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【台湾史】

オランダ時代以前(→1624)
マレーポリネシア系の先住民が住んでいた。
1544ポルトガル船員、台湾を「IlhaFormosa(麗しき島)」と賞賛。
1593豊臣秀吉、台湾に入貢を促す。

オランダ時代(1624→1661)
1624オランダ、台湾を占領。
ゼーランジャ城、プロビンシャ城を造る。
1626スペイン、基隆(キールン)を占領。
サン・サルバドル要塞を造る。
1628スペイン、淡水(タンスイ)を占領。
サン・ドミンゴ要塞を造る。
1642オランダ、台湾北部からスペインを
追放。
1652オランダに抵抗する郭懐一の蜂起。

鄭氏政権時代(1661→1683)
1661鄭成功、オランダを台湾から追放。
→明を復活させ清を倒す目的
1683鄭氏政権崩壊。

清国時代(1684→1895)約200年
1684台湾は清国領となり、福建省台湾府となる。
鉄製品・切った竹の持ち込み禁止
1854米国ペリー艦隊、基隆に寄港。
1871琉球漂流民殺害の牡丹社事件起こる。
→台湾に漂着した琉球漁民が殺害されたのを理由に、同七年、日本政府が征討軍を派遣し、清国から償金五〇万両(約六七万円)を出させた事件。
1874日本、台湾に出兵。
1885台湾、福建省から独立して台湾省に。
1894日清戦争→首府、台南から台北に移る。

日本統治時代(1885→1945)50年間
1895日清講和条約(下関条約)締結、日本に台湾を割譲
反抗を鎮圧
1895(5月)台湾民主国独立宣言。日本軍台湾に上陸。
(6月)台湾民主国総統の唐景_、廈門(アモイ)に逃亡。
→風土病蔓延
(ペスト・コレラ・赤痢・腸チフス・ジフテリリア・猩紅熱・マラリア)

台湾総督府「百年計画」
総督→児玉源太郎
→ 明石元二郎
台湾大学→東京大学がモデル
芝山巌学堂を建設(校長→伊澤修二)
同時先住民20族以上言語バラバラ
日本語教育
警察の配置
台湾病院の建設
日本精神(リップンチェンシン)
義理堅い・約束は絶対守る・嘘は言わない

医師後藤新平
(→1923関東大震災の復興計画も立案)
アヘンの悪習根絶
漸禁策→アヘン患者登録制→吸引許可制
専売(高額税金)
1900年16万人→1939年5,000人に減少
1945アヘン吸引免許全面停止→アヘン根絶

1896新年拝賀式の途中に教員・用務員6名が
約100人の匪賊(強盗団)に襲われ死亡
1896人口約260万人→ 1943人口約658万人
1897森川清次郎巡査が台南に赴任
→私財で寺子屋を作る
町の漁業税減額嘆願→扇動誤認→懲戒免職
→自害、その後疫病→夢枕で救う
「義愛公」神格化
1902新渡戸稲造を招聘
製糖事業1902年50万t→1905年130万t
砂糖の産地となる

1920土木技師八田與一、ダム建設着手
→1930烏山頭ダム・嘉南大圳(かなんたいしゅう)完成(50名死亡)
1930霧社事件。皇民化政策。
1934病院217ヶ所に増加(1897年29ヶ所)
1937頃
台湾人の皇民化運動(日本人化)強要
台湾人21万人軍事動員→約3万人戦死
1939工業生産額が農業生産額を上回る
1940台湾人の改姓名始まる。
1942日本人教育者延べ529名死亡

杉村茂峰少尉→「飛虎将軍廟」建立
髙田又男38号艦長→高雄市保安堂

国民党(中国国民党・中華民国)
統治時代(1945→)
「犬が去って豚がきた」
1945第2次世界大戦終了、日本降伏。
台湾、中華民国に復帰。
1945台湾省行政長官として陳儀が赴任。
1947二・二八事件
→煙草売りの女性を取締員が所持金没収・暴力、国民暴動
→逮捕・拷問処刑18,000→28,000人
エリートばかり狙う
1948蒋介石(国民党)、第1期総統に就任。
1949大陸で中華人民共和国成立(共産党)。
1950戦後から物価10,000倍上昇
大陸から移民激増→台湾住民失業
1952日華平和条約調印。
1971キッシンジャー訪中。中国、国連に復帰。台湾、国連を脱退。
1972蒋経国、行政院長(首相)に就任。
1972日中国交正常化、日華平和条約廃棄、
日台国交断絶
1978蒋経国、第6期総統に当選
1979台米国交断絶、中米国交正常化
1979美麗島事件
1986民進党(民主進歩党)結成
→台湾出身住民で結成、独裁終了
1987戒厳令解除
1988蒋経国死去、李登輝が総統に昇格
1989週刊誌『自由時代』編集長の鄭南榕、国民党政権に抗議して焼身自殺
1991第1期国会議員全員退職
1996初の直接総統選挙で李登輝が当選
→共産党との内戦終了宣言
終身国会議員の引退→国会の民主化

