見出し画像

短編小説 「人生屋」

プロローグ

日を浴びない生活を半年間過ごしていくうちに、徐々に自分自身が人間としての生活を真っ当に行えているのか不安になる。
今の私は、何が面白くて毎日自堕落な生活をしているのだろうか。
暗い部屋の片隅、無造作に散らばった原稿用紙の上に、夢と現実が交錯していた。真夜中、薄明かりの中で、私は自らの敗北を認めることができずにいた。作家としての成功を夢見ながらも、その現実はどこか遠く、心の奥底に沈んだままだ。私の人生は、どこかの次元で停滞しているように感じられた。
恋人のむぎは、いつも優しい微笑みで私を支えていた。彼女の温かな手で作る食卓、彼女が選んだ映画のメロディが流れる部屋。そこがすべての源泉だったが、私はそれを当然のことのように受け止め、自分はその中に呑み込まれていた。
「これが幸せかな?」と、私は問いかけることすらしなかった。私はいつしか、むぎの支えがなければ自らの立ち位置すら見失うような男になっていた。

第一章

薄曇りの朝、街は静まり返っていた。私はむぎと共に食卓に向かう。彼女の作った卵焼きの香りが漂うと、少しだけ心が晴れた気がした。むぎは、朝日よりも温かく、私の自堕落な生活を包み込む存在となっていた。
「拓海、今日は何を書こうと思ってるの?」
むぎが微笑みながら尋ねる。その言葉は、私の心に期待と不安の両方を呼び起こす。私はいつもここで心の中を晒すのが怖かった。
「うーん、特に何も考えてないかな。思い浮かばないんだ。」
と答えた瞬間、むぎの目が少しだけ曇った。彼女には、私の暗い影が見えているはずだ。しかし、私はその影から目を逸らし続けた。
「いつかは、拓海の物語がみんなに届くって信じてるから。」
むぎの言葉は、薄暗い部屋の一隅で固まっていた私の心を、少しだけ柔らかくした。
でも、その一瞬の暖かさもすぐに陰りに飲み込まれ、私は再び自己嫌悪に苛まれた。
日々の繰り返しの中で、何かを変えたいと心の奥で叫んでいるのに、身体は動かず、心は膠着していた。自分に対する苛立ちが鬱積していく。そんな時、外の世界へ目を向ける決心をした。
ある日、散歩に出ることにした。薄暗い路地を抜け、街の喧騒から逃避する。そして、ふと立ち寄ったひときわ薄暗い角で、私はその男に出会った。彼は、戸惑いを隠すかのように静かに佇んでいた。
「おや、迷子になったのですか?それとも、人生の選択をお考えでいらっしゃいますか?」
彼の声は柔らかいが、言葉には不気味さが潜んでいた。まるで全てを見透かしているかのような目つき。
「あなたは…誰ですか?」
私は思わず尋ねた。
「私は人生屋。人に人生のヒントを与える者です。時には、それを代償にすることもございますが。」
彼は丁寧語で話し、まるでお伽噺の中から現れた怪人のようだった。
「代償…とは?」
私は背筋が寒くなりながらも、興味をそそられた。
「簡潔に申し上げれば、過去の思い出や執着を引き換えに、今後の道を示すことができるのです。」
その一言は、私の中の何かが揺さぶられた。今の自分が抱える束縛から解放されるのかもしれない。だが、何を失うのか、それは多くの未知と恐怖でもあった。
どこか不気味な雰囲気を纏った彼との邂逅は、私の運命を変えようとしているのかもしれない。その瞬間、心のどこかで感じた「何か」が私を掴みかけていた。

