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フォーカシングするなら、"お気に入り"の椅子には座らない方がいい?

日常生活のなかで、フォーカシングのプロセスをもっとカジュアルにフォーカシングを体験していくために、どんな工夫ができるだろうか。

ジェンドリンの著作『フォーカシング』(福村出版)の第5章「フォーカシングの6つの動きとその意味」では、簡便法(sort form)として知られている各ステップの内実を、丁寧にたどっている。

日常の中でフォーカシングをやってみるのに大切なのは、実は自分の感覚に触れる前の準備段階である。たとえば、しばらくの間は静かにできる時間と場所を見つけることや、ただ話を聞いてくれる友人(必要以上に話させない、分析や評価もしないでいてくれる人)が、いた方がよければいてもらえればばいい、というように。実は聴き手はフォーカシングの必要条件ではなかったりする。

他に、どんな工夫があればいいか。ジェンドリンはこの本で、フォーカシングを始めるための場所について、やや意外に思えるような記述をしている。

少し不慣れなところに座るのがいいかもしれません。それは、普段の仕事机のところに座っているときとか、お気に入りの安楽椅子に座ってフォーカシングをするのは避けるということです。別の椅子かベッドの隅などに座るのがいいかもしれません。お望みなら散歩をしてもいいですし、木に寄りかかっても結構です。

『フォーカシング』82頁

不慣れな椅子の方が、フォーカシングに向いている?
フォーカシングというと、身体がすっかりリラックスできるような状態を作り出すためにゆったりとしたソファなどに座ったり、逆に「しっかりと問題に取り組みフォースするぞ」というムードで、集中できそうな作業机に座ったりするイメージを持っている人も、少なからずいるかもしれない。
でも上記のように、むしろフォーカシングは”少し不慣れな”ところに座って始める方がむしろ良いという。フォーカシングは、いわゆるリラクゼーションとも、集中状態とも異なる、第三のあり方なのである。

さらには、椅子ですらなく"ベッドの隅に座る"のもいいかも、というのも面白い。むしろよく考えると、人はどのようなときに、自室のベッドの隅に座るのだろう。そんな瞬間は通常は、不意にやってくるのかもしれない。
同書には、実際のフォーカシングのセッション例が多数載っている。なかでも僕のお気に入りは、フレッドという人が一人でフォーカシングをやっている例(ふさわしくないと感じていた男の例)である(37頁)。

彼は仕事で営業担当なのだが、上司と折り合いが悪く喧嘩をしてしまい、頭の中でぐるぐると回る考えを分析してみたけれどうまく行かず、全てを忘れようとしてバーに行き軽く飲んだがそれでもダメで、仕方なく自宅に戻ってアルコールが抜けた後、そういえばちょっと前に習ったフォーカシングというものを、ベッドの角に座って一人でやってみるかなぁ、と始めるというな例だ。あぁ、そういう日ってたしかにあるよなぁ、と自分を重ねて読んだのだった。

こんなふうに、ベッドの隅で一人で座り、静かな部屋でカジュアルにフォーカシングをやってみるというのは、フォーカシングのプロセスに慣れ親しんでいる人にとっては、かなり有用な機会なように思える。

引用最後にある木に寄りかかってフォーカシングをするというのも気持ちが良さそうだし、散歩をしながらしっくりくる場を探すのも楽しそうである。
そう言えば以前、僕自身が考案した「なぞかけフォーカシング」という手法を、実際に自分で歩きながらやってみた体験談を漫画家のおがわさとし先生に漫画化してもらい、それを夢ナビという企画で受験生向けに語った動画がある。
ゆっくり歩きながら、フォーカシングをするということは案外、無自覚のうちにやっている人もいるかもしれない。何かに集中しすぎたり、逆にリラックスしすぎたりせず、ちゃんと周りのことが見えているような状態で、自分の内面に触れたり、自身の今の状況を振り返るということは実際には可能である。

京都には「哲学の道」というのもあるが、思索をする、何かあるテーマについて振り返るのに、歩きながら行うというのはまた自然なことでもあるだろう。

バスに乗って流れる車窓を見たり、季節の花々に視線を落としながら少し散歩したり、あるいは浴槽に浸かりながらふと昨日の出来事を思い出したり…こういう日常の中のふとした瞬間にも、カジュアルではあるが確かにフォーカシング的なプロセスがやってくることがあるだろう。

もちろん、自分の時間、安全安心感を確保することはとても大事ではあるが、フォーカシングに親しむという点においては、フォーカシングを始めることを構えすぎるのをジェンドリンは避けたいのだろうか、あまり構えすぎないでフォーカシングを始めることを勧める記述がいくつかある。

少なくともベッドではなく布団で寝ている僕には、ベッドの端に座ってフォーカシングをすることはできないけれど、今でもふとした時に、洗面所に置いてある椅子に座り、目の前の鏡を見るともなく見つめながら、少しものを考えていることがある。

多くの科学者が自分の研究上のひらめきが到来した場所を「シャワーを浴びている時」と述べるという事実をどうやったら説明するか、という話をジェンドリンはよく論文中に書いている。確かに、シャワーを浴びている時も、他にやることもない以上よく考え事していて、論文のアイデアなどが閃くことはある。お風呂場もフォーカシングをするにはちょうどいいかもしれない。長湯には気をつけながら。

ひょっとしたらあなたの自宅の中でも、フォーカシングに親しむにはちょうどいいかもしれない場所が存在するかもしれない。リラックスしすぎず、集中もしすぎない、ちょうどよくカジュアルにフォーカシングが捗りそうな”不慣れな場所”を、日常の中でいくつか見つけてみてはいかがだろうか。

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