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SEBULBA [2010] 踊ってばかりの国(アルバムレビュー)

踊ってばかりの国のアルバムのレビュー。今回は1st fullアルバムである『SEBULBA』だ。

あまりにもキャッチーすぎるジャケット

もしも前作『グッバイ、ガールフレンド』を尖った作品だと見なすならこの作品はややマイルドになったと評されるだろう。下津の声の刺々しさは相変わらずだが、歌詞やサウンドでは彼が想いを歌っているのがわかる。ここまで優しく愛を歌うというのは前作と次作『世界が見たい』との間にあることを考えると不思議に思われる。想いというのは恋人のみならず彼の周辺の様々な人たちへのもの。一般的にもイメージしやすいと思う。

全10曲のうち「僕はラジオ」「死ぬな!」「意地悪」の3曲を1st mini『おやすみなさい。歌唄い』から引き継いでいる。別テイクであり、滝口のギターなどで音の違いは顕著だが、歌詞は同じ。前作からの引き継ぎ曲は一つもない。サウンド的にも前前作に近い。なので前作より前前作と地続きと考えるのが良さそうだ。そこにどういう意図があるかは断言できない。

本来なら一曲ずつ取り上げるところだが、上記のように曲に重複が多いこと、テーマが似ている曲が多いため今回は一曲ずつではなくいくつかのまとまりに分けて書く。

まずこのアルバムで目立つのは先にも書いたように優しさや愛といったテーマだと言える。「ルル」は愛犬、「ばあちゃん」は祖母、「SEBULBA」は恋人に対する想いの歌になっている。ちなみに以前のインタビューで下津は「SEBULBA」を初めて書いたラブソングだと答えていた。これより前の曲にもラブソングらしき曲はいくつかある上にそこまで分かりやすくラブソングである訳でもない…。そもそもSEBULBAが何なのか。どうやら奥さんのことを言っているらしい。遠くの島から来た。スターウォーズのep.1にもそんな名前のやつがいたが。それ以外にもトリケラトプスが「写陰邪陰」に引き続き登場したり、「キャラメルをください」と言ったり、サイケデリックで理解とは別の文脈にある歌詞だ。

「悪魔の子供」は準表題曲のような扱いだ。インタビューでは“悪魔の”ような汚れた大人(=“ぼく”というのが自称かは不明)から生まれてくる子供は産み親とは関係なく純白で美しいということを歌ったと話している。ただ「話すことも知らないままに」「あなたの子供 死にゆく一人」は流産してしまったことを歌っているようだし、「君は今日も吐いて 夜を越えるよ」「ジプシーそばにおいで 夜が明けるよ」はつわりで苦しむ妻を労っているようでもあり、複雑で私的な詩。死と生がテーマなのは確かだ。初期の踊ってばかりの国ではこの死と生が主要なテーマだったと言える。境界線の歪み、そこから生じる死への近接。そんな危うさを歌う。他にも「wa wa wine」「死ぬな!」「ルル」「アタマカラダ」がこうしたテーマを扱っている。

「wa wa wine」はリズミカルで味のあるベースラインとそこに加わる下津の歌声や鮮やかなギターサウンドのグルーヴ感の素晴らしい前奏に注目が行きがちだが、歌詞に注目すると「悪魔の子供」との類似性が読み取れる。
「wa wa wine 君はクソだよ」といささか強引な入り。「ごめん嘘だよ」「愛も嘘だよ」「彼もクソだよ」と並ぶ。
サビでは「黒い子供殺して 裁く悪魔が言うよ」「白い子供育てて 笑う悪魔もいるよ」
「四色のパノラマ」という楽曲でも登場する「黒い子供」と「白い子供」。肌の色というよりは都合の良い/悪いくらいの意味合いが強いと思われる。「悪魔の子供」同様に複雑で私的なため深読みは避ける。

「ルル」は愛犬の老いと衰微、死に至るまでを悲哀に歌う。「アタマカラダ」はサイケデリックでドリップ感のある音に乗せて自らの老い果て死に至ることを歌う。歌詞にもあるように“突き抜けた感じ”があり、即快楽的だ。即快楽的というのは死との近接によって生じる浮遊感とも似ている。だがここはそこまで論理的にハッキリとするものではない。踊ってばかりの国は4th full『Songs』を境にこうした即快楽的な楽曲を作らなくなるのだが、これはのちにまた触れる。


今回は短めだがここまで。実はこのアルバムには短いインタビューがあるのだが、だいぶイカれてるので参考にはならない。リンクは載っけておく(→ https://www.hmv.co.jp/news/article/1103090071/)。次回は2nd full『世界が見たい』だ。GEZANのマヒトゥ・ザ・ピーポーは踊ってばかりの国の曲で「アタマカラダ」が一番好きだと言っていた。あと「アタマカラダ」と「SEBULBA」はニコニコ動画に当時のライブ映像がアップされているのでまだ見ていないが興味ある人は見て欲しい。


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