第二章

薄暗い路地の奥で、人生屋の目は静かに光を放っていた。
私は、彼の言葉が心に深く突き刺さるように感じ、思わず口を開いた。
「それでは、過去の思い出を引き換えに、どのような人生を手に入れることができるのですか」
と不安を胸に秘めて尋ねた。
人生屋は微笑んだまま、言葉を続ける。
「簡潔に申し上げれば、過去の思い出や執着を引き換えに、今後の道を示すことができるのです。しかし、私が差し出すのは望みの人生。決して軽い選択ではありませんよ。」
「過去の思い出…それは私にとって大切なものです。しかし、望み通りの人生…それを手に入れることが本当にできるのでしょうか?」
私の声には戸惑いが混じっていた。
過去の思い出と未来の見えない道の選択は、私にとって重すぎる。
「勿論、しかし、未来の思い出も頂きます。」
人生屋はゆっくりと語り始めた。
「それは、まだ訪れていない出来事や感情のことで、あなたが生きる中で実感することになるでしょう。しかし、その未来の思い出には、一切の保証はございません。ゆえに、あなたの躊躇いも無理はない。」
私は心の中で葛藤した
「望み通りの人生が待っているというのに、何故未来の記憶に不安を感じるのだろうか。」
やがて私は息を深く吸い込み、言葉を続けた。
「私は…本当にこの取引が正しいのか、自分でも分からないのです。でも、今の現実はあまりにも厳しく、逃げ出したい気持ちが強いのも事実です。」
人生屋は静かに頷き、再び口を開く。
「それが人間の弱さでもあり、強さでもあります。私たちは、希望を抱きつつも裏切られることを恐れる存在。あなたが選ぶ道も、必ずしも容易ではないでしょう。しかし、私の手を借りることで、希望の光を見出すことによって、新たな力を得ることができるのです。」
私は彼の言葉の全てを飲み込むことができずにいたが、心の奥底でどこか確かな期待を感じつつあった。
「どうか、教えていただけませんか。私が手放すことになる過去の思い出は、具体的にどんなものですか?」
人生屋は不気味な笑みを浮かべながら淡々と話し始めた。
「翁長拓海様、貴方から頂きたい過去の思い出、それは、貴方様の学生時代の全ての記憶です。
それこそ、ご両親との思い出も頂きます。」
私は息が詰まるのを感じた。
「それは、あまりにも大きすぎる代償です…。」
人生屋はその反応に対して冷静さを崩さず、言葉を続けた。
「しかし、全ては取引です。貴方が手放すことを恐れている過去が、貴方を縛る鎖となっているのです。それを断ち切ることで、真の自分を見出すことができるでしょう。」
私は目を伏せた。
心の中で夢見ていた作家としての成功の風景が浮かび上がっては消えていく。
しかし、同時にその背後には、楽しかった学生時代の記憶、両親との笑い声、取り戻したいと思える瞬間がずっと存在している。
私は不安と期待の狭間で揺れ動いていた。
「ちなみに、未来の思い出も頂くとおっしゃってましたけど、未来の思い出を教えて頂けませんか?」
私が必死に尋ねると、人生屋は柔らかい微笑みを浮かべた。
「それは、貴方が望みの未来を手に入れた時に全て分かるでしょう。」
「どういうことでしょうか?それでは、もし、元々決まっていた未来の方が幸せということもあるんですか?」
「それは、貴方次第ですね」
「作家として成功できるというのは、保障されているのでしょうか?」
「勿論、取引さえして頂ければ、貴方の望み通りになりますよ」
人生屋は自信満々にそう語った。
私は、今の自堕落な生活をしている自分が幸せになれるとは思っていない。
それだったら、未来の不幸を捨てて、望みの人生を手に入れてしまおうと心が揺らいだ。
人生屋は目を細めて言った。
「欲望を知る者は、その果実を得ることができる。しかし、貴方はその果実のために何を手放す覚悟があるのですか?」
私は、決心した。
そうだ、私はこれから全てを手にいれる。
その為には、犠牲は構わない。
「取引を受け入れます。僕の過去と未来の思い出と引き換えに、僕の望み通りの人生をください。」
人生屋は、私に握手を求めて冷たい笑みを浮かべながら言った。
「承知致しました!」
取引が終わると、人生屋は淡々とした態度でその場を去り、私は深い呼吸をして自分の生活に戻った。
路地裏の薄暗い歩道を歩きながら、何かが大きく変わった感覚を抱いていた。
むぎちゃんはいつも通り、私に笑いかけてくれた。
「拓海、お帰りなさい!今日はどうだった?」
その言葉を聞き、どこかホッとした気持ちになった。
特別なことは何もなく、いつものようにお互いの近況を話しながら、私たちは共に過ごす時間の大切さを噛み締めた。
「むぎちゃん、もうすぐ俺は夢を叶えるんだ。」
私はむぎちゃんに抱きつきながらこれから起きる未来に期待していた。
「そうなの?焦らなくていいんだよ、拓海は拓海らしくね。」
「大丈夫、これからもっと良い生活が出来るから。」

