見出し画像

「何のために仕事してますか?」ってことを勤労感謝の日に考えてみた

勤労感謝の日だ。

フリーランスには連休も特に関係ないのだけど、暦の上では今年最後の祝日だ。
勤労感謝の日、なんで11月にあるの?と思って調べてみたら、もともと収穫に感謝する日だったようで、だから11月なのかと、いまはじめて知った。

せっかくの勤労の感謝の日なので、ぼんやり「仕事」について考えてみようと思う。

少し前に「重版出来」のドラマを見直していて、新米編集者の主人公・黒沢がマンガ家にこんなことを言われるシーンがあった。

「黒沢さんは何のために仕事してますか?」

これ、自分が聞かれたらどう返すのか?って考えた。
なんかうまく答えられる自信がない…。
20年以上も仕事してきてるのに。
「何のために働いてるんだろう…」
いまさらながらバカみたいな疑問なんだけど、心の中が少しモヤモヤした。

ぼくのやっている仕事は本のデザインをすることだ。
どんな仕事をしているかは、だいたいここに書いた。

こんなことを20年くらいやりつづけている。

ただ、この仕事を始めたのは、半ばなりゆきのようなもので、大学時代にたまたま頼まれたのがきっかけだった。
それまで「デザイン」というものの存在すら意識したこともなかった。

だからなのか、あまり深く「何でこの仕事やってるんだろう?」とか「何のために仕事しているんだろう?」って考えたことはなかった気がする。

この後、自分がどんな仕事していきたいかとか、そんな展望も実はあんまりない。というか、今まで「ビジョン」なんて考えたことない。
恥ずかしい話だけど、とにかくがむしゃらにやってきたってだけで、あまり深く考える余裕もなかった気がする。
ま、ずっと忙しくさせてもらっていて、フリーランスとしてはこれほどありがたい状態はないってことだろう。

ただ、本当に何も考えてないかというと、そんなことはなくて、少なくとも仕事で生き残るための「生存戦略」のようなことは、人並みには考えて実行していると思う。もちろん全然足りていないとは思うけど。

出版不況と言われ始めた中で「ブックデザイン」一本でやると決めたこともある意味で戦略的な選択だと言えるし、次々と新しい才能が現れてくる中でどうやって生き残るのかってことを試行錯誤したり、仕事の取り組み方を実験して改良していくのも生存していくための戦略と言えるし…。
…何だか当たり前のことを書いてバカみたいなんだけど、ようは必死に生き残ろうとあがいていて、そういう試行錯誤は人並みにしてるということだ。
ま、人から見たら大したことないのは分かっているんだけど、これでも本人は必死だったりするのだ。
仕事を始めたなりゆきはともかく、「この仕事」と決めたことで「食っていく」ために「必死こいて考えて」仕事してます…と。

なんだか、本当のバカみたいだ。これじゃ。
これじゃいかん。
試しに「仕事」について書かれている売れてる本を読んでみた。
いますごく売れている本。

「なぜ僕らは働くのか」(監修:池上彰)

じつにわかりやすい、すごくよくできた本だ。
売れているのがよくわかる。
小学生でもわかるように書かれているし(メインターゲットは中学生くらいか)、あたり前のことがあたり前に書かれているけど、その当たり前がきちんとできているのがすごい。
ものすごく分かりやすい言葉で書いてあって、すっと理解できる。
そしてマンガと図解で構成されているので、目で見て分かる。
このくらいがぼくにはちょうどいいようだ。

出だしは「仕事ってなんだ?」っていう、そもそものところから始まる。
答えは、この上なく真っ当だ。
「仕事は誰かの役に立つこと」
そして私たちは誰かの仕事に助けられて生きているということが図解で展開される。
人がふつうに暮らしているのは、誰かの仕事の上に成り立っている。
「遠くに行きたい」「映画が見たい」「ステーキが食べたい」これらを実行できるのは、乗り物を動かす人、乗り物を作る人、映画館を運営する人、映画を作る人、レストランを営業する人、牛を育てる人、たくさんの仕事の上に成り立っている。すべては誰かの仕事の上に成立している。
そして世界は仕事のつながりでできている。