2000 陳水扁(民進党)
2008 馬英九(国民党)
2011東日本大震災、義援金253億円
→2012慰霊式典の指名献花から台湾代表を外す→恩を仇で返す
2016 蔡英文(民進党)
2022年7月台北安倍元総理の弔問
支持者多数「台湾有事は日本有事」
2024頼清徳(民進党)(らい せいとく・ライ チントー)新総統(65)が20日に就任た頼総統はこの日の就任演説で「卑屈にも傲慢にもならず現状を維持する」と宣言した。

[参考文献]
● 李登輝『「武士道」解題ノーブレス・オプリージュとは』
楊素秋『日本人はとても素敵だった』
伊藤潔『台湾 四百年の歴史と展望』(中公新書、1993年)
若林正丈ほか『台湾百科・第二版』(大修館書店、1994年第2版)

[首都台北]
[高雄]

紅露酒
紅麹
蒸留酒

新しい赤い→黄金色
6老紅酒
冬漢方温める
チェリーダック
北京ダック 握り
紅楼中


台湾とは?中華民国とは?
台湾島では今、北京共産党政権からの独立派と北京への帰属派がもめています。
帰属派はここは中国の一部だとして台湾という地域名で呼び、独立派はここは独立国であるとして中華民国という国名で呼ぶ。


衆議院平成二十四年十一月八日提出
質問第三七号
台湾との国交締結に関する質問主意書
提出者  中津川博郷

 尖閣問題、竹島問題、拉致問題など、近隣諸国との外交の困難に我が国が直面している今日、世界で最も親日的である隣国台湾との友好関係の重要性を、我が国はもっと真剣に考えるべきだと考える。
 我が国は昭和四十七年、中華人民共和国と国交を樹立した際に、無情にも一方的に、日本と深い絆のあった台湾と国交を断絶し、以来四十年間、正式な外交関係がないまま今日に至っている。
 それにもかかわらず、台湾の人々は常に親日的であり続けてくれた。例えば、昨年の東日本大震災の際、救援隊がいち早く駆けつけてくれたばかりか、民間の人々からの義援金は二百五十億円に達し、世界各国からの援助のなかでも群を抜いていたことは、記憶に新しい。
 それに対し、我が国は、震災後の支援に対する感謝表明の新聞広告を主要国に出した際も、台湾には出さなかった。その上、今年三月十一日の政府主催による東日本大震災一周年追悼式では、各国大使らが一階の来賓席に着座する中、台湾の副代表(副大使に相当)を一般客として扱い、指名献花からもはずして冷遇した。このような台湾への対応を改めなければ、日本の国家の品格が疑われる。
 昭和四十七年以来、外務省や政府は、「中国が怒るか怒らないか」という基準で、おっかなびっくり国の舵をとってきたが、「隣人が怒るから、自分が付き合いたい大切な友人と絶交する」というような、そんな情けないやり方をそろそろ終わりにする時期に来ているのではないかと考える。
 これからの日本の平和と友好、安全保障を考えると、台湾と正式に国交を結び、真のパートナーとなることが最重要であると考える。また、自国の外交方針を他の国の意向で曲げたり遠慮したりする自虐的な態度は、結局は日本の尊厳を損ない、為にならないことは明らかである。
 中国は中国、台湾は台湾として、我が国はきちんと国交を結び、台湾とより密接に外交関係を築いていくことは極めて大切だと考える。
 以上のような観点から、以下の通り質問する。
一 政府は、民主国家であり親日的である台湾と正式な外交関係を持つつもりがあるのか、政府の見解を示されたい。
二 もし、一について否定的であるなら、その理由を示されたい。
三 政府は、日本の安全保障上、台湾と集団的自衛権を含めてパートナーシップを強化していく意思があるのか、政府の見解を示されたい。
四 政府は、今年三月十一日の「東日本大震災一周年追悼式」での失態を繰り返さないためにも、今後、公の場で、台湾の代表(大使)をきちんと大使として取り扱うよう関係各所に伝達はしたのか、伺いたい。
 右質問する。

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