第三章

翌朝、私は大きな音で目を覚ました。机の上に置かれたスマホは、止まることのない通知音を響かせ続けている。目をこすりながら画面を確認すると、驚愕の内容が飛び込んできた。
「「人生」という作品が翁長拓海名義で大ヒット!」とタイトルが踊る。まるで夢のような光景だ。通知は続き、出版社からのオファーが次々と届いていた。作品が話題となり、SNSでは支持の声が急増しているのだ。
心が高鳴った。自分の実力とは無関係に、成功が訪れている。喜びとともに、どこか不安も感じた。私の手放した過去や未来が、どのような場合をも生むのか。そのお返しに得た成功は、果たして本物なのだろうか?自分が書いたものではない、たまたま啓示を受けたかのような作品が認められている現実が、私を苦しめる。
「拓海くんすごいね。本当に夢叶えちゃった。」
むぎちゃんが私の成功を喜び、抱きしめてくれたが、どこか後ろめたい気持ちがあった。
「これって、俺の力で成功していないよな。本当に良いのかな。」
自身の中で、誰にも言えない秘め事を抱えながら、与えられた成功と向き合っていく為に努力しなければならない。
スマホの通知には、見知らぬ人間から大量のLINEが届いていた。
「久しぶり!元気?お前すごいな、本買ったよ。今度飯でも行こうな」
「たくみくん久しぶり、まなみです。高校以来だね、本買ったよ。すごいね。今度、良かったら食事でもどうかな」
「久しぶり!」
複数の見知らぬ人間からの久しぶりラインの中に一つ、気になった文章を見つけた。
「拓海、元気かい?久しぶりに実家に帰ってきてほしいけど、忙しそうね。今度、お米を送りますから、お家の住所を教えてほしいな。」
私は、どこかぽっかりと空いたような焦燥感に駆られながらも、大量の通知にうんざりしてスマホの電源を落とした。
成功を手にした後、私の生活は一変した。出版社からの問い合わせ、取材依頼、インタビューの日々が続き、まるで別世界に迷い込んだかのようだった。夢が現実になるとはまさにこのことだと感じながら、私はとても忙しかった。
インタビューでは、作品のテーマや私の執筆スタイルについて尋ねられることが多かったが、時折、心の奥にある罪悪感が顔を覗かせた。私の成功は自分の力ではない。人生屋との取引から得たこの名声は、純粋に自分自身のものではないという思いが、インタビューの合間にふわりと私を覆う。
忙しさの中で、むぎちゃんへの態度は次第に乱雑になっていった。彼女は私の成功を心から喜んでくれていたが、その喜びを実感する暇もないまま、私は仕事に追われる日々を送っていた。夕食を共にすることや、週末のデートも次第に減り、彼女の笑顔はどこか遠くなるように感じた。
「拓海君、最近ちょっと忙しそうだけど、大丈夫?」
むぎちゃんは心配そうに尋ねる。
しかし、私は「大丈夫だよ」と答えるものの、心は仕事に置かれ、視線がどこか別の場所を見ているように感じていた。そのうち、むぎちゃんの愉快なジョークや優しさに対しても、私の心は鈍感になり、彼女の存在を意識する時間が減ってしまった。
そんなある日、豪華なミニパーティーに招かれた。出版社のイベントで、他の著名作家たちとの交流の場。そこで出会ったのが、原田美奈子という女性だった。彼女は独特のオーラを持ち、明るい笑顔で周囲を惹きつけている。彼女の言葉は心地よく、私の緊張をほぐしてくれた。
