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生半可でもいい、やめなければ。

わたしの趣味。「続ける」こと。
色んなことを続けている。

先日打ち合わせでnoteを読んでくれている人に
「生半可な根性じゃできませんよね?」
って言われた。

いや、全然生半可だ。

生半可どころか、
やる気なんか毎日かけらほどもない。

ほんとにやる気なんてない。

本気にもなってない。

生半可すぎて
「こんなので大丈夫?」
「何の意味もないんじゃないか?」
って思うくらい。

ただ、そんなモードでただやってるだけなんだけど、
「根性がある」なんて思われると、
なんか得した気がする。

ほんとに無理しないで
ただ生半可にやってるだけなのに。

結局、根性出すとか、本気出すとか、真剣にやるとか、意外にどうでもよかったりする気がする。

ただ、やってりゃいい。
生半可なままでも
ただ続けてればいい
最近そう思う。

例えば短歌。
ただ毎日ひとつ作ってる。

そこまで本気でつくってないというか、
「うーーん」っていうようなのしかできない日が多い。
「どうでもいい」とまでは思ってないけど、
「そんなもんでいい」と思ってる。
ただ、毎日やってると7日にいっぺんくらい
「お!」っていう瞬間がある。
手応えを感じる瞬間というか、何か発見のようなものがある。
日々は生半可な取り組みでも、
ずっとやってるとそういう瞬間に出あうことがある。
結局、人に見せるとしたらその手応えがあった部分しか見せない。
日々の生半可はさらすことがないものだから、
けっこうどうやってるかなんてどうでもいいのだ。

だからはじめに宣言しない。
宣言しちゃうと、本気でやらなきゃいけなくなるから。

「1年にひとつダンスを覚える」とか。
決めた方が心が動くので「1年で」って一応の目標・ゴールは先に決めるけど、ダメなら伸ばせばいいかーくらいに思ってはじめる。

「ダメならそれはそれでいいか、誰にも言ってないし」くらいにかなり生半可な気持ちで続ける。
ま、でも「ゴール・目標」を決めちゃうと、生半可な気持ちでやっててても、意外にその日までに終わってたりする。

もちろんたまに本気になる日もあるけど、そんなのたまに気が向いた日だけ本気になればいい話で、結局は生半可でもフラットな状態で、やめないことの方が大事だよなって思う。

いまやってる挑戦も一応の目標設定をして、誰にも言わずにはじめた。
さすがに無理かもね…と思いつつ、半分くらい本気を出しながら、半分は生半可な気分でやってるけど、とにかく毎日やってる。本気とか根性とか、どうでもよくて、ほんとにただ毎日やってる。それだけ。で、どうにかなりそうな…気がしてきている。

生半可でも、やめなきゃいい。
ただ続けりゃ、そのうち終わってる、はず。



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