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なぜ働くのか?

・タイトル:なぜ働くのか (TEDブックス)
・著者:バリー・シュワルツ
・出版社:‎ 朝日出版社

バブル前夜から現在へ

社会人になったのが1988年の春だ。昭和最後の年でバブル経済の兆しが見えていた。(当時は誰も「バブル」という言葉は使っていなかった。)
優秀な友人たちは、都市銀行にこぞって入社し、教員になった友人も多い。
当時は相反するような職業のように感じられたが、「安定した職業」であることには変わりなかった。堅実で手堅く人生を送る。それが当時の就職での疑いようのない正解で、大手の金融、公務員には信じられる価値があった。
その見返りとして、誰もが企業や社会に貢献することをコミットしていたのではないだろうか。
現在2023年、35年を経て私たちが持っていた仕事への価値は、大きく
変化した。まさか都市銀行や大手の証券会社が淘汰されるとは、まさか教員
が、ブラックで荒んだ職場で働くことになろうとは思いはしなかった。
その間、仕事はOA化・IT化・DX化などと進化し、コピー・FAXが導入されて
コンピューターでの売上管理(まだ基調ソフトは無かった)、ワープロでの書類作成に移って、手書きの文書が影を潜めた。そのうち様々なデータが統合されて、一般的にMS Officeが使われるようになった。更にはという殆どのコミュニケーションがオンライン上で行われ、電話しようものなら煙たがられ、隣の席の社員にまでチャットでやり取りする。恐ろしい速度で仕事は進み、精緻化するために大量の情報をインプットし、アウトプットしなければならない。効率化のための技術革新が、負の作用をもたらしている。

農業生産者/ホワイトカラー 生産性の向上が招く負の作用

日本の農業は今厳しい状況にある。機械化、データ活用による生産の効率化がなされているにも関わらず、農家は豊かさを感じられず、担い手は土地を離れ、休耕地が棄耕地になってしまい、過疎化が深刻化している。効率化を推し進めようとしたのに、設備投資が過剰となって「儲からない」仕事へとなっている。品質の向上を謳って、「規格」を厳格化したために、規格外は無駄になってしまう。海外の生産物が安価であれば、経済効率に劣る国産品は淘汰され、各地で商品になる作物だけが生産推奨されていく。それが日本の農業を崩壊させ、田園の荒廃・過疎化を加速させてきた一因となった。
もっとも、他にも複合的な要因はある。しかし、農業に携わる人たちの一人一人の工夫やナレッジがあり、個性的で互いに刺激しあっていたからこそ、Agricultureであったのに、文化性や創造性が喪失した。「農作業」だけが
農業であるように見えていた。今大きな見直しが社会全体で始まっている。しかし一朝一夕で喪失した文化や自然が回復できるものではない。
精緻な職人の技も然り、一人一人の個性的な仕事があるからこそ感動的な
製品を生み出してきた。封建社会の日本は、制度こそ厳しいものがあったが
庶民は生き生きと働き、前向きに考え、様々な工夫を凝らしていった。

現在のホワイトカラーは、自ら考えている時間はあるか?工夫を凝らして
良いモノを生み出そうとしているのか?何のために、企業の内部留保を増すことに躍起になっているのか?何よりも仕事は楽しいか?面白いのか?

なぜ働いているのか?その良心を信じたい。

企業には「目的」がある。その目的に興味を持ち、共感して従業員は働く。
良いモノ、良いサービスを心掛ける。企業の目的を達成するために、何が
正しい行いであるのかを理解しているはずだ。むしろ理解せずに働く社員
働かせる経営者は正しい行いとは言い難い。不誠実で人権としても問題だと言える。誰もが企業・組織の目的の達成を望んでいるにも関わらず、アプローチの手段・方法は様々だ。そのために非効率で品質差が生じる。また手段を選ばずに、極端には反社会的な行為も生じてくるかもしれない。それぞれが考えに従った行動をしていては「生産性」や「効率」視点からはかけ離れたものになってしまう。

その抑制のために企業に「ルール」「規制」ができる。次第に正しい方向に向かうべきベクトルが「遵守すること」に目的となって、従順か否かが評価の基準になる。次第に従業員は「目的」を見ず、「ルール」「規制」ばかりを意識する。このように「仕事」は「作業」となって、局所的な作業成果が重要視される。歯車となるだけの「作業」によって、給与を得るためだけに働くことが不満となって、反発を生んでいくのだ。これが国家的な施策となると全体主義となり、目的は国家・民族的なことに振り替えられる。妄信的な規制や束縛へと繋がっていく。

もっと目前の目的に視点を置いて、働き・働いてもらうことが必要ではないだろうか?何かと壮大なスローガンやプロパガンダを掲げるよりも、ただ
「目的を達成する、いい仕事は、どのように創るんだ?」という投げかけを続けることが大切なのような気がする。その中で目的を見失わずに、進んでいくことができれば、ブレークスルーするような発想や改革が生まれるのではないかと思われる。

女優の天海祐希が、あるインタビューで語っていた。「目の前のお客様が、チケットを買って、劇場までやってくる。その努力以上の価値を見せること。」が舞台女優としての彼女の矜持であるようだ。我々も目の前のお客様が、満足できる、社会に受け容れられる製品やサービスを提供しようとする。このような良心は「マニュアル」を超えて成果を生み出していくはずなのだ。新たな工夫を生じさせていくはずだ。もっと「働く人」の良心を信じていくことが、世界中で大切なのかもしれない。そのようなことを、この本から感じることができた。




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