「庵野秀明展」圧倒されつつ学んだ当たり前だけど大切なこと
庵野秀明展に行ってきた。
終わる前になんとか行けた。
いいだろうなと思っていたけど、予想以上、いやそれ以上だった。
圧倒的すぎて鼻血を噴いて倒れるかと思った。
そのくらい濃かった。すさまじい情報量だった。
庵野秀明を形づくった彼が観てきた膨大な作品群、
そして彼が作ってきた作品とその膨大な資料。
展示してある原画一枚を見てだけでもあふれ出てくるものがあって、永遠にここにいられるなという空間だった。
とにかくひたすら圧倒されつつ、すごく心地良かった。
なんだろう、愛に包まれているような…とにかくそこには愛しかなかった。
好きなことへの変わらない愛が、ひたむきに注ぎ続ける愛が、そこにあった。
この人ほど変わらない熱量で、常に自分をボロボロにしながら、自分を晒しながら、作品に立ち向かい続けている人はいないんじゃないか…。
全ての作品が、いつも庵野秀明だ。
すべて、彼。
つまりすべて、愛。
この展示も、すべてが庵野秀明だ。
感動したのは、最初からまったくブレていないことだ。
それは「ナカムライダー」という高校の時に8ミリカメラを買って作った仮面ライダーをパロディにした自主映画から一貫している。
そしてそれから45年経って作る最新作が「シン・仮面ライダー」。
入り口と出口が一緒なんて…ちょっとできすぎている。
ただ展示の中でいちばん衝撃を受けたのは、
すべての始まりとも言える高校時代の自主映画「ナカムライダー」だった。
彼が圧倒的に違ったのはここだった。
もちろん、もともとの才能があっただろうし、
特撮やアニメにむちゃくちゃくわしくて、好きでたまらなくて、
絵もうまくて、でもそんなことよりも大事だったこと。
それは、まず始めたことだ。
つたない作品だけど、まずは仮面ライダーを自分で作った。
完璧にはほど遠くても、彼はまず「好き」なことを形にした。
そしてそれを発表した。
これこそが庵野秀明を特別な存在にした最大の要因だろう。
「作って」「見せる」これがすべての始まりだ。
何かをなすために必要なのは、才能や技術ではない。
まず始めることだ。
そして発表する、誰かに見せること。
「やる気」を出すには「やる」しかないのと同じ、
「やりたいこと」をやるためには、まず「やる」しかない。
これをトートロジー(循環定義)というらしい。
そして、そこからずっと彼は作り続け、発表しつづける。
技術が足りない、予算がない、人手がない、
そんな環境の中でつねにそのときできるベストを追究し続けて、
ボロボロになりながら磨き続けた。
そして、好きなものを好きでい続けて、同時に作り続ける。
始めること、そして続けること、やっぱりこれしかないのだ。
やがて作品が進化していき、認知度が上がり、規模が大きくなり、
そしてメディアや文化そのものが庵野秀明の世界に飲みこまれていく。
ひとつの「好き」から始まった小さな渦が世界を巻き込んで変革していく、
まるで宇宙の歴史を見るような、生命の進化をたどるような展示だった。
今年読んだ本に「進化思考」という本があった。
人の創造のプロセスと生命の進化のプロセスが類似しているということを解説した圧倒的情報量の分厚い本で、感嘆しつつ読んで脳みそをぶっ飛ばされた。
まさにこの本のような体験だった。
「庵野秀明展」
それはまさに一人の「好き」から始まった庵野秀明という世界の進化の歴史だった。
壮大な話だけど、始まりとプロセスを支える軸はすごく単純だ。
「始める」ことと「続ける」こと。
それこそが真理だ。
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