そんな当たり前のことから、お金と仕事の関係、ワークバランス、仕事と生活、仕事と人生、やりがいのある仕事を見つけるにはどうしたらいいか、幸せに働くには、未来の仕事はどうなるか、ものすごくていねいに子どもに分かるように書いてある。
子ども向けの本ではあるけど、いったん社会に出て仕事を経験してから読んでちょうど良い本なのかなと思った。
むしろ大人が読むべき本じゃないか、これ。
ま、ふだんぼくがモノを考えていなさすぎるだけかもしれないけど。

とにかく「仕事は誰かの役に立つこと」なのだ。
さて、ぼくの仕事の場合はどうか。

明確に答えが書いてあった。
登場するナビゲーター的な人物が本のデザインをしている設定なので、ブックデザイナーの仕事の答えがマンガで書かれていた。

「私は出版社(本を作る会社)から「この本がたくさん売れるように、本の“見た目”を良くしてください」って言われているの。出版社は本がたくさん売れると儲かるでしょう? 私はその役に立ってると言えるわけよ」

ほんと、これ以上ないシンプルな答え。
仕事の役割ってこういう単純なことだったりする。
で、こういう当たり前のことって忘れがちだ。

そう、「本が売れるように」お手伝いをするのがぼくの仕事だ。
そして自分の仕事は役に立ってる! んだよね。たぶん…。

「役にたっている」かどうかはともかく、まったく何にも意味がないということはないはずだ…。そう思いたい。
ただ不安になるのは、結局は自宅で一人でPCに向かって何か作業をしているだけという仕事の実態だ。
特にいまはこの状態で、打ち合わせもオンラインになって、ますます一人で作業しつづける時間が増えてしまった。

そんな仕事状況を考えたとき一本の映画を思い出す。

「ゼロの未来」(2013年・イギリス/テリーギリアム監督)という作品。

舞台はコンピューターに支配された近未来。主人公はプログラマーのコーエンという男。在宅勤務で家でひとりコンピューターに向かって「ゼロの定理」を解析する仕事を請け負うのだけど、彼がやっている「仕事」というのは、CGで描かれた空間で物体を飛ばすゲームにしか見えない作業で、操作するのもゲームのコントローラーのようなデバイスで、劇中の彼はずっとその得体の知れないゲームをし続けている。(予告編でもそのシーンが出てくる)

この映画を見て、はたから見たら自分の仕事もこんな感じに見えてるんじゃないかなと思えた。特に今のこの仕事の状況、この映画の主人公にすごく似てる気がする…。

ま、もちろん状況が同じなだけで、やってること自体は違っているとは思うのだけど。いや、そう思いたいのだけど…。
その差って何なんだろう。

「仕事の未来」(小林雅一)という本に興味深い話が書いてあった。

中国の「ビッグデータ工場」についての話。
最近、中国の地方部で自動車や家電の製造工場で働いていた若者たちが、ビッグデータ工場で働き始めているのだそうだ。
ビッグデータ工場というのは、AIの性能を上げるために大量のデータを蓄積していく仕事。作業内容は風景写真を見て「これは自動車」「これは自転車」「これは歩行者」というラベリングをしてくもの。殺風景なオフィスで朝から晩まで月に数十万枚の写真を見て、この作業を繰り返してるのだという。
作業自体は通常の工場の仕事より楽で、更に給料もいいそうだ。
楽して儲かるから若者たちがこぞって働きにくる。
だけど、不思議なことにみんな数ヶ月でやめていくらしい。
楽だけどこの仕事は好きになれないのだという。
自動車を組み立てて製品が出来上がる工程を実感できる工場の仕事の方が、大変だけどやりがいがあって好きだと言いう人が多いのだそうだ。

「お金」とか「楽さ」ではない「実感」が仕事には必要なのかもしれない。

仕事への「実感」。それは確かにある。

試行錯誤を繰り返して1冊の本をデザインする。
少しでも目立つように、良い場所に置かれるように、新しく見えるように、古くならないように、ターゲットに分かりやすく届くように、簡単に見えるように、難しくても手にとりやすく見えるように、考えに考えてそれを形にしていく。
いいものができた!ってときに限って全く見向きもされなかったり、自分的にダメだったかもって仕事がすごく評価されたり、そもそも本が売れる要因にデザインが関係あるかって話もあって、正解も不正解もなんだかよくわからないけど、つねに予測不能で、大変なことばっかりで、逃げ出したいことばかりで、うまくいかなかったり、ものすごく落ち込んだり、ときどきちょっとうまくいって浮かれたり、それで調子に乗って失敗したり、でも気を取り直してがんばろうって思ったり、毎日そういうことの繰り返しで、そういう「実感」のようなものだけは確かにある。