「拓海さん、すごい作品ですね!こんなに早く成功するなんて、羨ましいです。」彼女はそう言いながら私の目をじっと見つめた。その瞬間、私の心は何かがほころんだ。思わず彼女との会話が楽しくなり、いつしか時間を忘れてしまった。
「私、作家の夢を持っているんです。拓海さんのように、私もいつか書籍を出してみたいな。」
彼女の真剣な眼差しに、私は何か不思議な引力を感じた。それは、日頃抱えていた不安や罪悪感から一時的に解放されるような感覚だった。
彼女とは次第に連絡を取り合うようになり、仕事の合間に食事に行ったり、共通の友人とのイベントに出たりするようになった。最初は純粋な友達としての関係だったが、私の中で何かが変わり始めていた。むぎちゃんとの微妙な距離感、心の隙間が彼女によって埋められようとしていたのかもしれない。
ある夜、私たちは少し大胆になり、お互いに誘い合うようにしてベッドを共にした。その瞬間、心の中で大きな波音がした。「これが求めていたものなのか?」と一瞬の快感の中で自問自答してしまった。その快楽は、果たして本物の幸福を意味するのか、それとも単なる逃避なのか。
成功した作家としての興奮と、原田美奈子との関係に溺れている自分が、むぎちゃんをどんどん遠ざけていることに気づいていた。しかし、その痛みを受け入れる余裕がなかった。自分の選んだ道が本当に正しいのか、ますます分からなくなっていく。
日々忙しさが増すにつれ、次第にむぎちゃんへの接し方も変わっていった。彼女の明るい声が届いても、私はどこか遠い世界にいるような感覚が拭えなかった。彼女が笑顔で話しかけてくれるたびに、成功の重圧や原田美奈子との不適切な関係が心の隅にひしめき、不安が広がった。
ある日、むぎちゃんが「拓海くん、ちょっと話があるんだけど…」と言う声を耳にした瞬間、今までの何かが弾けてしまった。
「忙しいから、後でいい?」と返してしまった。
言葉が刃のように鋭く、彼女の顔から笑顔が消えた。その瞬間、何かが崩れ去る音がした。
ここのところの私の心の整理ができないまま、仕事の成功に浮かれ、むぎちゃんとの距離が広がっていた。そんなある夜、彼女が荷物をまとめ始めた。
「拓海くん、私、出て行くね。」
その一言が、私の心に重くのしかかる。
思わず「お願い、待ってくれ」と叫んだが、彼女の目は冷たく、何も言えずに立ち尽くした。
むぎちゃんは 玄関のドアを開け、振り返ることもなく姿を消してしまった。
孤独感が一気に私を襲った。原田美奈子との関係も、しばらくして連絡が取れなくなった。彼女がこのまま私を狂わせてくれるという期待が、いつの間にか無の世界へと変わった。人気の作品を次々と生みだすことが期待されていたが、私の心の中には創造力が枯れ果て、目の前のパソコンで何も書けない日々が続いた。成功のプレッシャーが、逆に私を押しつぶしていくようだった。
周りの人々の期待に応えることがまるで重荷のように感じ、何をやっても空回りしている。出版社からのオファーすら気が重く、虚無の感情が胸を締め付ける。孤独に苦しむ中、かつての自分を思い返しながら、私は意識のどこかに逃げ込む術を探していた。しかし、どんなに逃げても、私がどこかで手に入れた成功の影がついてきて、心の底から解放されることはなかった。
