「映画」マリウポリの20日間の感想

AP通信の記者による、ロシアのウクライナ侵攻から、マリウポリ壊滅の二十日間を追ったドキュメンタリー。もちろん、それは戦争の無慈悲なひどい現実を見せつけられる映画だ。

映画を見ていると、自分がどの程度のノリで見ようとしたのかを思い返してしまう。勉強のためか、興味本位か、ただの暇つぶしか…。
ジュースを飲んだり、ポップコーンなど食べながら見ている人も中に入るかもしれない。それが悪いとは言わないが、安全な場所で見る、本当に起こっている戦争の現場を見る違和感がある。

ファーストシーンのマウリポリにロシア軍の戦車が潜入してくる所は、アクションものの劇映画だったら、興奮する面白いシーンに見えるだろうが、現実のこととなるとやはり恐ろしい…。
そんな感情が行き来すると、映画ってなんだろうなと考えてしまう。

危険や暴力をエンターテイメントとして描くことは、それを見て楽しむということは何なのか?
戦争が遠くの国できがとだと思えたら、これはこれ、それはそれ、で済ませてしまうが、それが最近は近いことに感じてしまうから、この疑問について考えてしまう。

「今の気持ちはどうですか?」取材している記者が避難している住民に聞く。
日本のTVでも、震災などの被害にあった人に聞くフレーズだ。本当に意味がないし、失礼な言葉だと毎回思う。
記者には義務感と功名心が入り混じって感じられる。それは人間として仕方ないことなのだろう。

記者は息子と生き別れになったおばさんに「一般市民は攻撃しない」と言ってしまう。しかし、そんなことになるわけもなく、ロシア軍はマリウポリを包囲して一般人でも構わず攻撃を仕掛けてくる。
クラスター爆弾が危険だから良くないことになっているが、この映画を見れば他のどの兵器でも危険だし、一般人の大人も子供もそれで怪我をしたり、死んでしまうのはわかる。
国同士で話し合いがつかないと人道回廊で通らず、一般人が包囲網から逃げられなくなり、ロシア兵に攻撃されるが、国同士で話し合いをつければ、それは開通する。話し合いはもちろん、殺し合いにはならずに。
マリウポリの街を攻撃される一般人の視点だからこそ、戦争に巻き込まれる普通の人の理不尽な境遇が見える。
プーチンと敵のウクライナに武器を提供する、アメリカのバイデンが争いもなく話し合いをできるのも、各国の首脳は何事もなく話し合いができるのも、毎回、変な気がする。

兵士同士の戦いというのも、あの街の様子を見れば、一般市民が巻き込まれないわけはないことがわかる。
軍の関係施設を攻撃するために、軍専用の道がある訳ではない。その周りにも普通の住宅はあるはずだ。
それに戦いに勝つためには裏をかかなくてはいけないし、真正面から戦うなんていうことはあり得ない。

ロシア軍に街を包囲されても、医療に関わる人たちの献身は、言葉にできなものがある。
しかし、それが過ぎると「ヒーロー」などと褒め称えられて、国への自己犠牲の正当化にされてしまうこともある。
311とそのあとのイラク戦争を思い出した。

しかし、この映画でロシア=悪と単純な図式で見てしまえば、スーパーヒーロ映画やアクション映画のように、正義のxx(まあアメリカでしょう)に登場してもらわなくてはいけなくなり、戦争が始まれば、最終的にはこの国も巻き込まれてしまうだろう。

ロシアでは徴兵に嫌々参加せざるを得ない若者や、拒否する若者もいる。
それはどの国でも同じことが起きえるだろう。
パレスチナのハマスと戦っているイスラエルで反戦デモがあり、アメリカの大学でも反戦デモは起こっている。結局、国民をを置いて勝手に各国の政治家が戦争をしているように見えてくる。
ロシアはどう見ても独裁国家ではあるものの、本当の民主化が必要な国はどの国も一緒だと思う。

「マウリポリの20日間」は今起きている戦争の状況を知ることができる映画だが、
鼻息を荒くして「必見の映画です」というのもちょっと違う気がする。
冷静さは保って見たほうがいいでしょう。



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