光太さん。貧乏なビッキを、江原さん自身が大変なのに、ずっと助力し続けました。(…)まだビッキは今のように有名ではありませんでした(…)北海道の文学にとってとても重要な仕事をされた、江原光太さんはその業績がこれまでまったく顕彰されてきませんでした(…)北海道詩人協会が先鞭きって、江原光太さんや、江原光太さんと深くつながる堀越義三さん、笠井清さん、古川善蔵さんたち、私たちの先輩詩人の業績をしっかり記録に残す仕事をはじめてくださると、これはすごいことだと思います。今回の「砂澤ビッキの詩と本棚」展の開催が、その問題への突破口になってくれたらどんなに良いことでしょう。「官」にたよらずに、「民」が微力でも自らが動き出さないことには、北海道がますます駄目になりそうですから。】


 私も北海道に10年住んでいて、江原さんとは数回お会いしている。列挙された詩人のお名前もよく知っている。全く同感である。江原さんの『貧民詩集』を求めて古本屋巡りしたことを思いだした。北海道に限ったことではなく、このような構造的問題はどの地域でもありそうだ。
 
年内発行詩誌で印象に残ったものを簡単に紹介する。
☆『千年樹80号』(長崎・岡耕秋)山本みち子「菫」、吉田義昭「東シナ海」、論考は青木由弥子「凝視と陶酔 伊東静雄を読む5」☆『水流21号』(埼玉・林哲也)あさい裕子「親指」☆『空想カフェ28号』(東京・堀内みちこ)堀内の個人詩誌だが「月光の愛の仕事」書き出し2行がいい【今夜は月夜だ/窓ガラスがそわそわする】☆『hotel45号』(千葉・hotelの会)伊藤浩子、海埜今日子、片野晃司、カニエ・ナハ、野村喜和夫、浜江順子、広瀬大志、森山恵など、各方面で活躍している詩人が多い。幻獣というテーマが出されており、海埜、広瀬、野村の作品が特に獣の幻性を意識させた。☆『粼(せせらぎ)24号』(船橋市・粼の会)宇井ゆう「ミシン」(寄稿)、青野長幸「プリーモ・レーヴイの詩について」。
☆『鹿153号』(浜松市・鹿の会) 特集「新しいポエジーを求めて」中久喜輝夫、橋本由紀子のエッセイ。春秋末期石皷文から採った「鹿」の題字が素晴らしい。
☆『くれっしぇんど108号』(静岡・高橋絹代)高橋の詩篇「あやとり」は今の時代がスピーディー過ぎることを思い起こさせる。
☆『薇21号』(埼玉県桶川市・秋山公哉)薇の漢字が読めず調べる。「ぜんまい」かな?。秋山「蝸牛」。
☆『竜骨111号』(さいたま市・高橋次夫・友枝力)寄稿だが中尾敏康「高橋次夫論 ネオ・リアリズム詩への経緯を追って」が読み応えがあった。北川冬彦の『時間』同人であった高橋の詩法ネオ・リアリズムとは何なのか、その一端が見える論考。☆『青い階段48号』(横浜市・浅野章子)坂多瑩子「ノオト」☆『季刊 詩的現代31号』(群馬・愛敬浩一・樋口武二)特集「大島渚の時代と映画」冨上芳秀、高橋英司の論考。☆『蘭91号』(尾道市・高垣憲正)金森武彦の「宇宙に恋して8」が分かり易い。「人間原理」に触れた論考。☆『天秤宮49号』(鹿児島・宮内洋子)歌川国芳の表紙画が大迫力で木佐敬久の「表紙画随想」の分析に納得。詩は中村なづな「ふたり」、宮内洋子「汽水」「マタギ」☆『焔117号』(横浜・福田正夫詩の会)第33回福田正夫賞は沖縄出身の与那覇惠子『沖縄から見えるもの』に決定。詩は蛾兆ボルカ「うずくまるもの」簡素な言葉で深い抒情を表出することに長けている。☆『コールサック100号』(東京・鈴木比佐雄)記念すべき100号は堂々の335頁。末松努「窓」、八重洋一郎の100号記念エッセイなど。
☆『操車場145号』(川崎市・田川紀久雄)長谷川忍「菖蒲橋」。橋はどこか想像力をかきたてる。☆『Contralto41号』(西宮市・坂東里美)関はるみ「屈折の」☆『舟177号』(岩手・大坪れみ子)木下裕也「湖底」、日原正彦「残酷な秋」☆『扉のない鍵3号』(東京・江田浩司)中家菜津子「柳の反映」☆『po175号』(大阪市・左子真由美、尾崎まこと)佐々木洋一「さりらりら」、木村孝夫「この一行に」。
☆『詩素7号』(平塚市・洪水企画)二条千河「観音」、小島きみ子「天降る」(あまもる)、坂多瑩子「昼休み」等、力量ある詩人の作品が多い。


*文中の敬称は省略させてもらいました。

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