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【TRAVEL】鹿児島~向田邦子さんの「故郷もどき」を訪ねる

知覧・鹿屋に始まり、幕末・維新の英雄たちの育った鹿児島市内門前町と続き、今回の鹿児島弾丸旅行記の締めくくりは向田邦子さんです。転勤族の家庭に育った向田さんが「故郷もどき」と呼んで懐かしんだのが、ここ鹿児島なんですよね。市内にある「かごしま近代文学館」には、鹿児島を代表する文豪たちとともに向田邦子さんのコーナーもあり、今回の旅行でぜひとも訪れたい場所の一つでした。館内の紹介と共に向田さんについて書き綴っていきたいと思います。


まずは居住跡地から

ここで向田さん一家が暮らしていたのか・・・と想像してみる

鹿児島市内にある城山という小高い山(というか丘でしょうか)の麓あたりにある平之町に向田さんの居住跡地がありました。ここはお父様の勤めていた会社の社宅のあった場所だそうで、近くには照国神社があり、少し歩くと一代繁華街の天文館があるというロケーション。そして何より、裏にそびえる城山を登ると桜島が一望できるという風光明媚な地域。当日は残念ながら曇天であり、いまでは高層ビルも林立していることもあり、当時のような桜島の雄大な景色は望めないようです。

石碑もありました!

いざ、「かごしま近代文学館」へ!

まずは鹿児島を代表する文豪たちの多さに圧倒されました!近代文学館のホームページを参考に、主な作家を挙げると・・・海音寺潮五郎さん、林芙美子さん、椋鳩十さん、島尾敏雄さん、有島武郎さんと「超」がつくビッグネームばかり。作家愛用の品々や、作品に関する資料も多数展示されており、見応えがありました。有名な作品の抜粋(名場面)などを読んでいると、ついつい全編読みたくなってしまいました。いずれもご自身の経験談などを基にした著作も多く、中には壮絶な体験もあったりして、そこが胸を打つと同時に考えさせられるんでしょうね。

そして待望の「向田邦子さんコーナー」へ!

2階の大きな一区画がまるごと向田邦子さんのコーナーになっていました。以下にこちらも近代文学館のホームページより、向田邦子さんに関する紹介文を載せてみました。

向田邦子(1929年11月28日~1981年8月22日 没年51歳)
脚本家、エッセイスト、小説家。東京府荏原郡世田ヶ谷町若林(現・東京都世田谷区若林)生まれ。10歳の時、保険会社に勤める父親の転勤に伴い、鹿児島で2年3か月を過ごす。実践女子専門学校卒業後、広告会社の社長秘書から映画雑誌「映画ストーリー」の編集者を経て、29歳で初めてテレビ台本を執筆。ドラマ「時間ですよ」「だいこんの花」「寺内貫太郎一家」など多くの作品を生み出した。1976(昭和51)年、エッセイの連載を開始。これをまとめた『父の詫び状』が出版され話題を呼ぶ。1980(昭和55)年、連載中の連作短編小説『思い出トランプ』より、「花の名前」「かわうそ」「犬小屋」で第83回直木賞を受賞。翌年、台湾旅行中に航空機事故により死去。

かごしま近代文学館ホームページより

向田さんの全作品に関する年表や、居住マンションのリビングを再現したコーナー、さらには向田さんの留守番電話メッセージ(本物)、愛用の洋服、さらにはご本人は好まないと仰ったそうですが、向田さんを偲ぶ「像」なども飾られていて、非常に内容が充実しており、とても見応えがありました。

準備不足を痛感!「眠る盃」だけでも再読すべきだった・・・

以下は現在、この記事を書いている際に参考にした「NUAワールド 文学散歩」というホームページを見ながら痛感したことになります。なんとなく雰囲気で向田さんが鹿児島を好いていらっしゃったことは知っていたので、それだけで訪れてしまったわけですが、やっぱり著書「眠る盃」に収められている「鹿児島感傷旅行」は読んでから来るべきだったな・・・と若干後悔。もっとしっかり読み込んできていれば、山下小学校や中央公民館、山形屋に「ぢゃんぼ(両棒餅)」・・・と、思い出の土地や食べ物にもう少し触れられたのに・・・と自分の思慮の浅さを反省。

