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育休ライフ 24,25週目

いつも閲覧ありがとうございます。
半径5mの人を幸せにしたい、シムラトモタカと申します。
8年間中学校教員ののち小学校へ異動して、今は育休中です。
ここでは、育休中に感じたことや娘の成長、仕事を離れることで見えてきたことなどを中心に書いていきます。


先週はいろいろと忙しく更新できなかったので2週間分まとめて投稿。



保育士試験まで残り1か月!


勢いで始めた保育士試験の一次試験まで1か月を切った。数日前にやっと学習範囲がすべて終わり、あとは復習するところまで追いついた。保育士試験に合格するかしないかよりも、まずは保育や養護について勉強できたことに大きな価値があると思っている。

もちろん、試験に合格して保育士免許を取得できればそれに越したことはないが、仮に不合格でも保育士はどんな知識のもとに働いているのかがわかったので今の時点で結構満足している。しかし、合格しないイメージを持つと本当にその通りになるから、”不合格”なんて言葉はこの1回限りで、あとは合格するしか言わない。一次試験は筆記なので合格する、当たり前。二次試験は児童館や子育てルームの先生から盗む、聞く!でどうにかする。笑


保育士試験の勉強をして思ったことは、保育士試験の内容が、私たちがイメージしている保育士の仕事と必ずしも一致していないことだった。例えば、保育園は社会福祉施設の一つであるが、社会福祉施設は保育園以外にもたくさんある。
児童養護施設、母子生活支援施設、児童発達支援センター、児童生活自立支援施設などたくさんあり、そういった施設にも保育士が配置されはたらいている。もちろん、乳幼児の保育が主な仕事のこともあれば、児童養護施設や児童自立支援施設のように小学生以降の子供の面倒を見ることもある。そのため、保育士試験の内容は、乳幼児の保育についてだけ勉強するのではないことが分かった。
幅広い意味での”保育”のために勉強する。だから社会福祉制度や社会福祉の歴史についても学ぶ。乳幼児との遊びのスキルや理論を学ぶ項目はもちろんあるが、それ以上に大きな器で”保育”や”養護”について学ぶ。

こういった内容について、一部の方は「保育士に必要ないことを勉強させられる」と言うらしい(実際に聞いたことがある)が、私はそうは思わない。保育士は様々な子供やその保護者と関わるのであり、子どもと遊ぶだけが仕事ではない。現場では超多忙な中でもそれぞれの子供や保護者の状況に応じて、最善の選択がなされているわけで、その選択肢を広げるためには幅広い知識が必要だと思う。保護者がSOSを出したときに、経験則や思い付きではない、根拠のあるアドバイスができる保育士が本物だと思うし、そういった保育士のもとに自分の娘を預けたいと思う。

そう考えると、保育士の仕事は本当に尊いものであるし、もっとその待遇が改善されてもよいと本当に思う。私も試験勉強をしていなかったら、保育士は”子供のお守りをする仕事”のように捉えたままだったかもしれない。賃金が低い=誰でもできる仕事、のように考えている方も多くいると思う。(恥ずかしながら私も子供が産まれるまではそう思っていたところもある)
そういった価値観が日本の教育の質を下げるし、教育の土台となる未就学の時期に何を経験させるかがとても重要だと思う。今より倍くらいの給与を提示していもよい。むしろそうやることで、保育士不足の解消や保育士にも責任が生まれ、保育の質が今よりもっと上がると思う。

知人から聞いた話によると、保育士不足で管理職が職員の言いなりになっている現場があるという。管理職としては職員が辞めると困るから、職員の要求をすべてのんでしまう。職員もそれをわかって好き放題やってしまう。そんな管理体制で、子どもが豊かに育つわけがない。そして、なんでもありの現場からは虐待や事故が起きる。すべての現場でこうなっているとは思わないが、低賃金で人材不足の業界はこう言ったことが起きやすいと思う。特に、日本の未来をつくる教育の現場で、こんな環境をつくってはいけない。

私が保育士免許を取ったのち、今すぐ保育士になるとは思わないが、中学校、小学校と教育現場を見てきて感じた困難さの解決場所が保育園や幼稚園にあるだろうと確信している。逆に言えば未就学の時期にしっかりと強い土台をつくれれば、その上にどっしりと立つことができる。
今の保育園や幼稚園が怠けているとは全く思わない。むしろ、過酷な環境の中で、精一杯サポートしてくださっていて、感謝しかない。もっと評価されていい仕事、もっと待遇改善してほしい仕事だと思う。それを実現できれば、日本の未来は明るい…はず!

政治家の皆さん、よろしくお願いしますよ、ほんと。笑


うたう、おどる、むすめ


順調に発達している娘の進化がここ最近顕著。
今までできた言葉の発達と運動器の発達、音楽やリズムの発達など、それぞれの発達が混ざり合い新たな表現が生まれている。とても大げさに言っているが、娘は最近よく歌いながら踊っている。小さい子供によくあることだが、それぞれやっていることを分解してみると、けっこう高度なことをやっていると感じる。

まず”歌う”ということは、耳で聞いたことを言葉で表現することである。テレビで流れている歌を真似して歌うこともあるが、全く聞いたことのない歌を歌うことがある。おそらくそれは、自分の中で関心のある”音”と関心のある”言葉”を組み合わせて歌っているのだと思う。

次に”踊る”ということは、自分の体がどう動くのかわかりその動きを表現することである。これもテレビの真似から始まったが、オリジナルのふりを自分でやっていることがよくある。これも自分の中にある”動き”を組み合わせて独自の踊りを生み出しているのだと思う。

このふたつの高度な表現を組み合わせて、自分で考えた歌を、自分で考えた踊りで表現しているのが、今の段階。はたから見たら、ただ変な歌を歌いながらハチャメチャに動いているだけだけれど、一つ一つのパーツを切り取って考えると、ものすごい情報処理をしていると思う。

だって
「今からオリジナルの歌に振り付けを付けて踊ってください」
って言われて、私たちできますか?笑

それを2歳過ぎの娘がやっているのよ。世の中の2歳過ぎのほとんどがやっているのよ。可愛らしい光景のなか、幼児の頭の中は信じられないスピードの情報処理をしているんだなあと感動した。そして、踊り終えた後の満足した表情から伝わる自己肯定感の高さがとてもまぶしい。笑
私たちができない理由の一つの”恥”や”プライド”が全くない心の健全さも、娘から見習う大切なことだと思う。

ちなみに娘の動きは純和風で、盆踊りやよさこいといったゆったりどっしり系の動きが多い。ダンスで言えば、完全な”ダウン”のリズムなので、ヒップホップとか”アップ”系の動きがこれから習得できるか楽しみ。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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