実用的(自分の人生に生かせる可能性があるという意)とは言い難い科目は、昔から苦手だった。その最たるものが哲学。昔からそれ知って私の人生はどう変わるの?とか、現実を動かせない机上の空論に時間を費やす意味がない、とまで言わないが、その他に自分の人生では優先すべきことがある、と考えていた。今でもそう思う自分もいる。
AIが進化し、答えが導ける事については合理化が進み、ロジックで導ける事は人間ならではの希少なものではなくなってくる(と言われている)。すると、己の生き方、ポリシー、生き方の軸、背骨、好き嫌い、つまり主観を育てるのが大切なことのように思える。
まだ、自分の生き方が定まっていない若い人へお薦めしたいのが、國分功一郎さんの「目的への抵抗」だ。前作「暇と退屈の倫理学」でこの手の分野で異例のスマッシュヒットを飛ばしたが、その明晰な語り口は本書でも健在だ。アンナ・ハーレントの著作の解釈に難儀している人は、一度読んでみるといいかも。いくつか、琴線に響いた言葉を紹介。
味わい深い。
私自身は、自分の子供に何かを問われた時に、少しでも彼らの心に響く一言を発せられるどうか。説得力を持った言葉で、その時の彼らの琴線に響くことばを送れるかどうか。その1点を念頭に置き、最近は新しい知識を取り込んでいる。かみ砕いて、自分のことばで相手に伝えなくては、相手に響かない。
文章を書く上でも、読者に「あいつらしいな」「あいつの文章を読みたくなるな。」そう思われないと、読んでもらえなくなる気がしている。AIが書いた文章の方が面白くなる、そんなことを最近思わないでもない。
若人へのメッセージとしては、下記が秀逸だ。
40歳を超えた今の自分に、この言葉は結構しっくりくる。
自分が大学生の時、自分がどこを目的に日々生きているのか全くわからず、途方に暮れる感覚を覚えるときがあった。その感覚は、今も忘れていない。当時、目的・目標がない1日を過ごし、空虚な日々を送ることが自分は耐えられなかった。形を変えたにせよ、若者たちはそんな感覚を覚えている人もいるはずだ。①目の前、②遠くの先。この二つの視点。
あとは、まずやってみること。とにかくフットワーク軽く、小さく動ける習慣は持っておいて損はない。試行回数が少ないのに「自分の好きなものが分からない」なんて言っていては、お話にならない。
自分にしっくりくるかどうか。直感的なモノを信じて進んでもいいし、やり始めてしばらくしてから考えてもいい。それが若者の特権なのだから。
人生を分けるものは、大きな差ではなく、小さな差から始まっていることにも、やがて気づいていくから。
明確な目的がないのに、自分が執着していること。そこに自分を深く知る、深く掘り下げるヒントが眠っているかもしれない。