「つぼ漬け」の話だけは印象に残っていました

それでも向田さんがクラスメイトのお弁当に入っていた「つぼ漬け」をいたく気に入り、「美味しい」と言ったところ、そのクラスメイトがいたく喜び、下校時に彼女の家にいって「つぼ漬け」をたらふくごちそうになったというエピソードがとても印象に残っています。・・・というのも、前職の時に小学生に国語を指導する際のテキストにこのお話が載っていて、毎年読んでいたんですね(笑)。なんてことのないエピソードかもしれませんが、なんとも言えない味わい深さがあり、この話を扱いつつ、向田邦子さんについてちょっとした雑談を挟むのが楽しかったな・・と思い出してみたり。このあたりから「いつかはココに行くぞ」と思っていたのかもしれません。

「向田文学」を生意気ながら語ってみた

いつの時代に読んでみても、古さを感じない、というのが「向田文学」の素晴らしさの一つではないでしょうか。もちろん、登場するツール類は当時のモノであり、そこにおいては現代とは異なるものもあるわけですが、登場する「人間(特に男女間)」については今と全く変わらない。向田さんの鋭い洞察力に驚かされるばかりです。代表作「阿修羅のごとく」「あ、うん」「冬の大運動会」・・・といずれも男女の心の機微を描いていますが、これは今も変わらぬ普遍性を持ち合わせているように思います。

一方、エッセイについては、もっとライトにご自分の身の回りに関して、向田さんにしか書けない文体で綴られています。何気ないエピソードなのに、向田さんの手にかかると、それが一流の読み物になってしまうという、一種の「マジック」のような不思議さを持っている気すらしてしまいます。食べ物の話、大好きな「ネコ」の話、家族と過ごした少女時代の話、お仕事について・・・と多種多様なエピソードが「向田マジック」によって一流エンターテイメントに昇華させてしまいます。そのどれもが温かさと冷静さ両方の目線を持っている点にも驚かされます。

鹿児島の持つ「温かさ」が向田さんの「故郷感」を醸成!?

わずか数日で鹿児島を知った気になってはいけませんが、こうして今、向田さんの鹿児島エピソードを振り返ってみると、わずか数年間の滞在だったようですが、ちょうどいい年齢(幼すぎず、逆に大人すぎず・・・という意味です)かつ、恐らくですがご家族(特にお父様のお仕事関係でしょうか)も安定されていた時期だったのかもしれません。そうした穏やかな時期だったことと、毎日のように噴火する桜島を見ながら、めいっぱい子ども時代を過ごしたこの鹿児島の地がなんともいえない思い出深い場所となったのかもしれませんね(やっぱり活火山と共に生活する、というのはその土地の人たちになんらかの影響←もちろんいい意味。があると思いますし)。

こうなると鹿児島時代のエピソードだけでも抜粋して、読んでみたくなりました。で、結局、もう一度訪れたくなるんでしょうね、きっと(笑)。


旅を終えて・・・(やりたいことリスト)

ということで、数回にわたってご紹介してきた鹿児島旅行記も今回で終了となります。久々の旅行となり、やっぱり時には日常から離れ、旅に出るのもいいですね、リフレッシュになりましたし、今回は学ぶことも多かったように思います。個人的にはこうした「余裕」が出来たのも、現職にチェンジしたから、ということもあり、いろいろとなんとなく「つながっている(呼ばれている?)」というか、「そういうふうになっているんだな」とか思いましたね。ま、こじつけかもしれませんが・・・。

今回の旅を通して、やりたいことですが、
① 「永遠の0」を読む(←まだ読んでなかったということを後悔)
② 上記に引き続き、特攻隊関連書物(または映像作品)に触れる
③ 向田邦子さんの作品を読み返す
など、やりたいことも出てきました。なんだかまた訪れることになりそうな気配がしますね・・・笑。

さいごはやっぱり西郷さんで締めくくりということで


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