この先、どこへ行くのだろうか。もはや視界には目の前の暗闇しか見えなくなり、歯止めの効かない思いに飲み込まれそうになった。私の望んだ成功が、果たしてどこへ導いてくれるのか。暗い未来が広がる中、答えのない問いが心をかき乱す。
むぎちゃんが私の目の前から消えた日、何が起こったのかを理解できなかった。彼女の荷物はすべて片付けられ、静まり返った部屋には、ただ肩を寄せ合っていた日々の思い出だけが残されていた。彼女が去った理由を考えると、心の隙間が痛みを伴って広がっていく。私は無気力になり、ますます仕事にも集中できなくなった。成功を収めたはずなのに、孤独が圧倒的に広がっていた。
むぎちゃんを探すために必死になった私は、彼女の友人や知人に連絡を取り、行き先を尋ねたが、誰も彼女の居場所を知らなかった。連絡が途絶えたことに対する焦燥感が胸を締め付け、何も手につかない。頭の中を埋め尽くすのは、彼女との未来の思い出ばかりだった。朝のコーヒーを共に飲んだり、夜に一緒に笑い合った日々。その思い出だけが、私の心を無抵抗で揺さぶり続けていた。
そんな折、私はふと自身の人生を見つめ直すきっかけを得た。失った未来の中で一番大切なものが、むぎちゃんとの関係だったということに気がついた。彼女と過ごした時間こそが、私に本当に必要だったのだ。私の成功は、彼女がそばで支えてくれたからこそのものだったのだ。ならば、彼女を取り戻さなければ。
私は再び路地裏に足を運んだ。暗い場所で閃くように浮かんだのは、人生屋の名前だった。彼らが私の成功の背後にいるという思いが、私を駆り立てた。路地裏の風景に目を凝らすと、そこにはあの懐かしい看板が見えた。しかし、そこに待ち受けていたのは、原田美奈子の姿だった。
彼女はにやりと笑い、私に近づいてきた。その笑顔の裏には、冷たい計算が潜んでいるのがわかった。
「やっと来たね、拓海。」彼女は、自信に満ちた声で囁いた。
「あなたは彼女を失った。私がそのチャンスを与えたのよ。」
私の胸がえぐられるような感覚を覚えた。
「もしや…お前も人生屋の一員なのか?」
と、怒りがこみ上げる。彼女は何度も頷きながら、嫌悪感のこもった目で私を見下ろした。
「そうよ。人生屋はあなたの未来を奪うために私を送り込んだの。あなたはあまりにも簡単に引っかかってしまった。ハニートラップってやつね。」
私の心が沸騰する。
怒りと屈辱が入り交じり、何かをぶつけなければ気が済まなかった。
しかし、彼女の口から出る言葉に心が揺さぶられる。
「あなた自身で未来の思い出を消したの。欲に塗れて本当の幸福を捨てたってことね。」
私は彼女に詰め寄るが、彼女はひらりと避け、冷笑を浮かべながら背を向けた。
その瞬間、私の目の前には人生屋が現れた。
「お待たせしました、翁長拓海さん。あなたの未来を返して欲しいと?」
その冷たさに、心の中で怒号が響いた。
「返せ!俺の未来を!むぎちゃんを返してくれ!」
私の声は引き裂かれるように叫んだ。しかし、その男は平然と微笑んでこう告げた。
「いいですが、代わりにペナルティを与えます。それでもいいですか?」
彼の笑顔とその提案が、私をさらに絶望の淵へと追いやった。
私の手元には戻らない未来への恐怖と、その代償として要求されるものの正体が、次第に黒く絡みついてくる。果たして、成功とは何だったのか。この世の中で本当に大切なものは何なのか、答えを求めて迷い続けるしかなかった。

