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「時間ができたらやる」は、結局やらないかも

いや、そんなたいそうな話でもないんだけど、「時間があったら、あれやるのになー」ってことって、結局やらないなって。

だから「時間があるときにやる」「暇になったらやる」は、ある意味、敗北宣言というか「やらない宣言」のような気がしてるんですよね。

結局、やろうと思ったことって、どんなに忙しくてもやるもんなんです。
いや、むしろ時間がないときの方がやる。

じゃ、その「やらないもの」って、そんなに大事なものじゃないのかというとそうでもない。
むしろ自分にとって意外に大切なことの方が多い気がするんですよね。

わたしにとってはマンガを読むことが、まさにそうでした。

好きなことだから、苦にならずにできることだと思ってたし、最大の楽しみの一つでもあったから、「時間ができたらマンガたくさん読もう!」そう思って楽しみにしてたんですよね。
時間ができたら読むぞ!ってマンガを貯めていって、そのうちにどんどん読むマンガが積み上がっていって、そのうちどうせ読まないからいいやって、買うこと自体もしなくなって。
何年もマンガを読まない自分がいるなんて信じられなかったですよ。

ゲームについても同じで、まとめて時間が取れたらじっくり遊ぶんだ!なんて思っているうちに、ほとんど遊ばなくなってた。
青春時代のほぼすべてを捧げた言っていい、人生の中でいちばん好きだったゲームを遊ぶことでさえ忘れてしまう。

単に忙しすぎるのがよくないんだと思うけど、結局「暇になったら」「時間ができたら」って考えることが、クセものなんですよね。

時間ができると、たぶん別のことで忙しくなる。
「限りある時間の使い方」って本にも書いてあったと思うけど、時間というのは、あればあるだけ、別の何かに費やされるようにできてる。
人間の文明はそうやって築かれてきた。
便利なものが発明されて、あらゆることが時短できる時代になっても、わたしたちは常に時間に余裕を持てない。むしろ時間がなくなっている。
「時間があるときにやる」と思ってることは、「やらない」と思っていることと、おそらく同じ意味になるんですよね。
「その時」は永遠に訪れない。

だから、小さくやるしかないんですよね。
今は、マンガを読むのも、ゲームをするのも、毎日小さくやってる。

マンガを読む時間は1日5分。
ゲームをする時間は1日15分。
だいたいそれくらい。

1日で進む距離は本当に小さい。
けど、小さくても毎日やってると確実に前に進む。
それでマンガは月に6冊くらいは読める。
ゲームはボリュームによるけど年に3、4本はエンディングまで遊べる。

ゲームはこのやり方に向いてないかと思ったんだけど、今のゲームはこまめにセーブができるから、意外にコツコツやるスタイルにあってるかもとも思う。
隣の町まで移動したら終わりとか、そんな程度でも確実に進む。

単に日常が忙しすぎるだけかもしれないけど、今はこのやり方でやっていく以外に時間を作る方法が見つからない。

それで、今年の正月に「今年のぼんやりした目標」を2つ決めて、ひとつは今やってる習慣が4月でひとつ終えられるので、その時間を使ってやると決めてるんだけど、もう一つが全く何もできてなくて、そろそろ1月も終わるので、簡単にひとつくらいは手をつけておこうかなと思って、こんなことを書いてる。

何もしないで1月を終えると風化しそうなので、とりあえず今日、時間を作ることにしてみた。
意志なんてものはすごく弱いので「時間があるときにやる」は、やらないんですよね。
無理矢理でも時間をちょっとでも作らないと。

とりあえず小さく動いてみようっと。
そんだけです。


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