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当たり前を「言葉」にするって、本当に大事だよね

やっぱり「言葉」にするのって重要だ。
バカみたいな話だけど、改めてそう思った。

言葉にできないことは、「ない」のと同じだとは思わない。
「言葉にできない」って、小田和正も歌っている。
言葉にできないこともたくさんある。

ただこうして何か書いていても、やっぱり言葉にするのは重要だなって思う。

「当たり前だ」と思ってることでも、改めて言葉にすることで新たな気づきもあるし、当たり前のことが当たり前に重要なんだってことを発見できたりする。

『「言葉にできる」は武器になる。』って本があるけど、これ本当だ。

言葉は武器だ。
最近見た「野球少女」って韓国映画を見ていてもそう思った。

プロ野球選手を目指す女子高生の奮闘を描いた韓国映画。
めちゃくちゃ感動した。

スポーツ映画だし、どこが「言葉」の映画なんだって話なんだけど、この映画彼女が最後に本当に道を拓くのは言葉の力なのだ。

女子というだけでプロ野球のテストも受けさせてもらえない主人公の女子高生チュ・スイン。
制度としては女性もプロになれるけど、見えない大きな壁がそこにはある。
彼女は自分の得意とする130kmの速球を武器にプロ野球選手を目指すのだけど、女子としての速球は、男子野球では決して剛速球としては評価されない。
それなら150kmの球が投げられたら…と血まみれになりながら練習を重ねていく。
そこに現れるのが新しく赴任してきた男性コーチだ。
コーチが彼女に教えるのは、剛速球をあきらめさせて、彼女の特性である球の回転数を活かしたナックルを投げさせること。
「速さではない、打たせなければ勝つ」
弱さを補うのではなく強みを強化するという方向に転換する。
それによって彼女は大きなチャンスをつかむことになる。
「女性であるという短所をよく乗り越えた」そんなことを言われて、彼女はこう反論する。
男性か女性かは長所でも短所でもない。
私は回転数の高い球が投げられる。それが私の長所だ。
球が速いから勝つんじゃない、打たせなければ勝ちなんだ」
この言葉自体はコーチから渡されたものではあるけど、彼女が言うことで重みが変わる。
この言葉を真の意味で獲得するまでの道のりが、この映画そのものだったように感じた。
「女性かどうかは問題じゃない、実力で評価されたい」
この当たり前のメッセージがきちんと言葉になって伝わることで、最後に見えない壁を超えることことになる。
もちろん、そこに至るまでのひたむきな努力があってこその言葉ではあるけど、「言葉が最後は武器になる」そういう映画だと思った。

時として道を拓くのは、実は当たり前の言葉だったりする。

『希望はいつも当たり前の言葉で語られる』って本がある。

仕事だったり、日常だったりで、当たり前にかけられた言葉が人生のささえになっているということを綴った本。
日常の小さな言葉の発見だ。
それは帯にもあるように「言ったほうは忘れているかもしれない」ほどささいな言葉だったりもする。
時としてそんな言葉が人を救うことだってある。

大切な事って当たり前すぎて、ふつうに過ごしていたら気づけなかったりする。
でも、見過ごしそうな小さなことを「言葉」にすることで、それは大きな「気づき」に変わる。

「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」の中盤、第3村パートでのアヤナミレイ(仮称)が、人間的な感情を獲得していくプロセスは、まさにこれだ。

大惨事を生き延びた少数の人たちが集まって作った集落、第3村。
農業中心にしながらみんなが助け合って自然の中で生きている。
そこでこれまで人と触れあったことがなかったアヤナミレイが、初めて人と接して、人間的な生き方や感情を学んでいく。

「おやすみってなに?」「おはようってなに」「さよならってなに?」「(握手を指して)それはなに?」
すごく単純な質問にていねいな言葉が返される。
「さよならは、安らかに眠れるおまじない」「おはようは、今日1日幸せに過ごせるようにするおまじない」「さよならは、また会うためのおまじない」「握手は、仲良くなるためのおまじない」
こんなふうに学んでいくことで綾波は「生きる」を学んでいく。
この中盤の第3村パートは、とにかく「いい言葉」にあふれている。
「嬉しいことと苦しいことの繰り返しが日常」「いまがいちばん若いんだから」
自然に囲まれた景色と共に、幸福感にあふれた世界が展開される。
「だからみんな、死んでしまえばいいのに…」って宣伝でうたっていた「エヴァンゲリオン旧劇場版」とは真逆の立ち位置だ。

精神科医が見つけた 3つの幸福という本に、こんなことが書いてあった。

「空が青い」とか「花がきれいだ」とか、どうでもいいような小さな幸せに「気づく」ことを意識するだけで、幸福を感じる脳内物質セロトニンが出て幸せを感じるのだという。
これ、第3村のアヤナミレイだ。
「おはよう」「おやすみ」っていうなにげない言葉の意味を、改めて言葉にしてみることでその大切さに気づく。
それはすごく小さな幸せの発見だ。
「言葉にする」たったそれだけのことで人は幸せにもなれる

悩み事も紙に書き出してみたら、それで悩みが半分くらい解消されるって、よく言われる。
ラジオの悩み相談なんかを聞いていると、悩み相談している人って、書くことで半分くらい解決しちゃってる。ほんとうにそうなんだなって思う。

ぼくも最近ずっともやもやと一人で悩み続けていたことがあったんだけど、それを言葉にして相手に伝えただけで、なんだか肩の荷がおりたようなところがあった。
本当に楽になった。
やっぱり言葉にするのは重要だなって実感した。

このnoteも相変わらず、とりとめもなく当たり前のことばかり書いているけど、何か意味があるはずだ。そう信じたい。

当たり前のことでも言葉にするのって、きっと大事だよね。



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