第四章

「ペナルティって一体どんなものなんだ。」
私の質問に人生屋は冷酷な笑みを浮かべて答えた。
「ペナルティは、非常に面白いものです。あなたは成功を得たその日常を失い、成功する前の一日を、永遠に繰り返すことになります。」
人生屋は、冷静沈着な口調で続けた。
「もちろん、死ぬこともできません。ただ、むぎちゃんと共にその日を過ごし続けるだけです。」
私はその言葉を理解するまでに時間がかかった。
ずっと望んでいたむぎちゃんとの時間が戻ってくるというのに、それは私の望んだ未来とはほど遠いものだった。
私は無力感に襲われ、ただ立ち尽くすしかなかった。
過去の一日、人生の最も暗い部分を再び体験することになるなら、果たしてそれが「戻る」と言えるのだろうか。
「永遠にただ、毎日を繰り返すんだな?」
私は小さな声で問いかけた。
心の中が重く、安堵と絶望が混ざり合った。
「その通り。」
人生屋は、まるで言葉をもてあそぶかのように笑った。
「あなたが求めたものは、まさにこのペナルティなのです。」
私はすべてを失ったように思えた。
心の中で、むぎちゃんとの思い出が鮮明に浮かび上がる。
しかし、それが永遠に繰り返されるとすれば、意味があるのか?
私は絶望的に頭を抱え、涙がこぼれそうになるのを必死にこらえた。
「成功も体験出来たんですし、もう、いいじゃないですか。ねえ、私は貴方が本当に望んでいた人生を提供したまでです。ほら、誰にも邪魔されない、永遠に自堕落な生活を一生送っていなさい。」
「まってくれ!俺はどうなるんだ!永遠にって、この世界から消えるのか?」
人生屋は鋭い目つきで私を睨みつけて言葉を発した。
「ええ、そうですよ。貴方も、、、、むぎさんもね。」


人生屋では、貴方の望み通りの人生を叶えさせて頂きます!
お値段、なんと無料です!
ただし、その代わりに貴方の過去と未来の思い出を頂戴致します。
欲望を知る者は、その果実を得ることができる。
しかし、貴方はその果実のために何を手放す覚悟があるのですか?

「翁長拓海の嘆き声が聞こえてきますね。」
「ああ、これはもう素晴らしいものだよ。永遠と同じ日常で気が狂ってきている。」
「もう、悪趣味なんだから。それより、翁長拓海の人生は、いくらで売れますかね?」
「ふふ、君はまだ勉強不足だね、原田くん。翁長拓海のような平凡な人生はとても高く売れるよ。なぜだと思う?」
「ええ、平凡な人生なんて欲しがる人いるんですか?私はいらないけどな。」
「バカだね君は。いいかい?下に落ちたことのない人間程、平凡な人生を欲しがる。何故なら、彼らは平凡を経験したことがないからだ。」
「あ、なるほど。ちなみに、いくらで売れたんですか?」
「億だよ、大儲けだ。さあ、原田くん。次のカモを見つけに行こうか。」
「はい!次はどんな人間狙いますか?」
「ふふ、次は堕落した人間がいいな。」


追記

私自身に向けて書いた作品だと思う。
私はふと突発的な成功を望む時がある。
しかし、それは自身の力ではなく他人任せな考えが多い。
私は誰よりも負けず嫌いで、承認欲求が高く、目立ちたがり屋だ。
他者の評価ばかり気にして、体裁だけを飾っている日々もあった。
若かりし頃の黒歴史だ。
しかし、そんな私も大人になって変化するきっかけがあったからこそ、今の自分がいるが、もし、永遠に変われなかったらどうなっていただろうか。
私は成功したことがないけど、もし、あの時のまま運良く成功してしまったら、きっと翁長拓海のように、目の前にある大事なものを粗雑に扱って失ってしまうだろう。
地位や、名誉、金よりも、ちっぽけな幸福の方が良いのかもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?