うまくいったり、いかなかったり、へこんだり、落ち込んだり、ときどき嬉しかったり、その繰り返しに「生きてる」感覚を味わっている。
この生きている実感、それが仕事をすることの意味なんだろう。

もちろんそんなきれいごとだけじゃなくて、もっと現実的に考えたら、お金を稼ぐために仕事をしているのは確かだ。
仕事に「お金」は関係大ありで、生活するために仕事しているし、そのために必死こいてがんばっている。
だけど、「じゃ死ぬまで困らないほどお金が手に入ったら仕事やめてずっと酒飲んだり、映画見たり、それだけしてたいか?」て聞かれたら、どうなんだろう? 果たしてそうするんだろうか。

ちょっと前に、たまたまテレビを見ていたら、中居正広と矢沢永吉という芸能界のトップランナー2人がお金と仕事について同じような事を言っていて印象に残った。

TBSの「金スマ」に菅田将暉がゲストで出ていた回で、中居正広が仕事の転機についてこんなことを言っていた。
「最初は、お小遣いが欲しいなとか、ちやほやされたいとか、お金が貯まったら車欲しいとか、ああいうマンション住んでみたいとか、ごく普通の男性が持っている欲を満たしていくみたいなものがあったけど、20代前半ぐらいに、これはお金のためじゃなさそうだなって思い始めた時にゾクッとした、生活のためじゃないんだ、自分のやってる仕事は!って」
そう思ってから仕事への取り組み方が変わったのだという。
それからは知っての通りで、アイドルの枠を遥かに超えて、司会業やバラエティのまとめ役として、テレビ界になくてはならない存在になって、今もそのまま走り続けている。

日テレの8時間生放送の音楽番組「THE MUSIC DAY 人はなぜ歌うのか?」では、矢沢永吉が「矢沢さんは70歳になっても何で歌い続けるんですか?」という質問にこんなことを答えていた。
「良い車乗って、いい女口説いて、大きな家に住んで、そう思ったでしょう?でもつかみとった時に、それが目的じゃないってって気づくから。…
やっぱり、良い曲を書き続けたい。だから死にたくない。止めたら死んじゃうんだよね」
もうとっくに成功なんかつかんでるし、お金も死ぬほどある。
でも歌うこと、曲を作ることをやめてしまったら死んでしまう。
メロディが浮かんでくる瞬間、それに出会うために歌い続け、曲を作り続けている。

この境地は、ぼくのような凡人にわかるようなものではないけど、それでもただ頭が下がるというだけじゃなく、その片鱗くらいは心においておきたいなと思う。

お金とか成功とか、理由なんか関係なく、生きることを実感しつづけるために仕事していこうってことだ。
誰かの役に立ちながら、生きるための実感のために仕事をする、お金もちゃんと稼ぐ、そういうことだ。

なんだか、稚拙なことをたらたらと書き連ねてきてしまったけど、最初の質問に戻ろう。

「何のために仕事してますか?」そう聞かれたら、こう返そうと思う。

「生きるためだよ!」

++

最後に最近見たドラマのラストのセリフが、「何のために働くのか?」ってことにつながるようで、心にすっと沁みたので、それだけ紹介して終わろうと思う。

最近見たと言っても再放送だったので、少し前のドラマ(2015年)なんだけど、「洞窟おじさん」という実話をベースにしたNHKのドラマ。

13歳から57歳まで40年近く人知れず洞窟や森の中で一人で暮らしてきた男性の実話が基になった話。
中盤で人との交わりを経験して、仕事も覚えて、徐々に人の生活に溶け込んでいく主人公。その最終回で、おじさんが50歳過ぎて初めて恋した相手に、彼女の好物のブルーベリージャムを手作りして渡すラストシーンで言うセリフ。

「これは自分で食うためでもない。金儲けのためでもない。人を喜ばせるために作ったものだ。だから特別だ。生きるって楽しいんだな」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?